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スリランカの歴史―仏教王権、植民地支配、民族対立、経済危機


はじめに

スリランカの歴史は、しばしば「シンハラ人とタミル人の対立」「仏教国家の興亡」「ヨーロッパ植民地支配」という別々の物語として説明される。しかし犬飼裕一の三世界・四資本論を用いると、それらを一つの歴史的過程として把握できる。

三世界論では、社会を次の三領域に区別する。

世界1は、島、海、山地、河川、乾燥地帯、人間の身体、貯水池、寺院、要塞、道路、茶園などの物質的世界である。

世界2は、仏教信仰、王への忠誠、民族的誇り、被害意識、恐怖、復讐感情、国家への期待などの主観世界である。

世界3は、王権、仏教教団、年代記、民族、言語、法律、国家、植民地行政、選挙、社会主義、国民統合など、人間が作り出しながら個人を超えて存続する制度・知識・象徴の世界である。

四資本論は、社会を動かす力を次の四種類に区別する。

文化資本
経済資本
社会関係資本
暴力資本
(四つの資本は暴力資本が基盤であり下から上に規定している)

暴力資本は、軍隊、武器、警察、要塞、処罰能力などである。社会関係資本は、王と家臣、僧院、親族、カースト、村落、政党、後援者と支持者の関係などである。経済資本は、土地、貯水池、港湾、香辛料、茶園、企業、外貨などである。文化資本は、仏教、ヒンドゥー教、言語、教育、文字、法、歴史認識、資格などである。

スリランカ史の中心問題は、これら四資本を誰が保有し、どのような世界3によって正当化してきたかにある。


一 島という世界1

スリランカはインド南端に近いインド洋上の島である。島であることは外部世界からの完全な孤立を意味しない。むしろ南インド、東南アジア、中東、ヨーロッパを結ぶ海上交通の中継地となる条件だった。

同時に、島内には大きな地域差がある。北部・東部や北中央部には乾燥地帯が広がり、南西部には降水量の多い湿潤地帯がある。中央部には山岳地帯が存在する。

この世界1上の違いは、政治と経済の構造を規定した。

乾燥地帯で大規模な稲作を行うには、降雨だけに依存せず、貯水池や水路を建設して水を管理しなければならない。そのため古代王権は、農民を組織し、水利施設を建設・維持し、収穫物を徴収する必要があった。

一方、海岸部は海外貿易に開かれ、港湾を支配する勢力は、真珠、宝石、象、香辛料などを経済資本へ変換できた。

したがってスリランカ史は、

[内陸の灌漑農業国家]

[海岸の交易ネットワーク]

という二つの経済的基盤の組み合わせとして始まった。


二 先史社会と南インド世界

スリランカには先史時代から人間が居住していた。やがて農耕、鉄器、定住集落が広がり、紀元前一千年紀には南インドと深く結びついた社会が形成された。

ここで重要なのは、古代から固定された「シンハラ人」と「タミル人」という二民族が明確に分かれていたわけではないことである。

島と南インドの間では、人間、婚姻、言語、宗教、商品、軍事集団が継続的に移動していた。パーリ語年代記が伝えるシンハラ王統の物語も、後世に形成された世界3として読む必要がある。

『マハーワンサ』などの年代記では、北インドから来た王子ウィジャヤがシンハラ王国の祖とされる。しかしこれは、近代歴史学がそのまま事実として採用できる移住記録というより、王権と民族の起源を説明する政治的・宗教的物語である。

三世界論でいえば、年代記は世界1の過去を直接保存したものではない。

過去を仏教王国の歴史として再構成した世界3

である。

この物語が繰り返し読まれることで、人々の世界2に「この島はシンハラ仏教王国である」という自己理解が形成される。さらに近代には、その歴史認識が選挙、言語政策、民族運動へ影響することになる。


