【ASD夫】 カサンドラ症候群の妻に対するASD夫の声:丁寧に探すと見えてくること
カサンドラ症候群という言葉が広まり、ASD傾向のある夫を持つ妻の孤独は、広く共有されるようになった。
・話が通じない
・気持ちが返ってこない
・一緒にいるのに、ひとりのようだ
その苦しみは現実であり、軽く扱われるべきではない。
では、夫側は何を考えているのか。
探してみると、声はほとんど見つからない。だが、「ない」のではなく、「見えていない」だけかもしれない。この記事は、その沈黙の中身を丁寧に読もうとする試みだ。
1.拾える声の大半は、防御と困惑
当事者コミュニティを読むと、最初に目につくのは防御と混乱だ。
"My partner says she has Cassandra syndrome. I don't understand what I'm doing wrong." (パートナーにカサンドラ症候群だと言われた。でも、自分の何が悪いのか分からない。)
これは開き直りではない。当事者が状況を把握できていないことを、そのまま示している。
"I want to change but I keep reverting back to old behaviour." (変わりたいと思っているのに、また元の行動に戻ってしまう。)
変わる意思はある。しかし、変われない。
共感がない存在だと決めつけられることへの反発もある。
"This tired trope of autism causing a lack of empathy has no basis in reality." (自閉症は共感がないという決まり文句には根拠がない。)
この反発には、一定の根拠がある。発達心理学者Damian Miltonが2012年に提唱した「ダブル共感問題(double empathy problem)」は、ASD者の共感の欠如を個人の欠陥として捉えるのではなく、異なる認知様式を持つ者同士のコミュニケーションの非対称性として説明する。夫が「共感がない」のではなく、共感の回路が妻のそれと異なる形をとっている、という見方だ。
拾える声の多くは、何が悪いのか分からない、努力しているつもりだ、一方的に責められている感覚がある、変わりたいが続かない、というトーンで占められている。ここだけを見ると、溝は深い。だが、それが全てではない。
2.なぜ「改善した人」の声は少ないのか
声が少ない理由は、夫側に問題意識がないからではないと思われる。
第一に、改善した人は発信しなくなる。過去の問題を掲示板に晒し続ける理由がない。残るのは、まだ苦しんでいる人の声だ。
第二に、成功は地味なアクションの積み重ねであり、拡散されにくい。アラームを設定した、メモを取るようにした——そういった話は、劇的な変化の物語として読まれない。
第三に、内面の言語化自体が負荷になる。努力している人ほど、書く余力がない可能性がある。
つまり、「少ない」ことは「ない」ことを意味しない。サンプルの偏りとして読む必要がある。
3.その中に混ざる「関係を守りたい」という声
防御と混乱の声の奥に、別の層がある。
"What can I do? I don't want to lose hope." (何をすればいい?希望を失いたくない。)
"I love her so much and I want to be the man she truly deserves." (彼女を愛している。彼女にふさわしい夫になりたい。)
自分を防御するのではなく、相手の側に立とうとする意志が見える。具体的な行動も報告されている。
"I have alarms on my phone to remind me to check on my wife." (妻を気にかけることを忘れないように、スマホにアラームを設定している。)
自然にできないなら、仕組みを入れる。直感が弱いなら、手順を作る。ロマンチックな愛情表現ではないが、関係を改善しようとする行動だ。
4.実在の改善事例:David Finchのケース
アメリカのDavid Finchは、自身がアスペルガーと診断された後、結婚生活の危機を迎えた。彼はその経験をThe Journal of Best Practices(2012年)に記録している。
彼が取り組んだのは、感覚的なものではなかった。妻の表情を観察する、感情への定型フレーズを練習する、衝突後は必ず戻る、妻の期待を具体的に確認する——その一つひとつは、自然な共感とは異なる形をとっている。
しかし妻は、「この人は変わろうとしている」と感じ始めた。
関係が改善し始めたのは、完璧になったときではない。方向が変わったときだった。
5.見えてくる構造と、一つの読み方
拾える声の大半は防御と困惑だ。しかしその中に、変わりたい、関係を守りたい、方法を探している、という声が確実に存在している。
問題は努力の有無ではなく、努力の形式だ。
妻が求めるのは自然な共感。夫が提供できるのは設計された配慮。
この非対称を「愛情がない」と読むこともできる。だが、「翻訳の問題」と読むこともできる。
異なる言語を話す二人が、互いの言葉を理解しようとしている。夫の言語は、アラームであり、チェックリストであり、衝突後に再び向き合う行動だ。それはロマンチックな形をとらないが、妻に向けられたものであるなら——愛情の一形態と呼んでいいはずだ。
こう見ると、「妻目線」で関係性を改善しようとする意志があるかどうかが、鍵となっていることがわかる。
別の言い方をすれば、結局は——発達障害が制約になっているとしても——妻のことを愛しているかどうか、それだけのことなのかもしれない。
夫の沈黙は、無関心の証拠ではないかもしれない。その中に何があるかは、声の表面ではなく、行動の方向を見ることで、少し見えてくる。
※ この記事は、以下の記事の続きとして執筆してます。よろしければこちらもご覧ください。
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