ほんとうはエチオピアの犬みたいにダラダラゴロゴロしていたいのだが〜社会と私の需給関係と勤続疲労と社会貢献について〜
私は大学院を修了する年に民間企業の就職活動を
して全滅したことがある。
私の年度はストレートに行けば大学4年生の時にはバブル最高潮の頃になる。そういうわけで先輩や同級生はほとんどの人が一流企業に就職した。
だが私は単にもっと美術がしたいというだけで
大学院に行ってしまった。考えが甘かった。
その間にバブルは崩壊した。
そうすると、就職活動で教育系美術の大学院を出た女性というのが非常に扱いの難しい部類になることがわかった。
出身大学はそこそこ有名で、筆記試験もできる。
だけどバブルがはじけた後の世の中で美術関係が
やりたいしか言わない大学院出の女性。
今思うと企業からすると使いにくいだろう。
当時は今よりもずっと男女差別がはっきりしていた。明らかに男性を採用したいのだなという仕打ちはあった。ただ不採用と言われるとどうしようもない。なぜなのか、男女差別なのではないかと思っても理由は確かめられない。
この世の中に私の需要はないのだなと実感した。
捨てる神あれば拾う神あり。
たまたまあった高校美術の教員採用試験だけが私を拾ってくれた。
その教員採用試験の面接の時に、私は民間企業を受けていたおかげで他の受験者よりも受け答えが慣れていた。他の受験者は緊張のあまり言葉がうまく出てこない人、この場面でこれは言わない方がいいのではということを言ってしまう人もいた。
民間企業での不合格の数々は長く過酷な面接練習だったのかもしれない。
私は就職活動で内定を勝ち得た人たちを尊敬する。
私にはどうがんばってもできなかったことだ。
また私同様に成果が出なかった人も挑戦しただけでもえらいと思う。
書類を書いて送り、よく知らない試験会場や面接にリクルートスーツに身を包んで足を運ぶ。
他の人と比べられて合格不合格を言い渡される。
思い出すだけでもしんどい。
結局、私は人生のほとんどを公立の学校で過ごすことになった。公立高校の美術教諭を20年以上やって閉塞的な現場が嫌になった。
美術を教えることは好きだけど、学校の教諭に求められることが多過ぎる。教諭として当たり前のように要求されることと自分が教師の仕事の本質だと思うことが食い違う。
ちょっと違う世界が見てみたい。ずっと中にいるとどこがおかしいのかわからない。外から見てみたら何がおかしいのかわかるのではないか?
JICAシニアボランティアに応募して合格し、
現職参加でエチオピアに行った。
教員養成大学で美術を教えた。そこで望みどおりに違う世界を見ていろいろと考えることがあった。
エチオピアではものごとはまったく計画的ではなく、効率は良くなく、物は不足し、電気や水道やWifiが不安定である。
だけど、一度ももっとがんばれとかもっと仕事しろとか言われなかった。
言われたのは、もっと寛容に、という言葉だ。
私があまりの効率の悪さや計画性のなさにブチギレそうになっていた時に言われた。
「あなたはもう日本にいるのではないから、
もっと寛容にね。」
そう言われるとそのとおりで、こちらの人間としての修行が足りなかったと思った。
私はあまり典型的な日本人ではないが、それでも
ものごとをきちんと計画的に行いたいと思いがちなのは確かだ。だがエチオピアではものごとはけっして予定どおりにはならないのだ。
エチオピアは昭和の戦後の経済成長期みたいだった。家族は人数が多い。ご近所で助け合う。
赤ちゃんを背負った子守している子どもたちを見る。人に対して寛容ですぐにご飯やコーヒーをご馳走したがる。そこら辺で犬はぽとぽとと落ちているかのように寝ていた。すごく安らかで幸せそうだ。

日本のように効率や正確さを追求したりしないが、日々を楽しく暮らす。心身を壊すほど必死にがんばったりはしない。昼休みは2時間である。
私の人生の中で最長のランチタイムはエチオピアにいた時だ。大学の構内の教員住宅に住んでいたので家に帰ってご飯を作って食べて昼寝してから午後の授業だった。
そのようにぜんぜん何が求められるかが違う世界を経験した。
訓練期間を含めて2年間現場を離れてから公立高校に復帰した。
またさまざまなことを求められる日々だ。
日本では完全であることや遅れないことや人に合わせることを要求される。
だんだん自分が擦り切れていくように感じた。
勤続年数が長くなるほど疲労が溜まっていく。
帰国後2年半働いてコロナ禍の最中に体調を壊して退職した。
それ以来現在まで非常勤講師として機嫌よく働いている。これくらいの働き方だと要求されることと
自分のやりたいことが合っている。
需給バランスがとれている。
それはいいけど、教諭だった時の給料の五分の一の収入にしかならないが。社会保険にも入れてもらえず泣く泣く乏しい収入の中から高い国保を払っている。
公立高校の教諭はしんどすぎる高収入。
非常勤講師は自由時間があって素敵だが薄給。
どうも公教育の世界は極端でいびつな気がする。
労働基準法は守られず、教員に人権はなく、
ただ働きは当たり前で文句は言われ放題である。
民間企業だともっとまともなのだろうか?