三 アヌラーダプラ王国と仏教の導入

紀元前四世紀頃から、アヌラーダプラが島の主要な政治中心として発展した。同市は長期間にわたって政治・宗教の中心となり、紀元前三世紀にはインドから仏教が伝えられた。菩提樹の分枝を中心として聖地が形成され、僧院群が発達した。アヌラーダプラは約十三世紀にわたって首都・宗教都市として機能したとされる。

仏教の導入は、個人が新しい宗教を信じるようになっただけの出来事ではない。

仏教は、

  • 王を仏法の保護者とする政治思想

  • 僧侶を組織する教団

  • 寺院と僧院

  • パーリ語の経典

  • 戒律

  • 聖地と巡礼

  • 王国の年代記

を含む巨大な世界3だった。

王は僧団へ土地や貯水池を寄進した。僧団は王の正統性を承認し、王を仏教秩序の保護者として位置づけた。

四資本の循環は、次のように表せる。

[王の暴力資本 土地と水利の支配 ⇒ 寺院への寄進 ⇒ 僧団の文化的承認 ⇒ 王権の強化]

王が僧団を保護するほど、仏教教団の経済資本と文化資本は拡大する。一方、僧団が王を正統な支配者として認めることで、王の暴力は単なる強制ではなく「仏法を守る力」へ変換された。


四 貯水池国家と四資本の集中

古代スリランカ文明の特徴は、大規模な貯水池と水路の建設にある。

貯水池は世界1に属する。しかし、水をためる物理的施設だけでは農業は成り立たない。

必要なのは、

  • 土木技術という文化資本

  • 農民と技術者の協力という社会関係資本

  • 労働力を動員する暴力資本

  • 生産された米という経済資本

である。

したがって貯水池は、三世界と四資本が交差する装置だった。

王は水利施設を建設し、農地を拡大する。農業生産が増えると、税や貢納が増える。それによって軍隊、官僚、僧院、建築事業を維持できる。

[水利建設 ⇒ 農業余剰 ⇒ 徴税 ⇒ 王権・軍隊・僧院 ⇒ 新しい水利建設]

という自己増殖的な循環が形成された。

アヌラーダプラの巨大な仏塔、僧院、宮殿は、単なる宗教的建造物ではない。王権が集めた農業余剰を文化資本へ転換し、それを再び世界1の巨大建造物として固定したものである。

巨大仏塔は、建設した王が死んだ後にも残る。人々はそれを見ることで、仏教と王権の偉大さを再確認する。

これは、世界3が世界1へ物質化され、後世の世界2を形成する仕組みである。


五 仏教王権と南インド勢力

古代スリランカは南インドから孤立していなかった。南インドの王朝や軍事勢力が繰り返し島へ進出し、島側の王も南インド政治に関与した。

しかし、これを近代的な「シンハラ対タミル」の民族戦争として単純化すべきではない。

古代・中世の抗争は、

  • 王位をめぐる競争

  • 王族間の同盟

  • 港湾と交易の支配

  • 農業地帯の獲得

  • 傭兵の利用

  • 宗教施設への保護

などが絡み合った政治戦争だった。

南インド出身の支配者も、島を統治するために既存の行政制度や宗教組織を利用した。逆にシンハラ系とされる王も、南インドの軍事集団や婚姻関係に依存することがあった。

ここでは「民族」という世界3よりも、王家、軍事集団、僧団、地域勢力などの社会関係資本が大きな役割を果たしていた。

近代民族主義は、こうした複雑な歴史を、

[仏教徒シンハラ人

ヒンドゥー教徒タミル人]

という二項対立へ再編集した。

歴史上の対立が近代の民族物語を生んだだけではない。近代の民族物語が、過去の出来事を民族対立として読み直したのである。


六 チョーラ支配とポロンナルワ王国

十世紀末から十一世紀初頭、南インドのチョーラ朝がスリランカへ進出した。アヌラーダプラは破壊され、首都機能はポロンナルワへ移された。ポロンナルワにはチョーラ系のヒンドゥー建築と、その後のシンハラ王による仏教建築の双方が残されている。

