流域ネイチャーポジティブの手法を、国の実践ガイドラインから学ぶ(自治体・地域NGO向け)
私たちの暮らしは、河川がもたらす豊かな恵みの上に成り立っています。飲料水や農業用水の供給、洪水時の遊水機能、そして多種多様な動植物の生息・生育の場として、河川は地域社会にとってかけがえのない自然資本です。しかしながら、都市化の進展や気候変動の影響により、河川生態系は大きな圧力にさらされており、全国各地で水量の減少、水質の悪化、生物多様性の喪失といった課題が顕在化しています。そんな中、地域のNGOや地方自治体は、ネイチャーポジティブを地域レベルで具体化する最前線に立っています。自然保全系のNGOや自治体の方が、流域全体を考えるとき、その大きさにどうしたらいいかわからなくなります。
本記事は、林野庁「水資源涵養量」評価手法と国土交通省「河川水辺の国勢調査」を参考にして作成しています。国が整備した二つの重要なツール、すなわち林野庁が開発した「林地における水資源涵養量(VWRR)簡易評価手法」と、国土交通省が実施する「河川水辺の国勢調査」を統合的に活用することで、「水の量」と「水辺の生きもの」の両面から河川の健全性を把握し、科学的根拠に基づいた施策を立案・実行するための道筋を示します。 河川管理は自治体の重要な行政責務であり、河川をネイチャーポジティブの視点から再評価し、適切に管理・再生することは、地域の生物多様性を保全し、自然資本の価値を高めるだけでなく、住民の安全・安心や地域経済の持続可能性にも直結します。
音声ガイドも今回は、分けて作成しましたので、かなり充実した解説になって楽しいですよ。今日も楽しんでいって下さいね。
▽ 今日の記事は、以下の記事の続き、「実践編」です。
第1章 河川のネイチャーポジティブとは何か
1-1 ネイチャーポジティブの基本的な考え方
ネイチャーポジティブとは、人間活動による自然や生物多様性への負の影響を低減するだけでなく、自然を積極的に回復させ、全体として自然が増加(プラス)に転じる状態を目指す概念です。従来の「環境保全」が「これ以上悪くしない」ことを目標としていたのに対し、ネイチャーポジティブは「良くしていく」という一歩踏み込んだ姿勢を求めます。
河川に即して考えると、ネイチャーポジティブな河川とは、以下のような状態が実現されている河川を指します。第一に、流域の森林が適切に管理され、降雨が土壌にしっかりと浸透・貯留されることで、河川への安定的な水供給が確保されていること。第二に、河川の瀬や淵、水際部といった多様な環境が維持・再生され、魚類・底生動物・植物・鳥類など多種多様な生きものが生息・生育できること。第三に、こうした河川の自然資本としての価値が、定量的に把握・開示され、地域の施策や企業活動に活かされていることです。
1-2 自治体や地域NGOが河川のネイチャーポジティブに取り組む意義
自治体や地域NGOが河川のネイチャーポジティブに取り組む意義は多岐にわたります。まず、防災・減災の観点から、流域全体の水源涵養機能を高めることで、洪水リスクの軽減と渇水時の安定的な水供給の両方に寄与します。林野庁のVWRR手法を用いれば、管内の森林がどれだけの水を蓄え、河川に安定的に供給しているかを数値で把握できます。
次に、生物多様性保全の観点から、河川水辺の国勢調査のデータを活用することで、管内河川の生態系の現状を客観的に評価し、保全すべき場所や再生が必要な場所を科学的に特定できます。外来種の分布拡大状況の把握も、早期対策を講じる上で不可欠な情報です。
さらに、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)をはじめとする国際的な情報開示の枠組みが企業に広がる中、自治体が管内の自然資本に関する定量データを整備・公開することは、地域に立地する大手企業のTNFD対応を支援し、ひいては地域経済の競争力強化にもつながります。林野庁のVWRR手法は、まさにTNFDのニーズに応える形で開発されており、TNFD事務局にも情報提供済みです。
加えて、河川のネイチャーポジティブは、住民の暮らしの質の向上にも直結します。水辺空間が多様な生きものに溢れ、良好な水質が保たれた河川は、散策やレクリエーション、環境教育の場としても大きな価値を持ちます。河川水辺の国勢調査に含まれる「河川空間利用実態調査」のデータは、こうした側面の評価にも役立ちます。
1-3 二つのツールの位置づけ
本記事は、河川のネイチャーポジティブを「水の量」と「水辺の生きもの」という二つの側面から統合的に評価・推進するために、以下の二つのツールを柱としています。
一つ目は、林野庁が令和5年度から7年度にかけて開発した「林地における水資源涵養量(VWRR)簡易評価手法」です。この手法は、気象情報と林分の基本情報(樹種区分、立木密度、樹高、胸高直径)を用いて、直接流出量と蒸発散量を推定し、年間の水資源涵養量を算出するものです。専門的な水文学の知識がなくても、エクセル計算ツールにデータを入力するだけで評価が可能な設計となっています。
二つ目は、国土交通省が平成2年(1990年)から実施している「河川水辺の国勢調査」です。全国109の一級水系を中心に、魚介類・底生動物・植物・鳥類・両生類爬虫類哺乳類・陸上昆虫類等の6項目の生物調査と、河川環境基図作成調査および河川空間利用実態調査の計8項目を、5年で1巡するサイクルで継続的に実施しています。
これら二つのツールを組み合わせることで、「流域の森林がどれだけの水を河川に供給しているか」と「その水が支える河川生態系がどのような状態にあるか」を一体的に把握することが可能になります。これこそが、河川のネイチャーポジティブを実現するための科学的基盤となるのです。
それでは、それぞれを見てまいりましょう。なお、あくまでも本記事は、紹介記事であり、とっつきやすさのため、解説図や音声ガイドを載せていますが、詳しくは、それぞれのページをご参考してくださいね!

