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毎年、夏に1日だけ、友人の農家の畑で草取りを手伝っていたのだが。

2020年から毎年1度、夏にだけ会う友人がいた。その友人は、塩田善一さんという。何とも善人のような名前だが、まぁ、実際に付き合っていて悪人ではないな、とは感じている。

塩田さんは茨城県行方市に畑を持ち、そこにたくさんのビニールハウスを建てて、葉物野菜を育てている有機農家だった。

塩田さんに会って何をするかというと、ほぼ毎年草取りをしていた。クッソ暑い真夏の日差しの下で、土埃にまみれながら、全身汗まみれになりながら、塩田さんのぼやきを聞きながら、密林のように伸びた草々を、取る、ひたすら、取る。そんな1日を、夏になると決まって過ごした。

夏のアルバイト? とんでもない、無償である。世間一般的には「援農」と呼ばれる活動にあてはまるのだろうが、私にはあまりそのつもりはなかった。

この夏の1日は、私が塩田さんに捧げる愛情というか友情というか、まぁそういった類の感情から起こるものであって、ただそれが何日間か続けて作業をしているなら「偉いな」と世の人に言われるほどのものなのだろうが、結局毎年1日しか行かないのは、まぁそういうことなんだろう(暑いし、疲れるし、汚れるし)。

それでも毎年夏になると、塩田さんの顔と一緒にセイタカアワダチソウの群れを思い出して、行って草取りをすれば、暑いし、疲れるし、汚れるし、そういう思いをするとわかっていても、汗をかきかき草を抜きたくなって、塩田さんのぼやきを聞きたくなって、わざわざ塩田さんの畑に向かってしまう。やっぱり毎年1日だけなんだけどね。

2024年の夏の塩田さんは、ちょっと違った件

2024年の8月15日も、そんな気分になったものだから、塩田さんの畑に行ってきた。

倉庫のドアを開けると、そこには一人のおっさんが寝転んでいた。「塩田さーん」と呼びかけてみるが、返事はない。どうやらおっさんは昼寝をしているようだ。このおっさんこそ、塩田善一さんである。

「ああ、どうも」とその年の塩田さんのテンションは低かった。そもそも塩田さんは、ラジオの話と野球の話とプロレスの話、あとお笑いの話以外の時は、あまりテンションが高い方ではないのだが、この年の夏の塩田さんは、それにしても少しおかしかった。

「やっぱり今年も(草が)取りきれなくてねぇ」とこぼす塩田さん。

毎年のことだが人出が足りなくて草取りが間に合っていない様子。ハウスとハウスの間から、背の高い草が茫々と生えているのが遠目から見てもわかるほどだった。

塩田さんの畑は有機JAS認証を取得しているから除草剤は使えない。ハウス間の草を取らないと中で育てている葉物野菜の生育に関わってくる。背の高い草が日陰を作ってしまい光合成を妨げる。通気性も悪くなる上に、草が病気や害虫の温床となる可能性もある。

塩田さんの愚痴をそこそこに聞いて早速草取りを始めた。いつも、ひたすら手で草を引っこ抜いていたので、それはもう大変な作業だった。加えて、真夏の日中の屋外の作業であるのだから、労働環境としては劣悪なものだった。

汗と土埃にまみれ、時には塩田さんのスマホが壊れ(2022年のこと)、時には塩田さんが蜂に刺され(2023年のこと)、毎年毎年散々な目に遭っている(主に塩田さんが)。だが、2024年の草取りはちょっと違った。

「見てください、塩田さん。今年は秘密兵器を持ってきました」

私は車から秘密兵器を取り出した。それは、伝家の宝刀・三角ホーだった。

長い柄の先に、その名の通り三角の形をしたステンレス製の器具が付いているこの道具。三角の部分で草を払い、土を掘り起こすなどできる。一度に対処できる範囲が「手」の作業よりも格段に広く、要する力の量も少なくて済む。つまり、困難な草取りが楽になる。

三角ホーの姿を見て、塩田さんは「おお」と冷めた反応(これぞ塩対応)。そんな塩田さんに三角ホーの力を見せつけようと、私は腕を振るって(文字通り)三角ホーで草を刈る。