チョーラ朝の強みは、南インドとインド洋にまたがる広域的な暴力資本と経済資本にあった。

  • 組織された軍隊

  • 艦船

  • 港湾

  • 徴税制度

  • 南インドの政治ネットワーク

を結合し、島の中央部まで支配した。

しかし外来軍事勢力が島を占領しても、島内の社会関係資本と文化資本を完全には消滅させられない。

十一世紀後半、ウィジャヤバーフ一世がチョーラ勢力を排除して王国を再建した。十二世紀のパラークラマバーフ一世の時代には、ポロンナルワを中心として王権が強化され、灌漑施設、都市、寺院が整備された。

ポロンナルワ王国は、

[軍事的再統 ⇒ 水利・農業の再建 ⇒ 僧団の再編 ⇒ 王権の正統化]

という四資本の再集中によって成立した。

しかし王が僧団を統一・粛正する行為は、宗教が政治から独立していたわけではないことを示している。

王は仏教を保護しただけでなく、どの僧団を正統と認めるかを決定することで、文化資本の配分を統制したのである。


七 王権の分裂と南西部への移動

ポロンナルワ王国の衰退後、島では統一王権が長期間安定しなくなった。

北部にはジャフナ王国、南西部にはコーッテ王国、中央山地にはキャンディ王国などが形成された。島全体の四資本は、複数の政治主体に分有された。

ジャフナ王国

北部のタミル語社会、南インドとの海上関係、ヒンドゥー寺院、地域的王権を基盤とした。

コーッテ王国

南西部の湿潤地帯、港湾交易、シナモンなどの商品、仏教王権を基盤とした。

キャンディ王国

中央山地の地形、地方首長との関係、仏歯を保有する宗教的正統性を基盤とした。

特に仏歯は、強力な文化資本だった。仏歯を保有し、儀礼を執行する王が、仏教王国の正統な支配者と考えられた。キャンディは最後のシンハラ王国の首都となり、仏歯寺を中心とする宗教都市として発展した。

ここでは、小さな物体である仏歯が巨大な政治的効果を持つ。

仏歯自体は世界1の物体である。しかし、それを「仏陀の身体の一部」「王権の正統性の源泉」とする物語は世界3であり、人々の信仰は世界2に属する。

[世界1の聖遺物
+世界3の王権思想
+世界2の信仰
⇒ 文化資本]

という構造である。


八 ポルトガルの進出

十六世紀初頭、ポルトガル人がスリランカへ来航し、次第に沿岸地域へ進出した。

ポルトガルの目的は、島全体を直ちに領土化することではなかった。インド洋交易路と港湾を支配し、特にシナモンなどの商品を独占することが重要だった。

ポルトガルは、

  • 艦船と火器という暴力資本

  • 国際的商業網という社会関係資本

  • 貨幣・香辛料貿易という経済資本

  • カトリック教会という文化資本

を結合して進出した。

しかしポルトガル人は島内で圧倒的多数ではなかった。そこで現地王国の内紛、王位継承争い、地方有力者との同盟を利用した。

外来の暴力資本が、島内の社会関係資本へ接続されたのである。

カトリックへの改宗も、信仰だけの問題ではなかった。改宗によってポルトガルとの保護関係、教育、官職、交易機会に接近できる場合があった。

世界2の信仰、世界3の宗教制度、社会関係資本、経済的利益が重なっていたのである。


九 オランダ東インド会社の支配

キャンディ王国は、ポルトガルを排除するためオランダ東インド会社と協力した。しかしオランダはポルトガル沿岸領を奪うと、それをキャンディ王へ返還せず、自ら支配した。

オランダは一六三八年から一六五八年にかけてポルトガルの沿岸拠点を占領し、海岸部を支配した。十八世紀末にイギリスがこれらの地域を奪うまで、オランダ東インド会社が主要な沿岸支配者となった。

