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<中編小説>『やさしい顔で隣に立つな、死ね』第二王子×第一王子BL小説


<中編小説>『慈善の顔をして、奪うな』第二王子×第一王子BL小説|なつめの続き。

 翌朝の空は、腹立たしいくらいよく晴れていた。

 夜のうちに薄く降ったらしい雨が石畳の隙間へだけ名残を残し、王都南区へ向かう街路には、洗われたばかりみたいな光が満ちている。馬車の車輪は乾ききらない路面をやわらかく鳴らし、遠くでは煙突の煙が白く揺れ、店を開け始めたばかりの露店からは焼きたてのパンと煮込みの匂いがした。

 視察には、いかにも“公的な顔ぶれ”が揃っていた。

 第一王子エドガー。
 婚約者候補のベルティーナ・ラウフェル公女。
 記録係、護衛、王都行政の補佐官、救護院側の案内役。
 そして第二王子リュシアン。

 並びだけ見れば、正しい。
 どこまでも正しい。

 王家と有力貴族が、慈善事業のためにそろって南区を訪れる。
 誰が見ても美談だ。
 新聞に書かれれば、なおさらだろう。

 だからこそ、最悪だった。

 リュシアンは馬車の窓辺へ肘をついたまま、向かいに座るベルティーナを見ないようにしていた。

 見たら腹が立つ。
 腹が立つだけならまだいい。
 見れば、その“完璧さ”の細部まで気づいてしまうのがもっと嫌だった。

 今日のベルティーナは、昨夜の象牙色のドレスではなく、もっとやわらかな淡い灰青の装いを選んでいた。布地は軽く、動きやすく、けれど安物には絶対に見えない。装飾は少なく、手袋も真っ白ではなく少し生成りがかっている。髪は高く結い上げず、後ろで簡素にまとめただけ。宝石は耳元に小粒の真珠ひとつ。

 子どもたちに威圧感を与えないための装い。
 そう説明されたら、誰も反論できない。

 そしてそれは、死ぬほど似合っていた。

 慈善の顔だ、とリュシアンはまた思う。
 しかも昨日よりさらに厄介な種類の。

 昨夜はまだ“寄付の場”だった。
 大人の視線が行き交う社交の延長だった。
 だが今日は違う。

 今日は救護院だ。
 子どもたちの前だ。
 泣く子がいて、咳をする子がいて、痩せた手で服の裾を握る子がいる場所だ。

 そんな場所では、誰も牙を剥けない。

 ベルティーナはそれを分かっている。
 分かっていて、この服を選び、この顔をしている。

「顔」
 横からカイルが小さく言う。
 リュシアンは即座に返す。
「死ね」
「本日も機嫌が優れませんね」
「優れてるように見えるか」
「いいえ」
「なら黙れ」
「善処します」
「くたばれ」

 向かいでは、エドガーが窓の外を見ていた。

 今日の彼は、夜会の礼装ではなく、視察用の簡潔な正装を纏っている。深い青灰の上衣、無駄のないマント、白い手袋。王子らしい品位は残しながらも、装飾は最小限だ。淡い金の髪はすっきりまとめられ、薄い蒼の瞳はいつも通り冷静だった。

 その横顔を見るたび、リュシアンの腹の底の獣が低く喉を鳴らす。

 今夜じゃない。
 今朝だ。
 昨日の続きのまま、もう隣に女がいる。

 それが、死ぬほど気に食わない。

 馬車が止まる。

 救護院は王都南区の端にあった。再建中とはいえ、まだ古い石壁の一部が残り、庭には昨夜の雨を吸った土の匂いが濃く立っている。白い壁の一角には、子どもが描いたのだろう、歪な花と太陽の絵が貼られていた。門の前には院長と数人の世話係が並び、少し離れたところから、年長の子どもたちがそわそわとこちらを見ている。

