ネイチャーポジティブを主流化する、TNFDのNDPF構想
TNFDから11月に、世界中の企業や金融機関が特定した自然データの課題に最適な対応方法に関する4年間の調査とパイロットテストの集大成として、「市場参加者向け自然データバリューチェーンのアップグレードに関する推奨事項」(追加ガイダンス)が出されました。今日は、この8つの提言と、TNFDのNDPF構想を詳しく見てまいりましょう。今日も楽しんでいってくださいね。
参照するレポートはこちらです▼「市場参加者向け自然データバリューチェーンのアップグレードに関する推奨事項」
背景と課題:断片化した自然データ市場
高まるデータ需要と市場の現状
人類が9つのプラネタリー・バウンダリーのうち7つを超えて活動する中、ビジネスと金融セクターにとって、質の高い自然データはリスク管理、レジリエンス、持続可能な成長を実現するための「自然インテリジェンス」を構築する上で不可欠な要素となっています。G20は、気候・自然関連事象による世界の保険保護ギャップが年間2,000億米ドルを超えると推定しており、世界的な自然金融ギャップは年間9,000億米ドル以上とされています。このギャップを埋めるためには、質の高いデータへのアクセスが不可欠です。
しかし、データ収集と分析における技術革新にもかかわらず、自然データ・バリューチェーンは依然として断片化しており、市場参加者のニーズを満たすことができていません。この課題は「両面市場(two-sided market)」問題として特徴づけられます。
ダウンストリーム(需要側): 政策や開示義務の高まりを背景に、民間セクターの資金が流入し、革新的なデータスタートアップが数多く生まれています。しかし、多くはデータの空白をモデルデータで埋めており、その品質や手法が不透明な「ブラックボックス」であることへの懸念が市場利用者の間で高まっています。
アップストリーム(供給側): 最も信頼性の高い自然状態データは、主に公的資金に依存する政府機関や科学機関によって収集・集約されています。これらの機関は、既存のデータセットを維持し、新たなデータ収集に投資するための安定した資金確保に苦慮しています。
この構造的な問題は、ダウンストリームで生み出される商業的価値を、データの基盤を提供するアップストリームの公的機関に還元するメカニズムが存在しないことに起因します。この資金不足は、経済と社会全体における効果的かつタイムリーな行動を制約する大きな要因となっています。
TNFDのロードマップと主要目標
TNFDは2024年10月に発表した「市場アクセス高度化のためのロードマップ」で、市場参加者が直面するデータ利用の「ペインポイント」(発見の困難さ、品質、適時性、アクセス性など)を特定しました。この分析に基づき、以下の4つの主要目標が設定されました。
あらゆるビジネスの自然インテリジェンスの実現
自然データの品質の体系的な向上
企業が収集した自然状態データの公共価値の解放
自然状態データ収集のための追加資金の動員
「市場参加者向け自然データバリューチェーンのアップグレードに関する推奨事項」の追加ガイダンスの8つの提言は、これらの目標を達成するための具体的な行動計画として策定されました。この提言は、世界中の企業や金融機関が特定した自然データの課題に最適な対応方法に関する4年間の調査とパイロットテストの集大成となっています。
8つの提言は以下の通りです。
1. 世界的な自然データ原則の採用: データ品質と一貫性に関する懸念に対処。
2. 共通メタデータ要件の導入: データの透明性と意思決定を支援。
3. データライセンスと利用契約の調和: アクセス性とコストに関する懸念に対処。
4. 自然データ公共ファシリティ(NDPF)の設立: 中核的な自然状態データへのオープンアクセスを提供。
5. 企業による自然データ交換のインセンティブ付与: 企業が収集したデータの公共価値を解放。
6. 国際自然データトラストの設立: データ収集への新たな資金提供とバリューチェーンの高度化を主導。
7. 自然測定プロトコルの開発: 自然への依存と影響を測定・算定するための世界基準を確立。
8. 普遍的デジタルプロトコルの開発: サプライチェーンにおけるデータ共有のコストと複雑さを軽減。
それでは、その中身を、詳しくみて参りましょう。
提言の詳細
8つのカテゴリーを、データ・インフラ・標準化の3つの視点で分類して詳しくみて参りましょう。
・カテゴリーA: データ品質と透明性のための基盤構築
・カテゴリーB: 中核的インフラの構築と資金循環
・カテゴリーC: 測定と報告の標準化
カテゴリーA: データ品質と透明性のための基盤構築