しかし、結果は想像と違った。細かな背の低い草には効果的だったが、背が高く太い草(セイタカアワダチソウのような)に対しては、一度や二度のアタックでは刈り取れず、1本刈るのに時間がかかってしまった。

「手で抜いた方が早くない?」

「そうっすね……」

私は三角ホーを地面に置いて、手で草を抜き始めた。しかし、毎年毎年こうして草を抜いてもまた翌年になると草は生えてくる。

「そういえば、今草を抜いているこの場所って、去年も草取りした場所でしたよね?」

「そうなんだよね。だから今年はさ、草をその場から持ち出して防草シートを張ろうかと思って」

いつもは抜いた草をそのまま置きっぱなしにしていたが、それでは翌年も同じように草が生えてしまう。だから、抜いた草はその場から持ち出して(当たり前かもしれないが)、抜き終わった場所に防草シートを張って来年は同じ場所をやらなくて済むように、と考えたようだ。防草シートは既に購入済みだった。

今年の塩田さんはちょっと違う。今年の塩田さんは男だぜ。この時、塩田さんから例年と違う何かを感じ取った。

休憩談話

それにしても、真夏の炎天下での草取りはやっぱりきつい。1棟分の草取りを終えた頃には、全身汗でびしょ濡れ。これは決して誇張などではなく、上半身はもちろん、ズボンからパンツまで汗でびっしょりなのである。加えて草を抜く際に土埃も浴びるから……ひどいものだ。

1棟の草取りを終えて休憩に入る。水をごくごく、タバコをすぱすぱしながら、おっさん二人でいろいろと話す。

「最近、エガちゃんねるにハマりつつあってさ」

ラジオ好きの塩田さんがYOUTUBEにハマっていた。

「エガちゃんねるは企画にお金をかけてるのがすごいよね。そして、視聴者にもイベントなどでちゃんと還元している。それにファンがちゃんと付いてきている」

「へぇ」と今度は私が冷めた反応(逆塩対応)。

私は流行りものに疎いから、このような話題はよくわからん。塩田さんは元々メディアの仕事をしていたから、農家になってからもメディアの流行や面白いメディアに対して、アンテナを常に張っている。

「よくある登録者が多いユーチューバーは高級〇〇を買ったとか、いい家に住んでるとか、演者の羽振りの良さをひけらかすようなのが目立ったり、大抵のネタがドッキリのパターンだったりと。それに比べると、エガちゃんねるは、さっき言ったようにお金のかけ方とか構成が抜群に違うなぁっていう感じがしてる」

お金を使うことやワンパターンな企画で視聴者を楽しませるのではなく、純粋に企画自体にお金を使って視聴者を楽しませているってことか。江頭2:50が今そんなことやってるなんて知らなかった。

「最近さぁ、思うのよ」

塩田さんが続ける。

「何者かにならないと、何にもならないってことに気付いたのよ」

最後まで話を聞かずとも、共感できる言葉だった。

「SNSのフォロワー数とか見ていてもさ、フォロワーが多い人は芸能人はもちろんだけど、一般人の場合『何者か』に既になっている人なんだよね」

塩田さんのいう「何者か」とは、つまり「何かで生計を立てられている人」である。一芸に秀で、その一芸でもって生活を成り立たせている人。そして、それが継続できている人。要するに、成功者のことだ。

そういう人の発する言葉は自信満々で説得力が違う。だから、皆が注目する。ところが、その「何者か」になれていないと、うわべだけの言葉になってしまい、発信力が弱くなる。例えば、農家として生計を立てている人がSNSを発信することと、農家ではない人が農業をSNSのネタとして発信することの違いだ。

「なるほど、深いっすね兄貴。じゃあ続きをやりますか」

塩田さんの言葉に共感しつつも、この日の私は少しでも草取りを進めたくて仕方がなかった。目の前にいる有機農家のおっさんの困り果てた姿を見たら、少しでも手助けをしてやりたいと思ったから。そのためには、収量を少しでも上げるためにも、「草取り」をするのが一番だ。

Weeder's high

私は次のハウスの合間に生えた草を取りに取り掛かった。塩田さんはというと、広い場所に生えた草を刈払機で刈り始めた。

やはり、今年の塩田さんはちょっと違う。なんかこう、やる気がみなぎっている、というか覚悟が決まっている。いつもなら、刈払機 なんて持ち出すことはなかったのに。

それから少しして。

「じゃあさ、草の前に台風が来ているからそっちの準備も手伝ってもらっていい?」

ドサクサに紛れて、このおっさんは別の仕事も頼んできた。草取りだけで既に草臥れているというのに。

いいよ、やりますよ、やってやりますよ! こちとら水戸っぽでぃ!