 その目。

 期待と緊張と、ほんの少しの怯え。

 それを見た瞬間、リュシアンは腹の中の獣へ鎖をかけ直した。

 ここでは駄目だ。
 ここでは、絶対に。

 先に馬車から降りたエドガーへ、すぐに子どもたちの視線が集まる。第一王子だ。王城の中でしか見られないはずの人間が、こうして自分たちの庭へ降り立つ。無理もない。

 ベルティーナも続いて降りる。
 そして、その瞬間から、彼女は完璧だった。

「まあ、こんにちは」
 彼女がしゃがんで、門のそばにいた小さな女の子へ目線を合わせる。
「少しだけ、お邪魔いたしますね」

 声が柔らかい。
 作っているのに、作っているように聞こえない。
 少女は最初びくりとしたが、その声に導かれるみたいに小さく頷いた。

 リュシアンはその光景を見て、内心で舌打ちした。

 上手い。
 本当に、腹が立つほど上手い。

 エドガーはその隣で、わざとらしくは近寄らない。
 だが子どもから見れば十分近い位置に立ち、院長の説明に耳を傾ける。その距離の取り方まで上手いのがまた腹立たしい。

「殿下、こちらが新しく増築予定の部屋でして」
 院長が言う。
「病弱な子のため、日当たりを優先して」
「分かった」
 エドガーが短く返す。
「窓の位置は今のままでいい。風の通りは」
「こちら側から」
「冬場は冷えるな」
「はい」
「なら二重にしろ」

 端的なやり取り。
 余計な感傷はない。
 だが冷たくもない。

 その横で、ベルティーナが小さな男の子へやわらかく微笑む。
「絵を描いたのはあなた?」
 子どもが頷く。
「まあ、素敵」
 そう言って、その子の紙をエドガーへ向ける。
「殿下、ご覧になって。ここ、お庭ですって」
 エドガーが視線を落とす。
「ああ」
「上手だ」
 その一言だけで、男の子の顔がぱっと明るくなる。

 最悪だ。

 何が最悪って、それが全部“正しい”ことだ。

 ベルティーナは子どもへやさしく声をかける。
 エドガーへ自然に話題を渡す。
 エドガーは短くてもちゃんと応じる。
 その絵面が完成されすぎている。

 子どもたちの前だからこそ、余計に。

「第二王子殿下?」
 院長が遠慮がちに呼ぶ。
「何だ」
「こちらの台帳もご確認いただけますか」
「ああ」
 リュシアンは無理やり視線を引き剥がし、帳簿へ顔を落とす。

 数字はまだ救いだった。
 数字は嘘をつかない。
 足りない寝具の数。
 薬品の在庫。
 再建費の不足分。
 冬までに必要な薪の量。

 それを追っている間だけは、獣の息も少し静かになる。

 けれど、ふと顔を上げるたび、視界に入る。

 ベルティーナが、今度は庭のベンチへ腰かけた年少の子へハンカチを渡している。
 そのすぐ後ろに、エドガーが立っている。
 近すぎない。
 だが、遠くもない。
 誰が見ても安心する距離。

 その“安心”が、リュシアンには地獄だった。

「お兄さまとお姉さま?」

 不意に、小さな声がした。

 リュシアンの視線が止まる。

 言ったのは、五つか六つほどの女の子だった。薄い毛布を肩へかけ、片方の手に布の人形を抱いたまま、きょとんとした目でエドガーとベルティーナを見ている。

 その一言に、周囲の大人たちが一瞬だけ固まった。

 エドガーの眉がわずかに寄る。
 ベルティーナの笑みは一拍だけ止まり、それからすぐ戻る。

「そう見えるかしら?」
 彼女がやさしく訊く。
「うん」
 少女が頷く。
「きれいだから」

 獣が、腹の底で牙を立てる。

 リュシアンは帳簿の紙をめくる手に力が入りすぎて、紙の端を少しだけ折った。
 カイルが即座にその手元を見る。
「顔」
「黙れ」
「今かなり危険です」
「死ね」
「業務上無理です」

 ベルティーナは笑っていた。
 柔らかく、慈しむように。
 だがその笑みの奥で、ちゃんと分かっている。
 この問いをどう使うか。
 どう返せば、誰も傷つけず、自分だけが半歩得をするか。