ポルトガルが軍事・布教を前面に出したのに対し、オランダ東インド会社は、より体系的な商業行政を構築した。

  • シナモンの独占

  • 土地・人口の登録

  • 税制度

  • 会社官僚制

  • 港湾要塞

  • ローマ=オランダ法

などが導入された。

オランダ支配の特徴は、世界3を文書化したことである。

人間関係、土地、相続、婚姻、労働義務が記録され、個人的な慣習が植民地行政の分類へ組み込まれた。

文書は中立的な記録ではない。

植民地国家が人間と土地を把握し、徴税・動員するための文化資本

だった。

ガレ要塞は、オランダ支配の四資本を象徴している。城壁と砲台は暴力資本、港は経済資本、会社組織は社会関係資本、法・地図・会計は文化資本である。


十 イギリスによる島全体の統合

一七九六年、イギリスはオランダの沿岸領を占領した。さらに一八一五年にはキャンディ王国がイギリスの支配下に入り、ヨーロッパ勢力として初めて島全体を単一の植民地政府のもとに置いた。

これはスリランカ史上の決定的な転換だった。

古代王権は島全体の支配を理念として掲げても、実際には地域的な分裂が繰り返された。ポルトガルとオランダも沿岸部を中心に支配した。

イギリスは、

  • 常備軍と警察

  • 中央官僚制

  • 統一的な裁判・税制度

  • 道路と鉄道

  • 英語教育

  • 全国的な国勢調査

によって、島を単一の世界3へ編成した。

今日のスリランカ国家の領域、行政区画、中央集権的構造の多くは、この植民地的統合を前提としている。

ここには逆説がある。

植民地支配は島を政治的に統一したが、民族、言語、宗教を分類し、後の対立の基礎も作った。


十一 プランテーション経済と新しい階層

イギリス植民地期には、中央高地にコーヒー、続いて茶、ゴムなどの大規模農園が形成された。

道路と鉄道は、地域社会を結ぶ公共施設としてだけでなく、農園の商品を港へ運び出すために建設された。

世界1としての山地、森林、道路、鉄道が、世界市場という世界3に組み込まれたのである。

農園には大量の労働力が必要だったため、南インドからタミル人労働者が移住した。これによって、従来から北部・東部に居住していたスリランカ・タミル人とは異なる、山地のインド系タミル人社会が形成された。

植民地社会の四資本は次のように分かれた。

主体主に保有した資本イギリス植民地国家暴力資本・行政的文化資本ヨーロッパ農園主経済資本現地上層・官僚英語教育という文化資本村落・カースト共同体地域的社会関係資本農園労働者労働力以外の資本が乏しい状態

英語教育を受けた少数者は、官僚、法律家、医師、政治家となった。

文化資本が、植民地国家への接近と経済的上昇の手段になったのである。

しかし英語文化資本を持つ上層は、シンハラ人にもタミル人にも存在した。独立運動の初期には、両者が植民地政府に対して協力することもあった。


十二 独立と多数派民主主義

一九四八年、セイロンはイギリスから独立した。

独立によって国家の世界3は植民地帝国から現地政治家へ移った。しかし、官僚制、単一国家、議会制度、英語教育、輸出経済など、植民地期に形成された構造は継承された。

問題は、民主主義が単純な多数決として作動したことである。

シンハラ人が人口多数派であるため、選挙競争ではシンハラ語と仏教を強調する政党が有利になった。

一九五六年にはシンハラ語を唯一の公用語とする政策が採用された。これは英語支配を終わらせ、シンハラ語話者に行政への道を開く脱植民地化政策という側面を持った。

しかしタミル語話者にとっては、行政、大学、雇用へ接近する文化資本を失わせる政策となった。

同じ制度が、集団によって異なる意味を持ったのである。

シンハラ側の世界2

「植民地期に奪われた言語と仏教を回復する」

タミル側の世界2

「多数派が国家制度を独占し、自分たちを排除する」

言語法という世界3が、双方の被害意識を強めた。


十三 仏教ナショナリズムと世界3の硬化

一九七二年、セイロンは共和制へ移行し、国名をスリランカとした。仏教には国家による特別な位置が与えられ、単一国家的性格が強化された。

古代の仏教王国という歴史像が、近代国家の正統性へ接続されたのである。

ここで注意しなければならないのは、仏教そのものが必然的に民族対立を生み出したわけではないことである。

問題は、

[仏教
+シンハラ語
+国家
+多数決]

