【 あの頃 僕はまだ18で 】><。
【1】
浜田省吾さんの曲
私が生まれた1979年に発表された
『 いつか もうすぐ 』の中で
あの頃
僕はまだ18で
望めば すべてが叶うと信じてた
という歌詞がある。
18歳の頃から
私と一緒に仕事をしてくれた仲間で
そこから10年間
ほぼ休むことなく活動を続け
今初めて立ち止まった彼から
連絡をもらった。
「 リスナーさん達を待たせてしまっている
毎日が心苦しい 」
「 もう何か月も止まっちゃってんのか 」
「 いえ3週間くらいで
もうすぐで1か月です 」
ものすごくプロ意識が高いと感じた。
大変な世界で戦い続けてきたのだと痛感。
作詞家を目指していた私は
18の頃
自由の世界は思ったより
ずっと そうずっと広くて
僕が立ち止まっている間も
広がり続けました
という歌詞を書いた。
今はどうあがいても
こういった歌詞は書けない。
技術で書けても
心が乗らない。
心が乗らなければ歌えない。
あの頃みていた自由の先から
もうすぐ30年経ちますが
これから30年くらいが残された人生なのでしょう
ちょうど半分。
あの頃からの30年と
これから先の30年
どちらもわるくないものです。
最近よく考えます。
あと 何度 ステージで歌えるのだろうかと。
60歳を過ぎてから
本格的に歌っていた恩師 故 馬場孝幸先生 が
とても羨ましかった。
【2】
私は配信活動は一度お休みすると
平気で3か月は休んだりする。
コロナ禍のときは4年休んだ。
楽しみにしてくださるリスナーさんが
いてくださることが配信活動をする動機のすべてだ。
今も最後の放送から
5か月くらい経過していますが
もちろん引退していませんし
次また放送を始めるなら
こういう方向でやっていこうと
毎日考えています。
5か月休んでいると
「 次の放送楽しみにしています 」とか
「 ルベランギス3が実装されたので討伐待ってます 」
「 6月にVersion8きますよ! 」
「 ついにストーリー完結するみたいです 」
「 社長の投資解説やトークだけの放送見たいです 」
等メッセージをくださる方々がおり
大変うれしく思っています。
今 発信活動を休んでいる後輩の
「 リスナーさん達を待たせてしまって心苦しい 」
という言葉をきいたとき
私も反省することがありました。
(もっとも彼と私では配信者としての格が何段も違いますが><。)
「引退します」
間もなく
「復帰しました」
とかやっている
ただの目立ちたがり素人配信者は心からダサいと思っている。
「 一生やっていきます 」
「 二度とやらないです 」
覚悟と決意が弱いものが繰り返す
軽い言葉だ。
休むのは悪いことじゃない
気が乗らずに発信したものにリスナーさんからお時間をいただくことこそ
遥かに裏切ることなのだ。
【3】
「 そういえば ついにスラムダンク見たんですよ 」
「 おれが好きなシーンは
山王の堂本監督の言葉で
『 負けたことがある 』
というのが いつか
大きな 財産になる
ここだな 」
「 そんなシーンありましたっけ? 」
彼が見たのは昔のアニメ版だった。
全国大会編はなかった。
「 漫画読んでくれよ 」
「 いやPCで作業しながらがいいんで
漫画よりアニメがいいです 」
今のネット育ちの若者は本当生き急いでいると
氷河期で停滞を続けた我々の世代は感じる。
彼が一気に駆け上がったのも納得だ。
あの頃の私になら
彼にできることは多くあっただろうが
今の私には
こうして拙い文章を書き
ひっそりと応援することぐらいしかできない。
私の周りは才能に溢れ
私から遥か遠くの高みで活躍する者が本当に多い。
立ち止まっているとき
思い出してもらえて
相談してもらえることは
心からうれしいことだ。
それだけが唯一
身の程知らずにも
早い段階で会社を経営し始めてよかったことかもしれない。
【4】
歳月人を待たず
という言葉がある。
昭和平成令和と流れて
なんでもかんでも待ち時間を極力減らすために
人は技術競争をしている。
彼と私の 待たせてしまっている
という感覚に大きく隔たりがあるのも
生きてきた時代による日々の振動数の差なのかもしれない。
プロの一番厳しいことの1つに
求められる時に
求められた以上の結果を残せる者であること
これに尽きる。
ここ2~3日
気軽に相談乗ったり話したり
昔話する中で彼は言ってくれた
「 社長 今 BAY JUNGLE あったら最高でしたね
一緒にBARとかやりたかったですよ
自分も新しいことこれからも
いっぱい挑戦していきたいです。
そうだ 社長
また BAY JUNGLE やってくださいよ! 」
自分が悩みの真っ只中にいるとき
かつての社長にこんなこと気軽に言えるとは。
いいやつだ。
復活のときは近いな><。
有限会社アットマークライブ
代表取締役 フィクサー><。
