【夫はいつも少し前を歩く】
五十代が見えてきて、圏外にしたいものが変わった。
若い頃は、終わらない家事や子育てから逃げたかった。
今、少しだけ手放したいのは、ちゃんとしていなければ、という気持ちのほうだ。
金曜の夜。
仕事を終え、慌ただしく家を出る。
車のドアを閉める。
バタン。
その音と一緒に、仕事の肩書きも、家事も、ちゃんとしなければという気持ちも、少しずつ圏外になる。
夫がいつものようにドライブスルーへ車を滑り込ませる。
「いつものでいい?」
もう何年も聞き慣れたその言葉に、私はだいたい同じ返事をする。
助手席に置かれた紙袋は、まだ少し温かい。
包み紙を開くと、ハンバーガーとポテトの匂いがふわっと広がる。
不思議なことに、その匂いを嗅ぐと分かる。
ああ、今週も終わった。
そして今夜は、少し特別な夜になる。
私たちは時々、そんなふうに日常を圏外にして山へ向かう。
山を歩くたび、思うことがある。
夫は、いつも少し前を歩く。
近すぎず、遠すぎず。
視界からは消えないけれど、手を伸ばしても届かない距離で。
若い頃の私は、その距離が嫌だった。
夫は昔から、良くも悪くもマイペースな人だ。
こちらがどれだけ忙しくても、自分の歩幅で動く。
子どもが小さかった頃は、よくイライラした。
朝は戦場だった。
朝食、洗濯、保育園の準備、仕事の支度。
頭の中では、やるべきことがいつも渋滞していた。
どうしてもっと周りを見てくれないんだろう。
どうして私のペースに合わせてくれないんだろう。
あの頃の私は、夫婦とは横に並んで歩くものだと思っていた。
同じ速さで、同じ景色を見て、同じタイミングで立ち止まるものだと。
そんな考えが少し変わったのは、初めて三瓶山を登った時だった。
登山初心者の私は、開始早々、息が上がった。
ゼーゼー言いながら、立ち止まってはまた一歩進む。
たった一歩が、なかなか出ない。
もう無理かもしれない。
そう思いながら、ふと顔を上げた。
視界の少し先に、夫がいた。
足を止め、何も言わず、遠くの景色を眺めていた。
その背中を見た瞬間、分かった。
ああ、この人は待ってくれていたのだ、と。
急かすでもなく、励ますでもなく、手を引っ張るでもなく。
ただ、自分の少し前で。
私が自分の力でここまで来るのを、静かに待っていた。
山道には、自分の足だけでは越えにくい場所がある。
大きな段差のある岩場。
ぐらつく石。
踏み外せば転びそうな足場。
そんな時だけ、夫は振り返る。
何も言わず、自然に手を差し出す。
時には、そっと肩を貸してくれる。
その手を借りて、一歩、また一歩と進む。
三瓶山で気づいたのは、夫の優しさだけではなかった。
気づいたのは、自分のほうだった。
気づけば私は、いつも先回りする人になっていた。
職場でも、家でも。
誰かが困る前に動き、転ばないように支える。
それが自分の役割で、強さだと思っていた。
だから、支えてもらうことが苦手だった。
頼ることは、弱さだと思っていたのかもしれない。
でも山では、自分の足だけでは越えられない場所がある。
どれだけ頑張っても、一人では危うい場所がある。
そんな時、夫は静かに手を差し出した。
その手を借りた時、私は少し驚いた。
ああ、支えてもらうって、こんなに静かなものなんだ。
誰かに頼ることは、弱くなることじゃない。
差し出された手を取ることは、甘えでもない。
その手を取ってもいいと、自分に許してあげることなのだと、その時少し分かった気がした。
夫は、今日も少し前を歩く。
私はたぶんこれからも、先を読んで背負いすぎてしまう。
すぐには変われないのだと思う。
それでもいい。
せめて金曜の夜くらいは、
支える側でいる自分も、少し圏外にして。
少し前を歩くあの背中を、
見失わないでいたい。