が一体化し、「国家の正統な所有者」を特定する世界3になったことである。

古代年代記に登場する王と外敵の物語が、現代の民族関係へ投影された。

南インドから来た王や軍隊との戦争が「シンハラ人対タミル人の永遠の戦争」として読み直されると、現在のタミル住民まで歴史的外敵の延長として理解される危険が生じる。

過去が現在を説明するだけではない。

現在の政治的対立が、過去を作り替えるのである。


十四 タミル民族運動とLTTE

当初、タミル人政治家の中心的要求は、独立国家ではなく、言語的平等、地方自治、連邦制、教育・雇用上の公平などだった。

しかし協定の破棄、暴動、差別への不満が繰り返されると、若い世代の一部は議会政治への信頼を失った。

一九七〇年代以降、タミル・イーラム解放の虎、LTTEなどの武装組織が成長した。

LTTEは単なるゲリラ組織ではなかった。

  • 戦闘員、武器、自爆攻撃という暴力資本

  • タミル人地域と海外移民のネットワークという社会関係資本

  • 徴税、海外送金、密輸という経済資本

  • タミル・イーラム、殉教者、国旗、歴史物語という文化資本

を統合した。

北部・東部の一部では、警察、裁判、徴税、行政に相当する組織を設け、国家内部に並行国家を形成した。

これは暴力資本が世界3を生み出す過程である。

[武装組織 ⇒ 支配領域 ⇒ 徴税・司法・教育 ⇒ 国家を名乗る世界3]

一方、LTTEは他のタミル組織を排除し、反対者を殺害し、タミル社会内部の暴力資本を独占しようとした。

「民族解放」の文化資本が、内部の異論を抑圧する装置にもなったのである。


十五 内戦と暴力資本の全面化

一九八三年の反タミル暴動を大きな契機として、政府とLTTEの内戦が本格化した。

国家側は軍隊、警察、予算、国際的承認を持っていた。LTTEは地域的支持、海外ネットワーク、ゲリラ戦能力を持っていた。

双方とも、相手を単なる政治的競争者ではなく、共同体の存続を脅かす敵として描いた。

世界3の敵対的物語が、世界2の恐怖と復讐感情を生み、それが暴力資本の拡大を正当化した。

[敵の物語 ⇒ 恐怖 ⇒ 軍事化 ⇒ 現実の被害 ⇒ 敵の物語の強化]

という自己言及的循環である。

この循環の中では、相手の暴力が自分の暴力を正当化する証拠となる。和平を求める者は裏切り者として排除されやすくなる。

二〇〇九年、政府軍はLTTEを軍事的に壊滅させ、約三十年に及んだ内戦を終結させた。しかし国連は、戦争犯罪や人権侵害への説明責任、被害者救済、和解の過程がなお不十分だと繰り返し指摘している。

暴力資本による勝利は、戦争を終わらせることはできる。

しかし、

  • 被害の記憶

  • 土地問題

  • 行方不明者

  • 言語的不平等

  • 地方自治

  • 軍事化

という世界2・世界3の問題を自動的には解決しない。


十六 ラージャパクサ体制と戦後開発

内戦終結後、マヒンダ・ラージャパクサ政権は「テロリズムに勝利した指導者」という大きな文化資本を獲得した。

戦争勝利は、

  • 大統領一族の威信

  • 軍の影響力

  • シンハラ仏教ナショナリズム

  • 高速道路、港湾、都市開発

と結びついた。

インフラ建設は世界1を変え、観光、物流、雇用を生み出す可能性を持つ。しかし、大規模事業が政治的威信や選挙利益を優先して進められれば、経済合理性との乖離が生じる。

四資本の循環は、次のようになる。

[戦争勝利という文化資本 ⇒ 一族・側近の社会関係資本 ⇒ 国家予算・借入への接近 ⇒ 大型建設という経済資本 ⇒ 政権の威信]