提言1:世界的な自然データ原則
市場利用者のデータ品質と一貫性への懸念に対処するため、データバリューチェーンの全関係者が採用すべき7つのデータ原則と20の基礎クライテリアを提案します。これらの原則は、FAIR(発見可能、アクセス可能、相互運用可能、再利用可能)やCARE(先住民データガバナンス)といった既存の科学・オープンデータ基準、およびIFRSやIAASBのサステナビリティ報告・保証基準を統合したものです。
提案された7つの自然データ原則:
| 透明性と再現性 | 方法論、仮定、制限を含むデータの明確な要約を提供し、理解と再利用性を支援する。 |
| 信頼性 | 権威ある情報源によって作成され、明確なガバナンスの下で管理されていることを示す。 |
| 正確性と完全性 | データ品質の透明性を確保し、誤りを特定・修正するプロセスを設ける。 |
| 関連性と意思決定有用性 | データが特定のユースケースの仕様を満たし、目的のある意思決定を支援することを示す。 |
| アクセス性と利用可能性 | 不必要なアクセス制限を最小限に抑え、幅広いユーザーが利用できるようにする。 |
| 倫理とプライバシー保護 | 個人の権利、集団的利益、法的枠組み、先住民のデータ主権を尊重する。 |
| ネットワーク化と互換性 | 他のデータセットと相互運用可能であり、システム間で容易に連携・統合できるように設計する。 |
2025年に実施されたパイロットテストでは、120のデータセットが評価され、科学的原則に対する適合性は高いものの、オープンデータや先住民のデータ同意、サステナビリティ報告に関する原則には改善の余地があることが明らかになりました。
提言2:共通メタデータ要件
データの透明性とエンドユーザーによる意思決定を向上させるため、標準化されたメタデータの提供をすべてのデータ収集者・集約者に求めます。パイロットテストでは、参加したデータ提供者の61%が正式なメタデータ基準を使用していないことが判明しました。この問題に対処するため、以下の行動を推奨します。
永続的な「自然データ識別子(ND.ID)」の導入。
地理空間データの中核としてISO 19115を採用。
生物多様性(Darwin Core)、生態学(EML)、ゲノム(MIxS)などのドメイン固有の基準を統合。
提言3:データライセンスと利用契約の調和
市場利用者が直面するアクセス性、コスト、法的な複雑さの問題に対処するため、データ提供および利用契約の調和を推進します。現状では、複数のデータソースからデータを調達するために、個別のライセンス契約(時には10以上)が必要となり、交渉に6ヶ月以上を要するケースもあります。
クリエイティブ・コモンズ(CC)ライセンス(CC0やCC BYなど)の利用を可能な限り奨励。
公的資金によるデータセットにはオープンガバメントライセンス(OGL)を適用。
商用データセット向けに、許可された用途、価格設定、派生物の権利などを明確にした「共通コア」のライセンス条項を開発。
カテゴリーB: 中核的インフラの構築と資金循環
提言4:自然データ公共ファシリティ(NDPF)
中核的な自然状態データへのオープンアクセスを提供し、両面市場問題を解決するための「グローバルな公共財」としてNDPFの設立を提案します。NDPFは、データ収集者や分析サービス提供者と競合するのではなく、信頼できるデータブローカーとして機能します。
目的: すべての企業(特に中小企業)による自然関連課題のベースライン評価と報告を可能にする。
運営モデル:
APIベース: データを収集・保有せず、APIを通じてアップストリームの提供者とダウンストリームの利用者を接続。
原則ベース: 提言1のデータ原則と提言2のメタデータフレームワークを運営の中核に据える。
階層型ライセンス: 大規模利用者からの料金収入で、中小企業(従業員50人未満、収益200万米ドル未満)への無料アクセスを相互補助。
対象ユースケース: 当初はTNFD、SBTN(Science Based Targets Network)、NPI(Nature Positive Initiative)に関連する評価・報告、目標設定、移行計画に焦点を当てる。
提言6:国際的な自然データトラスト
NDPFを監督し、そこから得られる余剰資金をバリューチェーン全体に戦略的に再投資するための、独立した国際非営利組織として「自然データトラスト」の設立を提案します。
使命:
NDPFを収益を生み出す事業体として運営し、その資金をバリューチェーンの高度化に再投資する。
提言1~3で示されたデータ原則、メタデータ、ライセンス基準の維持・更新を監督する。
