【登らない勇気を知った日】
毎日忙しく過ごしているうちに、気がつけば二か月ぶりの山登りだった。
いつものように金曜の夜に出発し、
車中泊で朝を迎える。
今回の目的地は、くじゅう山。
私にとって、くじゅうはずっと憧れの山。
どこか「本格的な山」というイメージがあって、正直少し怖かった。
それでも、少しずついろんな山を歩く経験を重ねるうちに、いつしか思うようになった。
いつか、登ってみたい。
そう思えた山だ。
だから今回の山行は、いつも以上に楽しみにしていた。
準備も入念にした。忘れ物がないか何度も確認し、新しい登山手袋まで購入。
気持ちは、ワクワクとドキドキでいっぱい。
登山を始めて一時間ほど経った頃。
なんとなく空気が変わった。
雲行きが怪しい。
風が少しずつ強くなり、雨が降る前の湿った匂いが立ち込めてきた。
嫌な予感がした。
しばらくすると、ぽつ、ぽつ、と小さな雨粒が落ちてきた。
ついに降り始めたかぁ。。
周りの本格的な登山の人たちは、そんな状況も何のその。
雨具をさっと装着し、山頂を目指してどんどん進んでいく。
その姿を見ていると、気持ちが揺れた。
みんな行ってるのに、私たちだけ引き返していいんじゃろうか。
ここまで来たのに。楽しみにしていた、くじゅうなのに。
気づけば私は、雨よりも、周りと自分たちを比べて焦りはじめる。
引き返すことが、まるで負けのように思えてしまう。
しばらく夫と立ち止まって話しあう。
進むか。戻るか。
迷っている私の顔を見て、夫が言った。
「今回は、やめとこう」
まぁ、驚くほど、あっさりした口調。
もっと迷うと思っていて、
もう少し頑張れるんじゃないか、と言うかと思っていた。
でも夫は違った。
未練も、意地もない。
ただ、今の状況を見て、自然に判断しただけだ。
その時、ふと思った。
ああ、この人は、周りを見て決めていないんだ。
他の登山者が進んでいるかどうか。
山頂まで行けるかどうか。
そんなことより、
今の私たちにとってどうか。
それだけを見ている。
引き返すと決めて山を下りた頃には、雨はすっかり本降りになっていた。
もしあのまま進んでいたら、どうなっていただろう。
そう思うと、夫の判断は間違っていなかったのだと思えた。
車に戻ると、夫がお湯を沸かし、
いつものインスタントコーヒーを淹れてくれた。
湯気の立つ紙コップを両手で包む。
冷えていた指先に、じんわりと温かさが戻ってくる。
張りつめていた気持ちまで、少しずつほどけていく気がした。
そのあと温泉に入り、露天風呂から雨に煙る山を眺めた。
さっきまで悔しくて仕方なかったはずなのに、不思議と思わず声が出た。
「きれいじゃね」
夫も静かにうなずいた。
山頂には立てなかった。
でも、山の価値は頂上だけにあるわけじゃないのかもしれない。
そう思えた。
昔の私は、頑張ることしか前に進む方法を知らなかった。
仕事も、家庭でもそうだった。
医療の現場では、患者さんの小さな変化を見逃さないよう神経を張り、
スタッフが困る前に先回りする。
家に帰れば、今度は家族が困らないように動く。
誰かが転ぶ前に支える。何かが崩れる前に整える。
気づけば私は、いつも少し先の景色を見ながら生きていた。
だから、立ち止まることが苦手で、
引き返すことは、もっと苦手だった。
無理をしてでも踏ん張ることが、
自分の役割であり、強さなのだと思っていた。
でも五十代が見えてきた今、少しだけ分かってきたことがある。
進み続けることだけが、前に進むことじゃない。
引き返すことで守れるものもある。
登らない選択が、次の挑戦につながる日もある。
あの日、私たちは山頂には立てなかった。
でも山頂とは別の場所で、ひとつ大事な景色を見た気がする。
頑張らない勇気。
手放す勇気。
そして、引き返す勇気。
人生にもきっと、そんな勇気が必要な日があるのだと思う。
【今回の(私の)教訓】
・引き返すことは、負けじゃない。
・周りが進んでいても、自分たちのペースでいい。
・登らない勇気が、次につながる日もある。
今回も私のnoteにお付き合いしていただきありがとうございました🍔