 リュシアンはそれが見えるから、余計に腹が立つ。

「殿下は、お兄さまではなくて王子さまですの」
 ベルティーナが言う。
「わたくしは、そうですわね。今日はお手伝いの、お姉さまかしら」
 少女が嬉しそうに笑う。

 完璧だ。
 百点満点だ。
 誰にも非がない。
 だから、壊しようがない。

 リュシアンは帳簿を閉じた。
 その音が少しだけ大きかった。

 エドガーがこちらを見る。
 薄い蒼の瞳が、一瞬だけ険しくなる。
 分かっている顔だ。
 お前、今終わりかけてるな、という顔。

 うるさい。
 お前のせいだろうが。

 視察はそのあとも続いた。

 病室の確認。
 台所の衛生状態。
 薬棚。
 井戸の位置。
 冬支度。
 子どもたちとの短い交流。

 ベルティーナはどの場でも上手かった。

 泣いている子へ、すぐには触れない。
 まず目線を合わせ、言葉を待つ。
 怖がる子へ、いきなり笑いかけすぎない。
 手を伸ばす前に、相手が一歩寄ってくるのを待つ。

 そういう“待ち方”が、彼女は上手い。

 しかも、その合間合間に、必ずエドガーを絡める。

「殿下、こちらの子が絵を」
「殿下、この窓は少し高すぎるかもしれません」
「殿下、よろしければあちらのお部屋も」

 自分だけが前へ出ず、必ずエドガーをそこへ立たせる。
 子どもたちの前に。
 世話係の前に。
 院長の前に。

 王子と公女。
 慈善の中心。
 並ぶにふさわしい二人。

 そんな絵を、ゆっくり、ゆっくり作っていく。

 リュシアンはそのたびに、表面だけ笑っていた。

「第二王子殿下」
 ベルティーナがふいに振り向く。
「何だ」
「こちらの棚、少し高すぎませんこと?」
「……ああ」
 近づく。
 言われた通りに棚を見る。
 確かに高い。
「子どもの手じゃ届かねえな」
「ええ」
「下げる」
「お願いしますわ」

 そのやり取りだけなら、ただの協力だ。

 外から見れば、王子と公女が役割を分担しているだけ。
 第一王子は全体を見る。
 第二王子は実務へ口を出す。
 公女は子どもと世話係の橋渡しをする。

 綺麗な構図だ。
 気持ち悪いほど綺麗だ。

 だからこそ、リュシアンは内心でずっと牙を剥いていた。

 昼前、最後に庭で子どもたちと短く言葉を交わす時間があった。

 日差しはやわらかく、芝の上には昨夜の雨の名残が少しだけ匂っている。年少の子らが輪になって歌い、年長の子が恥ずかしそうに拍手をしている。世話係たちはほっとした顔でそれを見守っていた。

 その輪の中へ、ベルティーナが自然にしゃがみこむ。
 エドガーはその少し後ろへ立つ。
 光が二人に落ちる。

 まただ。

 また、その絵だ。

 それを見た瞬間、リュシアンは自分の中の獣が本気で檻を壊しにかかる音を聞いた。

「……第二王子殿下」

 横から、今度はカイルではなく院長が声をかけてくる。
「何だ」
「少し、お顔が」
「何だよ」
「お疲れでしょうか」
「……別に」
「日陰で少しお休みに」
「要らねえ」
「ですが」
「要らないって言ってんだろ」
 その一言が少しだけきつくなった。

 院長がはっとして口をつぐむ。
 その反応で、リュシアンは自分がどれだけ端へ追い詰められていたのかようやく気づく。

 駄目だ。
 ここで院長に当たるな。
 子どもたちのいる場所だ。
 ベルティーナに勝手に並ばれて腹が立つからって、関係のない人間へ棘を向けるな。

 リュシアンはひどく小さく息を吐いた。
「……悪い」
 院長が目を見開く。
 リュシアンが謝ること自体、たぶん珍しいのだろう。
「少し、外の空気吸ってくる」

 そう言ってその場を離れた。

 庭の端、古い石壁の影へ寄る。
 日陰は少しだけ冷たい。
 そこへ手をついた瞬間、指先に力が入りすぎて、乾いた苔がぱらりと落ちた。

 死ね。
 くたばれ。
 何だあの顔。
 何だあの並び。
 子どもの前だからこそ完璧に王子の隣へ収まるんじゃねえよ。

 獣はずっと吠えている。
 けれど、その声を外へ出せない。

「ここにいたか」

 低い声がした。

 振り向かなくても分かる。
 エドガーだ。

 リュシアンは石壁に手をついたまま言う。
「来るな」
「嫌だ」
「死ね」
「お前が先にくたばれ」

 足音が近づく。
 止まる。
 すぐ隣ではない。
 けれど、ちゃんと近い。

「限界か」
 エドガーが訊く。
「……」
「図星だな」
「うるさい」
「お前、さっきからずっと獣みたいな顔してる」
「知ってるならどうにかしろよ」
「してる」
「どこがだ」
「お前を見に来た」
「は?」
「それで足りないのか」
「……死ね」