少なくとも労働基準法は守られているはずだ。
残業代だってちゃんともらえるはずだ。
私は現在に至るまで民間企業の正社員に一度もなったことがないので確かだとは言えないが。
民間企業は私にとって永遠の謎と少しの憧れとたくさんの恐怖である。
永遠の謎は民間企業で勤務した経験がないので
どういうものなのかがさっぱりわからない。
少しの憧れはきちんと確保されたランチタイムというものを経験してみたい。公立の学校にはない。
たくさんの恐怖は民間企業で働くのは、まず就職も難しいし、中で数字や効率を要求されそうだし、
人間関係もたいへんそうだし、よくわからないけど恐ろしそうだ。
ではその民間企業で働くとはどういうことなのか?
バブル最高期に有名企業に就職した先輩や同級生
たちはどうなったか?
勤め続ける者もいるし、退職した者もいるし、
心身を壊して休職した者もいる。その休職した者が私の知る範囲ではかなりの高率である。
やはり民間企業では利益や効率が求められる。
さまざまなストレスが人を蝕む。
私の同級生たちは優秀でマジメでよくがんばる人たちだ。求められたことを一生懸命やる。
がんばるので次々仕事量や責任が増えていく。
どんなに優秀でどんなにがんばる人にも必ず限界はある。壊れて休職することになる。
私が不思議に思うのは、そんなに人が壊れるような働き方をずっと続けてきた企業や社会のあり方だ。
とってつけたようにワークライフバランスとか
ウェルビーイングとか綺麗な言葉を並べるけど、
この社会はほんとうに持続可能なんだろうか?
私ははじめから体力がないので、心身を壊す前にもう寝込んでいる。がんばれる人はがんばってから倒れるが、私はそれ以前にがんばることができない。
だから勤め続けることに疲れてしまうと、
仕事にしがみつこうという気力がなく退職した。
もう要求にこたえていくのは無理だと思った。
これ以上自分の労働力を差し出せなかった。
若いとギリギリできた労働力の供給は
加齢による体力低下で不可能になった。
世の中はがんばれる人続けられる人を評価する。
それはそれですごいことなのだが、ほんとうにそんなにみんなががんばれるわけではない。
がんばれない人は社会に貢献しないから不要だと
言われてしまいそうな世の中だ。
残念ながら私はがんばれない方だし、
ほんとうはそんなにがんばりたくない。
どちらかというとエチオピアの犬みたいに
ダラダラゴロゴロして暮らしたい。
でもそもそも人間って弱い存在の赤ちゃんとして
生まれ、年をとって弱って死んでいく存在だ。
弱いとかがんばれないとか社会に貢献しないとか、人間は本来そういうものなのではないか?
たまたま健康や頭脳や精神や環境に恵まれた時に
何かをして社会に貢献できることもあるだけだと
私は思う。
基本は役に立たない、ただ存在する。
一時的に役に立つ場合もあるだけ。
生産性とか効率とか言うが、人間ってそんなに生産するために生まれてくるのだろうか?
役に立つ、立たないで人を選別し、
働けないものを不要とする。
その考え方はおかしいと思うのだが。
途上国にいて気楽なのは、日本のようにきちんとしていることや役に立つことを求められないからだ。
たくさん不便なことや思いどおりにいかないこともあるが、本来の人間のあり方とはこちらだと思う。
犬でも日本では清潔できちんとしているけど、
つながれたり閉じこめられたりして自由ではない。
エチオピアはそう清潔でもなく狂犬病もあるけど
自由で伸び伸びしてそこら辺でゴロゴロ落ちているかのように寝ている。
もし私が来世犬として生まれることになったと
しよう。
神さまから
「清潔で安全で長生きできるけど
つながれて暮らす日本、
ワイルドでケンカも狂犬病の危険もあるが
自由に暮らせるエチオピア、
どちらか好きな方を選ばせてあげます。」
と言われたら私はエチオピアを選ぶ。
多少危険でもつながれずにぶらぶら自由に
歩き回って好きなところで眠る暮らしの方が良い。
日本はなんでもあるし、
便利で正確できちんとして勤勉でマジメだけど、
寛容さだけはない。
エチオピアは電気も水も時々なくて不便だし、
いろいろたいへんなこともあるが、
寛容であまり役に立つことを求められたりしない。
こうやって両方の立場から見たことを世に伝える ことが今の私にできる一種の社会貢献かなと思う。
別になんの役にも立たなくても、
効率が良くなくても、
儲けにもならなくても。
だって生きるって本来そういうものだと思うから。
