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『虚月記 巻第五 虚月(きょげつ)の章』

夫れ。
月は天に在るものに非ず。
人がそう思い込みしのみ。

玄海。
己が名を失いたり。
己が過去を失いたり。
己が存在を失いたり。
然れど。
一つのみ。
失われざるものあり。

恐怖なり。

石塔の下。
玄海は立ち尽くす。
己が何者か知らず。
何故此処に在るか知らず。
然れど。
巨大なる眼のみを見上げたり。

その時。
空裂けたり。

否。
空と思われしものが裂けたり。

蒼白き都。
黒き海。
巨大なる石塔。
その悉く。
世界に非ず。

一つの瞳の内側なり。

玄海。
遂に知る。

虚月とは月に非ず。

巨大なる眼なり。

遥か太古。
人も。
国も。
文明も。
未だ存在せざる頃。

天より一つの眼落ちたり。

眼は死なず。
眠らず。
朽ちず。

ただ世界を見続けたり。

百年に一度。
瞼開く。

その時。
門現る。

人は其れを島と呼び。
人は其れを神と呼び。
人は其れを月と呼びたり。

然れど。
其の正体。

「観測者」
なり。

眼は世界を見ていたに非ず。

人を見ていた。

人の記憶。
人の名。
人の歴史。
人の悲しみ。
人の喜び。

その悉くを蒐集していたり。

故に。
門を越えし者は。
名を奪われ。
記憶を奪われ。
存在を奪われたり。

其れら全て。
眼の糧なればなり。

その時。
石塔震えたり。

数億の名前。
光を放つ。

弥吉。

玄海。

名も知られぬ漁夫。

忘れ去られし王。

滅びし国の民。

数知れぬ名。
一斉に輝けり。

而して。
石塔の頂。
声響けり。

※虚月記、最終記録。
門の終焉と玄海の選択はここより先に記される。

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