当時接近していた台風7号の対策として、ビニールハウスの補強を手伝い、それを終える頃には空が少し赤みを帯びだしてきた。18時頃だっただろうか。時間的にも作業の区切り的にもそろそろ仕事を終えていい頃合い。

でも、その日はこれまでにハウス1棟分と少しの草取りしか終えられていない。それでいいのか、私。援農したと言えるのか、草取りをしたと言えるのか、塩田さんの力になれたと言えるのか。

「残りの分も草取りしちゃいましょうか」

「いいの? やっちゃう?」

こうなりゃ意地だ。というか、疲れ切っていて、もはやハイだ。最後までやりきってやる。

という訳で夕暮れ時に草取りを再開。次の草場には途中で背の低い草ばかり生えているエリアがあった。

「これは……これならば……」と私。

「あれの出番だね」と塩田さん。

私は三角ホーを再び手にして、背の低い草を薙ぎ払っていった。先ほどとは違って、面白いように草が刈り取れた。草を薙ぎ払っていたら、何故だかだんだんおかしくなってきた。

身体はもうボロボロであちこちが痛い。それなのに、何故だか楽しい。三角ホーを振り下ろす度に、草がなくなっていく。草がなくなるごとにハウスの農産物の生育が良くなっていく(はず)。少しずつゴールに近づいていく感覚。草を刈るのが楽しくてたまらない。

おかしくてたまらなくなって、私は笑いながら草を刈った。そして、低い草を刈り終えると、力尽きた。もはや三角ホーを握る握力がなくなり、セイタカアワダチソウを手で引き抜く力も残っていない。

「あとは塩田さんお願いします」

残りの草は、1/4くらい。背の高い草を塩田さんに任せ、私は刈り取った草の運び出しをした。少しすると、塩田さんが草を抜き終わった。あっという間だった。さすが農家である。私なんかと違って、無尽蔵の体力だ。

草取りを終えると、草でふさがっていた向こう側の景色が見えた。日が落ちてしまって薄暗い風景だったけれど。トンネルが開通したような(味わったことないけれど)、そんな感動があった。

終わった。やりきった。

湧き出る達成感。小さな成功体験。それらによって生まれる自己肯定感。

「おつかれさまでした~」

「ありがとう。年に一度と言わず、また来てね」

いやいやいや、今回の農作業はさすがに草臥れた。しばらくNO作業だ。

農家廃業

「今年も行っていいですか?」

2025年のお盆休みが近づいてきたある日、塩田さんにメッセージを送った。しかし、なかなか返事は来ず。

どうした? 塩田さん。来てほしいんでしょ? 今年も一緒に草を抜きたいんでしょ?

「来て!来て!待ってます!」というメッセージが瞬時に返信されるものだろうとばかり思っていたのに、メッセージを送ったその日に返信は来ず、次の日も来なかった。

そしてその次の日。やっと塩田さんからメッセージが返ってきた。その内容に、驚かずにはいられなかった。

「ごめん。俺げの畑、もうなくなっちゃったんだよ」

えぇぇ?! どうゆうこと?!

「ま、簡潔に言うと廃業でさぁね」

は、廃業? まさか、と思ったが、近年塩田さんの畑に行って、いろいろと話を聞いてきた中で、確かに経営が苦しいようなことは言っていた。けれど、廃業するほどに厳しかったとは。

「飯でも食いに行くかい?」

もちろん! ということで、2025年の夏は塩田さんと草取りをするのではなく、飯を食いに行ってきた。

「最近、Tiktok始めてさ、ポイ活なんだけど。それに載ってた店に行ってみたいんだけど、いい?」

し、塩田さんがTiktok? ポイ活? 農家らしからぬ行為に思えたが、元WEBディレクターの塩田さんらしいといえば、らしい。ちなみに私もガッツリとポイ活をしていた。