ここでは公共的な国家資本と、一族・政党の社会関係資本との境界が曖昧になる。

国家を強くした政治家が、国家資源を自らの政治基盤へ変換するのである。


十七 二〇二二年経済危機とアラガラヤ

二〇二二年、スリランカは独立後最悪の経済危機に直面した。

外貨不足によって、燃料、医薬品、食料などの輸入が困難となり、停電、物価上昇、長い行列が発生した。政府は対外債務の支払いを停止した。

経済危機は、世界3の貨幣・信用制度が世界1の生活を直接停止させることを示した。

外貨準備は帳簿上の数字である。しかし、その数字が不足すると、実際の燃料船が入港できず、発電所、交通、病院が動かなくなる。

[世界3の債務・通貨危機 ⇒ 世界1の物資不足 ⇒ 世界2の怒り ⇒
社会運動]

という連鎖が起こった。

大規模抗議運動「アラガラヤ」では、学生、労働者、中間層、宗教者などが政権退陣を要求した。抗議者は大統領公邸を占拠し、ゴータバヤ・ラージャパクサ大統領は辞任した。

この運動では、SNS、スローガン、国旗、抗議キャンプという文化資本が、人々を結ぶ社会関係資本となり、政権の暴力資本を一時的に行使困難にした。

ただし、政権を退陣させることと、経済構造を再建することは別問題である。

抗議運動は既存政治への拒否を示したが、それだけで債務、税制、産業、福祉を再設計する制度にはならなかった。


十八 IMF改革と経済回復

スリランカは二〇二三年からIMFの拡大信用供与措置を受け、財政再建、債務 restructuring、外貨準備の回復、国有企業改革、汚職対策などを進めた。

経済は二〇二四年に五%成長し、二〇二五年にも回復が続いた。インフレ抑制と外貨準備の改善が進んだ一方、貧困、生活費、税負担などの問題は残っている。世界銀行は二〇二六年にも、回復は続いているが、雇用創出、競争力、社会的保護を伴う改革が必要だとしている。

三世界・四資本論から見ると、IMF改革は経済政策だけではない。

世界3

債務契約、税制度、中央銀行制度、予算規律。

世界1

燃料、電力、交通、食料、生産設備。

世界2

国民の安心、不安、改革への信頼、不公平感。

改革が世界3の数字だけを改善し、世界2の生活不安を放置すれば、政治的正統性は失われる。

一方、補助金や減税だけで人気を得ようとして財政・外貨の制約を無視すれば、再び世界1の物資不足を引き起こす。

世界1・2・3の均衡が必要なのである。


十九 アヌラ・クマラ・ディサナヤケ政権

二〇二四年九月、アヌラ・クマラ・ディサナヤケが大統領に就任した。彼は伝統的な二大政治勢力や有力家族による政治からの転換、汚職対策、行政改革などを掲げた。二〇二四年の議会選挙では、彼を支える国民人民勢力が大きな議席を獲得した。二〇二六年現在もディサナヤケが大統領を務めている。

