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彼女の手紙が届くころに──赤毛のギターと、あなたに

高校1年の初夏。教室の窓の外では、遅咲きの桜が風に吹かれていた。
僕の机の上に、一通のエアメールが届いた。
少し色あせた白い封筒。封に貼られた見慣れない切手の横に、筆記体で僕の名前が書かれていた。

差出人は、エレーヌ・デュポン。
フランスの小さな田舎町に住む、僕と同い年の少女だった。

英語の授業で募集されていた「ペンパル」に、なんとなく名前を書いたのがきっかけだった。
届いた便箋には、彼女の住む町の石畳や、週末のマルシェ、そしてパン屋でお気に入りのクイニーアマンの話が綴られていた。

けれどなにより僕の目を引いたのは、便箋のすみに添えられた一文だった。

“I play guitar. Do you?”

その一行に、遠く離れたどこかの部屋で、僕と同じようにギターを抱える誰かの姿が浮かんだ。


僕たちは、それから6年間、手紙を交わし続けた。

決して頻繁ではなかった。
年に数通、忘れたころにポストへ届くエアメール。
でも、その封筒を開けるたび、僕は彼女の住む町の空気を吸ったような気がした。

英語は得意じゃなかった。
だけど彼女が語る「雨上がりの畑の匂い」や「母が弾く古いピアノの音」を、
できるだけ丁寧に受け取りたくて、何度も読み返した。

あるとき、好きなアーティストの話になった。
「CDを送り合おうか?」
そんな彼女の提案に、僕は嬉しくなって、当時いちばん聴いていたアルバムを選んだ。

MONGOL800の『MESSAGE』。その1曲目──『あなたに』を、僕はどうしても聴いてほしかった。

ありがとうって 伝えたくて
あなたを見つめるけど──

翻訳アプリなんてなかったから、辞書を引いて、ひとつずつ訳した。

“I just wanted to say thank you,
so I look at you.
Your hand in mine is softer than anyone’s,
and it’s holding my voice gently.”

不恰好だったかもしれない。でも、それが僕の全力だった。

手紙とCDを封筒に入れ、そっと書き添えた。

“Track 1 is my favorite. If you listen carefully, maybe you'll hear what I wanted to say.”

それからしばらくして、彼女から返事が届いた。
淡い青の便箋に、いつもより少し丸い文字で、こう綴られていた。

“I listened to Track 1 many times.
I don’t understand Japanese,
but it feels like someone is saying:
‘You are not alone.’
Merci, Kohei.”

その文を読んだ瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
まるで、遠くの誰かが、僕の孤独にそっと触れてくれたようで。


ギターを弾いている自分の写真を送ったこともある。
部屋の隅、蛍光灯の下。地味で照れくさい一枚だった。

しばらくして届いた封筒の中に、彼女の写真が入っていた。
陽の差す窓辺に座り、クラシックギターを抱えるエレーヌの姿。
彼女は、少しだけ首を傾けて笑っていた。くすぐったそうに、でも嬉しそうに。

赤毛がふわりと光を透かして、オレンジ色に揺れていた。
まるで、木漏れ日の中でそっと燃えている焚き火みたいだった。

画面越しの誰かじゃない。
本当にそこに存在する誰かと、僕は手紙を通じてつながっていた。


大学に入ってからも、手紙は細く続いた。

季節ごとに少しだけ、日々の出来事とささやかな音楽を綴り合った。
けれど、次第に間隔は空きはじめた。

僕が多忙になったのか、彼女の生活が変わったのか、
どちらとも言わないまま、手紙のやりとりはゆっくりと静かに薄れていった。

そして、大学2年の春。
それを最後に、エレーヌからの返事は届かなかった。

悲しいとは思わなかった。
むしろ、不思議と心が満ちていた。

手紙は止まっても、何かがちゃんと残っていた。


それから、10年以上が経った。

実家の押し入れを整理していた僕は、古い封筒と、1枚のCDを見つけた。
MONGOL800の『MESSAGE』。
手書きのメモが、ケースに小さく残っていた。

“Track 1 is my favorite.”

プレイヤーにCDを入れて、ボタンを押す。
少しだけノイズの混じったイントロが流れた瞬間、胸の奥に風が吹いた。

ありがとうって 伝えたくて──

記憶の中に、あの写真が浮かんだ。
ギターを抱えて笑う、赤毛の少女。
窓辺の光が、あの髪をふわりと包んでいた。

僕は、一度も彼女の声を聞いたことがない。
でも“あなたに”を聴くたびに、どこかで彼女が歌っている気がする。

いまでも“あなたに”は、僕の心の奥で、そっと鳴っている。
まるで、遠くの誰かが、静かに「ありがとう」と呟いているように。


『白衣のすきまから』へようこそ

この物語は、実体験をもとにしたフィクションシリーズの一編です。
家族のこと、患者との記憶、誰にも言えなかった夜勤のこと──
他のエピソードも、ぜひ読んでみてください。

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