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【組織論 リーダー論 夫婦関係】助手席に座っていても、運転は学べない

我が家では、妻がドライバーで、私が助手席だ。

私の運転が危なっかしいと思われているから。
正確には、一度助手席に乗った妻が、
二度と私に運転させなくなった。

おかげで助手席歴だけは長い。

先日、妻に言われた。
「助手席でずっと見ていたんだから、道くらい覚えただろ。」

覚えていなかった。


理由はわかっている。

助手席に座り続けると、眠くなる。
これは体質の問題ではない、と思っている。
ハンドルを握っていないから、緊張感がない。
車の振動が眠りを誘う。

道が覚えられないのは、当然だ。


妻は怒る。
「自分だけが運転させられている」と。
それはそうだと思う。
申し訳ない。

では運転を代わろうか、と言うと、
それも嫌だという。
私の運転が怖いから。

こうして我が家のジレンマは続く。
妻は「任せたいけど任せられない。」
私は「運転したいけどさせてもらえない。」
させてもらえないから、うまくならない。
うまくならないから、任せられない。

笑い話だが、これと全く同じ構造が、
職場にも、家庭にも、あらゆる場所にある。


本番で、部下が黙り込んだ

職場でのことだ。

部下を育てようと思って、
お客さんとの打ち合わせを一任したことがある。
準備もさせた。
事前に綿密に打ち合わせもした。
大丈夫だろうと思っていた。

本番では、
お客さんから想定外の質問が飛んできて、
部下が黙り込んだ。

沈黙が続いて、結局、私が介入した。
打ち合わせは何とかなったが、
私がいいところを持って行ったような感じになり、
部下には、自分が何とかした感が
得られなかったと思う。

振り返ると、
ずっと助手席に座らせていたのは私だった。
準備はさせた。
でもハンドルを渡したことは、
一度もなかった。

本番だけ急に運転席に座らせても、
体が動かない。
それだけの話だったのかもしれない。

リスクを承知で、その部下には
お客さんの前に立たせる経験を積ませている。
いざとなれば、私が助けられる。


ハンドルを渡したら、怒られた

別の部下に積極的に仕事を任せていたら、
その部下から言われた。

「あなたは、上司として何の役割も
果たしていないですね。
何をしているんですか?」

部下はきっちり自分の役割を果たしていて
素晴らしかった。
でも、上司がハンドルを握っていないことが、
問題に見えたらしい。

考えてみると、これは自然な感覚かもしれない。
上司が積極的にリードして、部下に「タスク」を
振る方が、上司が「何かをやっている」感が出る。
ハンドルを渡すほど、上司の存在感は薄れる。

育てようとするほど、
育てていないように見える。
渡した方がいいとわかっていても、
渡しにくい理由も存在している。


知っていることと、できることは違う

研修で知識は増える。
隣で見ていれば、流れもわかる。
「あそこで曲がればいい」くらいは
言えるようになる。

でも知っていることと、
できることの間には、
深い溝がある。

その溝を埋めるのは、
ハンドルを握った経験だけだ。
緊張感の中で、自分が決めた経験。
失敗しても、自分の責任だった経験。

それは助手席では、絶対に積めない。


ハンドルを渡す怖さ

「では早く運転席に座らせればいい」
という話ではない。

準備のない人間を無理やり座らせても、
事故が起きる。

ただ、こう問うことはできる。

「まだ早い」と言いながら、
いつまで言い続けるつもりか。

「失敗させたくない」という善意が、
失敗する機会を奪っていないか。

「自分がやった方が確実」という判断が、
実は自分の都合ではないか。

ハンドルを渡すのは怖い。
事故が起きるかもしれない。
自分の出番がなくなるかもしれない。

でもその怖さを引き受けるのが、
運転席側の仕事だと思っている。


我が家では今日も妻が運転している。
私は助手席で、うとうとしている。

職場では、
少しずつハンドルを渡すようにしている。

怖いけど。


妻には、まだ渡してもらえていない。

自動運転が実用化される日が待ち遠しい。


「リーダーは育てられない」という関連記事も書いている。
合わせてどうぞ。

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