 その返しだけ、妙に弱くなった。

 エドガーは少しだけ息をついて、壁へ寄りかかったリュシアンの横顔を見る。
「お前な」
「何だ」
「子どもの前で壊れるな」
「分かってる」
「分かってる顔じゃない」
「分かってるって言ってんだろ」
「死ね」
「お前が先にくたばれ」

 それでも、声がいつもの鋭さを取り戻すだけで、少しだけ楽になる。

 リュシアンは目を閉じたまま言う。
「……あいつ」
「ベルティーナか」
「子どもの前だから余計に完璧じゃねえか」
「そうだな」
「そこが一番気に食わねえ」
「知ってる」
「お前の隣に立つ理由が、全部正しい顔してんのが無理」
「……」
「俺だけが、ここで牙剥いてたらただの最低な奴みたいだ」
「実際最低だろ」
「死ね」
「くたばれ」

 その返しのあと、エドガーは少しだけ近づいた。

 石壁の影。
 庭の端。
 子どもたちの歌声が遠くに聞こえる。

 そこでエドガーは低く言う。
「お前が最低なのは今さらだ」
「うるさい」
「だが」
「何だ」
「俺は見てる」
「……」
「お前がどれだけ我慢してるかも」
「……」
「ちゃんと協力してるのも」
「……」
「だから、今だけで終われ」
「は?」
「ここで獣みたいな顔してるだけで済ませろ」
「命令か」
「頼んでる」
「似合わねえ」
「知るか」
「死ね」
「お前が先に」

 そう言ってから、エドガーは一瞬だけ、誰にも見えない角度でリュシアンの手首を掴んだ。

 ほんの短く。
 けれど、ちゃんと伝わる力で。

 それだけで、喉の奥の獣が少しだけ唸り声を下げる。
 悔しい。
 死ぬほど悔しい。
 こんなことで落ち着く自分が、一番腹立たしい。

「……戻るか」
 エドガーが言う。
「嫌だ」
「戻れ」
「お前が先に行け」
「そうするとまたお前が余計な顔をする」
「知るか」
「知れ」
「死ね」
「くたばれ」

 それでも結局、二人は並んで戻った。

 庭へ戻ると、ベルティーナがちょうど子どもの一人の頭を撫でていたところだった。やさしい顔だ。完璧な手つきだ。子どもが見れば、きっと“安心するお姉さま”にしか見えないだろう。

 それを見た瞬間、リュシアンの腹の底でまた獣が目を開ける。

 けれど今度は、暴れない。

 ただ、目を細めて唸るだけだ。

 ベルティーナは二人が戻ったのを見ると、少しだけ顔を上げた。
「第二王子殿下」
「何だ」
「少しお疲れのように見えましたわ」
「気のせいだ」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
「でしたらよろしいのですけれど」
「死ね」
「今、その言葉は子どもたちによろしくありませんわ」
「……っ」
 ベルティーナがわずかに笑う。
「お利口に、殿下」
 その言い方に、リュシアンは本気で歯を食いしばった。

 横でエドガーが低く言う。
「耐えろ」
「うるさい」
「死ね」
「お前が先にくたばれ」

 子どもたちは何も知らずに笑っている。
 院長は安堵した顔をしている。
 世話係たちは、王家と公爵令嬢がここまで来てくれたことに感謝している。

 全部正しい。
 全部綺麗だ。

 その綺麗さの中で、自分だけがずっと獣みたいに苛立っている。

 それがたまらなく惨めで、たまらなく正直で、そしてどうしようもなく、リュシアンだった。

 視察が終わり、院の門を出る時、子どもたちが口々に礼を言った。
 ベルティーナはやわらかく手を振る。
 エドガーは短く頷く。
 リュシアンも、最後に一人の少年の頭を軽く撫でた。

 その少年が嬉しそうに笑う。

 ああ、とリュシアンは思う。

 ベルティーナの“慈善の顔”が気に食わないのと同じくらい、こういう場で本当に笑う子どもがいることも知ってしまっている。
 だからこそ、壊せない。

 王都へ戻る馬車の中、ベルティーナは疲れた顔を見せなかった。
 エドガーは相変わらず静かだった。
 リュシアンだけが、窓の外を見ながら、腹の底の獣がまだ眠っていないことを感じていた。

 そしてその獣は、たぶんまだしばらく消えない。

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