5年ごとの「自然データバリューチェーン投資計画」を策定し、優先的なデータ収集イニシアチブに資金を配分する。
ガバナンス構造: 政府、慈善団体、標準設定機関の代表者で構成される評議員会が主導し、その下にNDPF運営子会社と技術諮問委員会を設置する。
NDPFの財務的実現可能性
BCGの支援を受けて行われた財務モデリングによると、NDPFは持続可能な商業モデルを確立できると予測されています。2026年の事業開始を想定した場合、以下のマイルストーンが示されています。
3年目(2028年): 損益分岐点に到達。
5年目(2030年): データ提供パートナーに年間3,080万米ドルのライセンス料収益を支払い、自然データトラストが再投資するための年間200万米ドルの余剰資金を生み出す。
提言5:企業による自然データ交換のインセンティブ付与
企業が環境影響評価(EIA)などの目的で多額の費用をかけて収集した高品質な自然状態データは、一度しか利用されず、その公共価値が失われています。この「休眠データ」を解放するため、以下の行動を推奨します。
企業が安心してデータを共有できる、信頼性の高いアーキテクチャ(例:自主的な「自然データ交換憲章」)を提供する。
GBIF(地球規模生物多様性情報機構)などの国際機関による企業エンゲージメントを拡大する。
データ提供企業が他のデータへのアクセス権を得られる「交換」の商業的価値提案を探求する。
カテゴリーC: 測定と報告の標準化
提言7:自然測定プロトコル
TNFDやGRIなどのフレームワークは「何を」測定すべきかを示していますが、「どのように」測定・算定するかについての詳細なガイダンスが不足しています。このギャップを埋めるため、GHGプロトコルをモデルとした国際的なイニシアチブの設立を提案します。これにより、自然への依存と影響を測定するための、科学に基づいた世界的に適用可能な基準が開発されます。
提言8:バリューチェーン横断的なデータ共有のための普遍的デジタルプロトコル
サプライチェーンにおけるサステナビリティデータの収集と共有は、特に中小企業にとって大きな負担となっています。この非効率性を解消するため、気候・自然関連の組織データを企業間で共有するための、標準化されたグローバルなデジタルプロトコルの開発を奨励します。これは、QRコードやAPI連携パスポートのような、サプライヤーが機密データを管理しつつ、顧客や資本提供者と検証済み情報を安全に共有できる軽量なソリューションを目指すものです。
では、最後に、TNFDがこうした課題を解決するために準備を進めている、NDPFについてご紹介をしましょう。
NDPFを理解する

すべてのビジネスの存続は、自然の健全性に依存しています。自然のレジリエンスが低下するにつれて、ビジネスや金融が直面する物理的リスク、移行リスク、システミックリスクは増大します。この事実を背景に、企業の意思決定に不可欠な「自然関連データ」への需要が世界的に急速に高まっています。しかし、現在のデータ市場は断片化されており、多くの企業が必要な情報にアクセスできずにいます。データの「作り手」と「使い手」の間には大きなギャップがあり、それぞれが異なる問題に直面しているからです。
データを作る側(上流)
主に公的資金で運営される政府機関や科学機関です。最も信頼性の高いデータを作成していますが、常に資金不足に悩まされており、活動を維持・拡大するための新しい資金源を求めています。
データを使う側(下流)
企業の報告義務化など新しい需要に応えるため、多くのスタートアップが生まれています。しかし、彼らが提供するデータが多様すぎて、品質は「ブラックボックス」であることが多く、利用者はその信頼性に懸念を抱いています。
これは、良質な材料を作る生産者と、それを使って料理を作るシェフの間に、信頼できる市場が存在しない状態に似ています。この課題に対処するため、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)は、「市場参加者向け自然データバリューチェーンのアップグレードに関する推奨事項」(追加ガイダンス)として、グローバルなパートナー連合と共に、自然データ・バリューチェーンを「グローバルな公共財」として体系的に高度化するための8つの提言を策定しました。
世界的な自然データ原則の採用: データ品質と一貫性に関する懸念に対処。
共通メタデータ要件の導入: データの透明性と意思決定を支援。
データライセンスと利用契約の調和: アクセス性とコストに関する懸念に対処。
自然データ公共ファシリティ(NDPF)の設立: 中核的な自然状態データへのオープンアクセスを提供。