「いいっすよ、どこっすか?」

「茨城町にいいお店があるんだよ」

私は住んでいる水戸市から茨城町を通って塩田さんの住む鉾田市にやってきて、塩田さんを乗せてまた茨城町で飯を食って、で、また鉾田に戻って塩田さんを送って茨城町を通って水戸に帰ることになるが(要するに無駄に行ったり来たりすることになる)、この日ばかりは仕方ない、廃業した塩田さんの気が済むならば何だってしてあげたい気持ちだった。

水戸市を出発し、鉾田市で塩田さんを乗せて、茨城町の店に向かいながら、塩田さんの近況を聞いた。

2025年3月、塩田さんは今まで12年間耕してきた畑を手放すことになり、「自営農家」ではなくなった。細かいことはよくわからないが、理由はお金にある。何年か前の夏にも「自転車操業だよ」とぼやいていたのを思い出す。

それからの塩田さんは「自営農家」ではなくなったが「農業」は続けているようで、2025年8月の時点で、茨城町のニラ農家のもとで「雇われ農家」として働いているという。

それを聞いて、少し安心した。無責任な話だが、私の知っている塩田さんは「農家」の塩田さんであり、塩田さんが「農家」だから、元・雇われ農家であり趣味のブログで農家のことをちょっとだけ書いている私と「縁」があってつながれているような気がしていて、塩田さんが「農家」でなくなることで、そのつながりがなくなってしまうのでは? という恐れを少しばかり抱いていた。

また、同時に自分自身への不甲斐なさを感じた。大変な思いをしていた塩田さんを救ってあげることができずに、廃業させてしまった。わかってはいたが、年に一度の草取りの手伝いなど、まったく手伝いになっていなかった。塩田さんの喋り相手くらいにしかなれていなかった。

そう思うと、途端に責任を感じた。私ごときがどうこうできる問題ではなかったのだろうけれど、それでも、苦しむ友を救ってあげたい気持ちは心の中にはあって、だったらもう少し草取りを手伝えばよかったと後悔した。年に1度ではなく、せめて、年に2度くらい。

「ここの刺身定食がすごいのよ。Tiktokで見ると。盛りがよくてさ」

開店少し前に茨城町の食堂に到着した。塩田さんがそう言うので、開店早々店に入って刺身を注文しようとすると、「今日は予約が入ってて、刺身が切れちゃって」と店員が言う。

なんのこっちゃ。仕方ないから肉を注文する。お値段は、まぁまぁ高い。高い分、肉の盛りが良いのだろうと思ったが、到着した肉を見ると4切れほどしか皿に載せられていない。味の方はお値段程度にうまかったが、気分は「海鮮」だったので何となく満足できない。

「もう一軒、行きますか」

「そうしよか」

私は再び車を走らせ、塩田さんおすすめのラーメン屋がある鉾田市に戻る。ラーメン屋の前に着くと、明かりがついていない。店休日だ。

「寿司にしましょうか。さっきのリベンジで。魚食いましょう」

また少し戻ったところにある、鉾田の「はま寿司」に入る。念願の海鮮を食べながら、また、塩田さんと話す。

「農業を辞めようとは思わなかったんですか?」

「正直農業が向いてないかも、とは思った。違う仕事もちょっとは考えたよ。でも年齢的にも、また仕事を一から覚えなきゃいけないことを考えても、それはないかなと」

「例えば、前のWEBの仕事とかは?」

「ないっす」

「え、なんで?」

「面白くないもん。自分がやっていた時と時代も違うし」

塩田さんがWEBディレクターをやっていた時はi-modeの時代。Tiktokのような動画コンテンツなんてもってのほかで、テキストが情報の中心だった。

「少ない情報量の中で、どうやって面白くしようかと考えていた時代だからね。今とはまるで違う」

「確かに、今のWEBの仕事は動画だのAIだのといろいろとややこしそうですね」

と話を聞きながら、私はスマホでポイ活のための広告視聴をせっせと進める。

「ポイ活してるやん、話聞いてないやん」

「いやいや、この作業はもはや日常的なものであって、デイリータスクの一つとして何の思考もせず処理しているだけなので、話を聞く分には何ら問題ないっす。今の仕事でマルチタスク能力も鍛えられたので」