この政治的変化は、二〇二二年のアラガラヤが生み出した文化資本の制度化と見ることができる。

抗議運動が作ったのは、

  • 既存政治家への不信

  • 一族支配への批判

  • 汚職追及

  • 新しい政治を求める期待

という世界2・世界3だった。

ディサナヤケ政権は、その期待を選挙、議会、行政という制度へ転換した。

しかし、反体制的文化資本を獲得することと、国家を運営することは異なる。

政権は、

  • IMF改革を継続しながら生活を守る

  • 投資を促進しながら腐敗を抑える

  • シンハラ多数派の支持を維持しながら少数派を統合する

  • 軍・官僚・既存企業との関係を再編する

必要がある。

政治的理想を実行するには、経済資本、行政的文化資本、社会関係資本を実際に組織しなければならない。


二十 スリランカ史の時代別構造

時代世界3の中心四資本の特徴先史・初期社会血縁・地域信仰地域首長が四資本を人格的に保有アヌラーダプラ期仏教王権・年代記灌漑農業、王権、僧団の結合ポロンナルワ期再統一王権軍事力と水利・僧団を再集中王国分裂期仏歯・地域王権ジャフナ、コーッテ、キャンディに資本分散ポルトガル期カトリック・海上帝国艦船・火器と現地同盟を結合オランダ期会社法・商業行政シナモン、文書、要塞を統合イギリス期統一植民地国家島全体を官僚制・交通網で一体化独立初期議会制・多数決シンハラ語・仏教と国家の結合内戦期対抗する民族国家像国家とLTTEが暴力資本を競合戦後期戦争勝利・開発国家軍、政権一族、公共投資が結合二〇二二年アラガラヤ市民社会関係資本が政権を退陣させる現代改革・反汚職・財政再建民主的正統性と経済的制約の調整


結論――スリランカ史の基本構造

三世界・四資本論から見たスリランカ史は、次の三つの大きな過程として整理できる。

第一 仏教王権による四資本の統合

古代の王は、軍事力によって領域を統一し、貯水池を建設して農業余剰を生み、僧団を保護することで王権を正当化した。

[暴力資本 ⇒ 灌漑と農業 ⇒ 僧団への寄進 ⇒ 仏教王権の正統性]

という循環が、アヌラーダプラやポロンナルワの文明を支えた。

第二 植民地国家による世界3の再編

ポルトガル、オランダ、イギリスは、それぞれ異なる方法で島を外部世界へ組み込んだ。

ポルトガルは火器・交易・カトリックを結合した。

オランダは会社行政・シナモン貿易・文書制度を発達させた。

イギリスは島全体を中央集権国家に統合し、英語教育、官僚制、プランテーション、道路、鉄道を整備した。

現代スリランカは植民地支配を拒否して独立したが、国家という容器そのものはイギリスが作った単一的な植民地国家を継承した。

第三 単一国家と複数社会の矛盾

独立後の最大の問題は、複数の言語・宗教・地域社会を持つ島を、一つの民族的世界3によって統一しようとしたことである。

古代の仏教王国という世界3が、近代のシンハラ仏教国民国家へ転換された。これに対してタミル民族運動は、独自の歴史、領域、国家を主張する対抗的世界3を形成した。

二つの世界3が互いを排除し、双方が暴力資本を蓄積した結果、長期内戦が発生した。

したがって内戦の原因は、単なる民族感情ではない。

同じ島の世界1を、互いに排他的な二つの世界3が所有しようとし、それぞれが暴力資本を動員したこと

にある。

二〇二二年の経済危機は、民族対立とは別の形で、国家の世界3と生活現実の乖離を明らかにした。

財政統計、外貨、債務、開発計画の上では国家が作動していても、燃料や医薬品がなくなれば、制度への信頼は崩壊する。

現代スリランカの課題は、単に経済成長を回復することではない。

  • 仏教を一民族の所有物ではなく公共的文化資本にする

  • シンハラ語とタミル語を対等な国家資源として扱う

  • 軍事的勝利を和解と法の支配へ転換する

  • 政党・一族の社会関係資本と国家資産を分離する

  • 財政再建を生活の安定へ結びつける

ことが必要である。

スリランカ史を一文で表せば、次のようになる。

スリランカ史とは、仏教王権、植民地国家、民族国家が島内の四資本を繰り返し集中させたが、地域・言語・宗教の多元性を一つの世界3へ完全には統合できなかった歴史である。

現在の改革が成功するかどうかは、暴力資本によって反対者を抑えることでも、経済指標だけを回復することでも決まらない。

世界1の生活基盤、世界2の安心と相互信頼、世界3の法・国家・歴史認識を結び直し、四資本を特定の民族、一族、軍、宗教組織へ集中させない制度を作れるかどうかにかかっている。

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