仕事か家庭か。その問いは、もう古いのかもしれない。
仕事か家庭か、「どっちかだけ」なんてことはない。
令和の時代を生きるわたしたちは、「どっちも選んでよい」のだ。そう、自分に言い聞かせていることを今日はnoteにする。
「どっちか」というか、「家庭を選ぶ」ことが主流だった一つ前の時代
自宅前が「職場」で、農作業が「仕事」だった時代が二つ前とするなら(戦前)、自宅から「会社や工場に通勤する」という概念が生まれ、外に働きに行くのが「仕事」となったのは一つ前の時代(戦後)。私たちの親や祖父母の世代にあたる。
農作業をメインの仕事としていたころは、日本は世界的に見ても共働き先進国だったとも言われている。(COTENのジェンダーイングルーシブの音源より)
二つ前の時代、敷地内が職場で、親戚含むみんなで、仕事も、家庭も、子育ても担うことができた。性別役割分業などなく、みんなが戦力でみんなで助け合って、できる人がやる、それが当たり前だった。
そこから、「仕事」の概念が変わり貨幣経済になっていくと、工場で重い物を運んだり動かしたりする作業や、重い資料やサンプル品を持って営業として動き回るには腕力やそもそもの体力がある男性が適任となり、「外に働きに行く人=男性」というのが定着した。
そうなると、家で子育てをしたり家事を推進するという新たな役割が必要になり、自然な流れで女性がそれを担うことになった。
女の人が家庭に入ることを選ぶというのは、ある意味で必然だし、そうすることが幸せの象徴と当時考えられていた、とも言えるのかもしれない。
悪気なく「どっちか」を選ぶものだと思ってしまうバグ
このように生きた親世代、祖父母世代を知っているわたしたちは、家庭で家事や育児を担うことは、ある意味で「普通」であり「そういうもの」だと感じる。
女性が外に出て働くという選択は、むしろ「ちょっとわがまま」とか「家庭は捨てて仕事を取る」という印象を、自分も周りも持ちかねない。これ、悪気なく。
先述のCOTENのジェンダーインクルーシブの音源では、価値観やそういった「女の人は家庭に入るもの」というような社会規範は、二世代ぶん引きずられると言っている。
わたしにはたまたま、教育者として働いていた母や祖母の存在があった。その時代ではマイノリティ側の女の人たちという感覚は子どもなりにわたしでさえなんとなく持っており、一般的には女の人は家事や子育てをするものという認識があった。
これが、二世代引きずるということである。全く、悪気なく。
今の生産体制だからこそ叶えられる“どっちも”がある気がする
今は、工場はロボットが主力選手として稼働しており、人間は指示を出して操る側。営業もそれ以外の職種も、リモートワークができることで、体力ありきで成果が変わるということでもなくなっている。
もちろんリモートワークができないお仕事もあるけれど、それは職業選択という意味で、ライフステージごとに選んでいい。終身雇用も崩壊しているわけだし。
社会構造がこのように変化して生産体制も変わった今だからこそ、「仕事か、家庭か」ではなく「仕事も、家庭も、趣味も、地域活動も、推しへも」と、全部自分で選んでいいと捉えれると思うのだ。
思えば、わたしは20代で仕事に向き合って培った言語化スキルやレジリエンスが、30代になり子育てでも家庭のことでも活かされているなと感じることが毎日ある。
また、どうしようもない、緊急度がコロコロ変わる乳幼児との生活で、どーんと構えて「命あればOK」と最悪の想定ができるようになったことが、復職してビジネスの現場でも大いに活きている。
期待して裏切られる、のような捉え方をして勝手に傷つくなどということは極端に減ったし、そもそも相手に怒ったりイラっとしたりすることが起きないのだ。「ふーん、そうなんだ」くらいで。
それくらい、子どもとの日々はカオスで想像のはるか先をガンガンに超えてくる。比較にならないくらいビジネスの場ではある程度予想できる、そんな“ものさし”を持てている実感がある。
また、リモートワークで通勤の往復の時間やそこでの体力消耗や満員電車でのストレスがないこと、そしてPCを閉じたらすぐさま「家庭モード」になれること、これらもわたしにとっては重要。
保育園から帰ってきた子どもたちが、夫とともにトマトや茄子を収穫して、それも今晩のおかずに登場させてみんなで食卓を囲む。
仕事も、家庭も、子育ても、全部抱えて全部味わう、そんな毎日。
社会規範をアップデートするのは、わたしたち自身という自覚
二世代引きずるということを考えると、今のわたしたちのこの“変化の途中”のような感覚を、孫の世代にまで持ち込むということになる。
それは、だいぶ、引っ張ってしまう感覚がある。子どもたちが大人になって、それよりもまだ先か。と。
コロナでリモートワークが余儀なくカットインし、やや早まったとは言え、ここから先さらにスピード感をあげていかないと、子どもたちが大人になった時にどんな世界を渡してあげられるか心配になる。
息子が生まれてからは、この人が戦争に駆り出されるかもしれないという、そういう具体的な想像もするようになった。
男性が外で働き、女性が家庭や育児を担うという従来の規範を否定するつもりはない。ただし今のわたしたちの働き方を踏まえると、ここからアップデートされていくのは自然な流れ。
より意識的にそこにテコ入れしていくことで、世の中の流れがさらに変わったり働き方や生き方の選択肢がさらに増えたりしていく可能性がある。
他でもない、わたしたち一人ひとりがどういう働き方で、ただただ疲弊した毎日を過ごし「どっちもは無理だ」とサジを投げるのではなく、家庭や子育てとどう両立させてより豊かな人生にしていくかーーー
壮大な夢のような話に見えて、自覚して何を選択していくか、そこから全ては始まる。
わたしは仕事で実績を出して、信頼してもらえるような言動を積み重ねて今の働き方を緊張感を持って継続させている。
でも何より、わたしは「自分の人生をよりよくしていく」という、究極の自己満足、自己実現のために全ての選択をしている自覚がある。
子どもたちには、子どもたちの人生があり、わたしの付属ではない。
子どもたちが未来に希望を持って、やりたいことに向き合えるそんな世の中であるように。途方もない願いだけれど、だから今日もわたしは、「全部を諦めない」。