「ああ、そうなの。マルチタスクねぇ」と不満げな塩田さん。

「大丈夫です、ちゃんと聞いてますので」と広告視聴を続けるどこまでも失礼な私に向けて、塩田さんは話を続ける。

「時代が変わって、見せ方や手段が変わっても、結局はネタ自体が面白くないとダメなんだよね。だったら前にも言ったけれど自分でネタを作る方にまわった方が面白い」

「そういえば、昔ブログのインタビューをした時にそんなこと言ってましたよね」

そのインタビューをしたのが、2015年。10年前の言葉が、今も塩田さんの中で生きている。なんて素晴らしいことだろうか、と私は感心した。

「『大元になるもの』を作る仕事がしたい」、当時の塩田さんは言っていた。それが塩田さんにとっては「農業」だった。

「やっぱり農業が面白いんだよね」

「ニラ農家で働いてみて、どうですか?」

「自分とはジャンルが違う農業をやっている人だから、いろいろな話が聞けて面白いよ。こっちの話も面白そうに聞いてくれるし、もっと聞いてみたいことがたくさんある。今までよりも楽しいかもね」

そうか、と思った。塩田さんはパートを雇っていたとはいえ、農業をしていて孤独を感じていたのだと思う。パートは高齢者の方が多く、年齢的にも立場的にも、心を許して話し合えることはなかったのだろう。それが、今は自分が今までやってきた「自営」をしている農家と一緒に働いている。今まで自分が作ったことがない野菜を作っている農家で、年齢も近いという。塩田さんにとって、パートナーと呼べるような存在ができたのではないか。農業を始めて13年目の夏に。

「経営者ではなくなった分、気楽になったのもあるよね」

「塩田さんはサポートの立場が向いているのかもしれないですね」

2023年の夏に草取りをした時、塩田さんは「自分には人を集める力がない」ようなことを言っていたのを思い出してそう言った。

なんだ、これでよかったのかもしれないな、と思った。自営農家は廃業したけれど、塩田さんは農業を続けながら、新しい道を歩み始めている。そして、その今を楽しめているし、未来のことも楽しめそうではないか。塩田さんに会って話を聞いて、そんな風に思った。

寿司を食べ終えて、塩田さんの家まで送る。車の中でも塩田さんが語り出した。

「フリーファーマーって前に話したんだけど、覚えている?」

ごめんなさい、まったく覚えていない。それ、本当に私に話しました?って疑っちゃうくらいに。

「なんでしたっけ?」

「技術を持った農家がさ、いろんな農家のところに手伝いにいくってやつ」

そこまで聞いても、やっぱり思い出せない。けれど、「ああ、言ってましたね、そんなこと」と話を合わせる。

「実は今回のことがあって、いろいろな人に声をかけてもらったのよ。俺のところで野菜作らないか?って。12年間農業やってきて、JGAPも有機JAS認証も取得して、そういう農業経験を持つ俺なんかがさ、意外に需要があるんじゃないかって思ったわけ」

「確かに。貴重な経験をしていますよね」

「日本ではずっと農業やる人が少なくて困っているけれど、海外には農業に対して手厚い国もあるわけで。日本の農業は最先端をいっている、というイメージがあるけれど、それよりも進んでいる国もある。このままだと日本の農業もどんどん先を越されてしまうかもしれないよね」

「農業をやる人がいないということは、自分たちで食べるものを自分たちで作れなくなってしまう、ということですからね。国としてとても弱い立場になってしまいますよね」

農家というのは、貴重な存在だ。それなのに、塩田さんは廃業してしまった。もっと農家を国が守るべきではないか。そんな話を最後にして、塩田さんと別れた。

夜の鉾田は、裏通りに入ると明かりが少なくて、それこそ真っ暗闇の状態で、私はどこを走っているのかわからなくなって、道に迷ってしまった。

訳のわからぬまま暗い夜道を走り続け、塩田さんとの会話を思い出した。塩田さんの気持ちには迷いがなかった。明るい未来に胸を躍らせているような感じすらした。

辺りに何もない暗い道であったが、少し遠くに見える明るい街の光を目掛けて走り続けると、知っている道に出た。迷いは晴れた。あとは、突き進むだけだ。

▼ブログでの連載「行方市の塩田さん」シリーズ(全6話)


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