オートファジー

生命は、作ることで維持されているわけではない。
むしろ、壊すことでしか維持できない。

大隅良典が明らかにしたオートファジーは、その事実を端的に示している。
細胞は、古くなったタンパク質や壊れた小器官を自ら分解し、材料として再利用する。
一見すると自己破壊だが、それを止めた瞬間、細胞はゴミに埋もれて機能を失う。

つまり、生きるとは、蓄積することではない。
捨て続けることだ。

アンリ・ベルクソンは「生命には物質の下る坂を上ろうとする努力がある」と言った。
エントロピーは必ず増大する。秩序は放っておけば崩れる。
にもかかわらず、生命は局所的な秩序を保とうとする。

だがそれは、法則に逆らっているわけではない。
外からエネルギーを取り込み、内部で生じた乱れを外へ捨てることで、かろうじて均衡を保っているにすぎない。

その「捨てる」装置のひとつが、オートファジーだ。

興味深いのは、ここに「破壊のプログラム」が組み込まれているという点である。
DNAは単に何かを作る設計図ではない。
同時に、それを壊し、更新するための手順書でもある。

作ることが本質なのではない。
壊すことが、先にある。

だからこそ、作り直せる。

福岡伸一の言う「動的平衡」とは、静止した安定ではない。
絶えず壊し、絶えず作り替えることで、結果として保たれている均衡である。

もし壊さないのであれば、そこにはただの蓄積が起こる。
蓄積はやがて濁りとなり、機能不全へと至る。

人間の生活も、これとあまり変わらない。
捨てられない人間は、やがて動けなくなる。
関係も、所有も、価値観も、溜め込めば溜め込むほど重くなる。

にもかかわらず、人は「持つこと」ばかりを肯定する。
増やすことを成長と呼び、壊すことを失敗と呼ぶ。

だが、生物の設計は逆だ。

壊すことを前提にしている。
むしろ、壊せなくなったときに、終わる。

生命とは、保存ではない。
更新である。

そして更新とは、必ず、破壊から始まる。

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