企業による自然データ交換のインセンティブ付与: 企業が収集したデータの公共価値を解放。
国際自然データトラストの設立: データ収集への新たな資金提供とバリューチェーンの高度化を主導。
自然測定プロトコルの開発: 自然への依存と影響を測定・算定するための世界基準を確立。
普遍的デジタルプロトコルの開発: サプライチェーンにおけるデータ共有のコストと複雑さを軽減。
中核となる提言は、「自然データ公共ファシリティ(NDPF)」と「国際自然データトラスト」の設立です。 NDPFは、企業や金融機関(特に中小企業)が自然関連の課題を評価・報告するための基盤となる、中核的な自然状態データへのオープンアクセスを提供する「公共財」としてのデータブローカーです。国際自然データトラストは、NDPFを運営し、その収益をデータ収集活動やバリューチェーン全体の品質向上イニシアチブに再投資するための、独立した非営利の国際組織です。
自然データ公共施設(NDPF)は、「信頼できる仲介者(ブローカー)」として機能するコンセプトです。NDPFは、自らデータを収集したり、分析サービスを提供して既存のビジネスと競合したりするのではなく、データの作り手(上流)と使い手(下流)を効率的につなぐことに特化しています。
NDPFは、以下の3つの核となる目的を達成することを目指します。
目的1:必要不可欠なデータへのオープンなアクセスを提供する すべての大企業から中小企業に至るまで、あらゆる組織が自然関連課題の基礎的な評価と報告を行えるよう、中核となるデータへのオープンなアクセスを提供します。
目的2:データ品質を継続的に向上させる データのエコシステム全体で品質を継続的に向上させ、あらゆる利用者の信頼を高める仕組みを構築します。
目的3:データ収集活動のための新たな資金を生み出す 商業的なデータ利用から得られる収益を、公的なデータ収集活動に還元し、持続可能な資金循環を創出します。
NDPFは、データ提供者とデータ利用者を安全かつ効率的につなぐ「ハブ」として機能します。具体的には、API(Application Programming Interface)と呼ばれる、組織間でルールに基づいてデータを共有するための仕組みを活用します。これにより、NDPFは各データ提供機関のサーバーに「接続」し、必要なデータを利用者に仲介します。このモデルの最大の利点は、データの所有権や管理責任が元の提供者に保持される点です。NDPFはあくまで仲介役に徹し、データの信頼性と安全性を確保します。
NDPFの大きな特徴は、特にリソースの限られた中小企業にとって、データアクセスへの障壁を劇的に下げる点にあります。
オープンアクセスの原則 基本的なデータは、すべての人が無料で利用できるように提供されます。これにより、誰もが自然関連の情報を手軽に入手できる環境が整います。
中小企業への無料提供
NDPFは、単にデータを提供するだけでなく、商業モデルを通じてデータ収集活動への持続的な資金の流れを生み出します。
収益の発生 NDPFは、大企業などの大規模利用者からライセンス料を収益として得ます。
データ提供者への還元 収益の一部は、データを提供してくれた上流のパートナー機関(政府機関や科学機関など)にライセンス料として支払われます。
余剰資金の信託 運営経費を差し引いた後の余剰資金(純利益)は、「自然データ信託(Nature Data Trust)」という非営利の監督組織に送られます。
未来への再投資 「自然データ信託」は、その資金を、5カ年投資計画の優先順位に従って、データ収集活動の支援やデータ品質向上のための取り組みに再投資します。
この資金還流の仕組みにより、NDPFは単なるデータプラットフォームに留まらず、自然データのエコシステム全体を強化し、成長させるエンジンとして機能するのです。財務モデリングによれば、NDPFは2026年に開始した場合、3年目(2028年)に損益分岐点に達し、5年目(2030年)までにはデータ提供パートナーに年間3,000万米ドルのライセンス料を支払い、さらに自然データトラストが再投資するための年間200万米ドルの余剰資金を生み出すと予測されています。自然データ公共施設(NDPF)は、自然データの断片化という長年の課題を克服し、信頼できる情報を誰もが利用できる未来を切り拓くための、構想です。この公共インフラが実現すれば、企業や金融機関は自然との共存を前提とした意思決定をより円滑に行えるようになり、自然と経済が調和した社会を築くための一歩となりそうです。
もっと詳しく知りたい方向けに、
▼ AI Podcasterによる詳細解説: Deep Dive