第2章 水資源涵養量(VWRR)簡易評価手法の理解と活用
2-1 水資源涵養量とは何か
水資源涵養量とは、森林が雨水を土壌に蓄え、時間をかけて安定的に河川へ戻す「水資源の貯留」機能を定量化した指標です。森林に降った雨水は、一部が樹冠で遮断されて蒸発し、一部が地表面を直接流出し、残りが土壌に浸透します。浸透した水のうち、植物に吸い上げられて蒸散する分を除いた量が、地下水として蓄えられ、やがて河川の基底流出として安定的に供給される水となります。
この仕組みを簡略化した計算式で表すと、水資源涵養量は「年間降水量」から「直接流出量」と「蒸発散量」を差し引いた値として求められます。林野庁のVWRR手法では、この計算を気象データと森林の基本データから行えるよう、各パラメータの推定式が整備されています。
2-2 VWRR簡易評価手法の計算の流れ
VWRR簡易評価手法の計算は、大きく以下の手順で進めます。まず、評価対象となる林地の基本情報を収集します。必要な情報は、対象地の位置(都道府県・市町村)、面積(100ha以下)、樹種区分(針葉樹・広葉樹・針広混交林)、立木密度(本/ha)、平均樹高(m)、平均胸高直径(cm)です。これらの情報は、市町村森林整備計画や森林簿から入手できます。
次に、対象地の気象データを入力します。年間降水量と年平均気温が主な入力項目です。これらは気象庁のデータベースや最寄りのアメダス観測所のデータから取得できます。
エクセル計算ツールに上記のデータを入力すると、遮断蒸発量、樹冠通過雨量、土壌面蒸発散量、直接流出量がそれぞれ推定され、最終的に年間の水資源涵養量がm³/年の単位で算出されます。この数値が、対象林地が年間に蓄え、河川へ安定的に供給している水の総量となります。
なお、植林直後の若い森林(概ね10~20年生未満)については、「試算モード」が用意されており、将来の約20年生時における水資源涵養量を予測的に評価することも可能です。これにより、植林事業の将来的な水源涵養効果を事前に把握し、施策の費用対効果の検討に活かすことができます。
2-3 自治体における活用方法
自治体がVWRR手法を活用する場面は、大きく三つに分けられます。第一は、流域全体の水源涵養機能の現状把握です。管内の主要な森林区域について水資源涵養量を算出し、流域ごとの水源涵養マップを作成することで、水源として特に重要な森林を可視化できます。これは、森林整備の優先順位付けや、水源涵養機能が低下している地域の特定に役立ちます。
第二は、森林整備事業の効果測定です。間伐や植替えなどの施業を行った森林について、施業前後の水資源涵養量を比較することで、事業効果を定量的に示すことができます。林野庁のウェブサイトでも述べられているように、この数値は住民への説明責任を果たし、事業の正当性を示す上で有用な情報となります。
第三は、Water Positive(ウォーターポジティブ)の達成評価です。VWRR手法の説明資料にも記載されているとおり、水使用量を開示した上で水資源涵養量がそれを上回る場合、Water Positiveとして説明することが可能です。自治体が管内の企業や公共施設の水使用量を把握し、関連する流域の森林による水資源涵養量と対比させることで、地域全体の「水の収支」を見える化できます。

第3章 河川水辺の国勢調査の理解と活用
3-1 河川水辺の国勢調査の概要
河川水辺の国勢調査は、河川を環境という観点からとらえた定期的・継続的・統一的な基礎情報の収集整備のための調査です。平成2年(1990年)に開始され、30年以上にわたって全国の河川の生物相と環境条件のデータを蓄積してきました。調査は河川版とダム湖版に分かれ、河川版では6項目の生物調査と2項目の環境・利用調査が行われています。生物調査は、魚介類調査、底生動物調査、植物調査、鳥類調査、両生類・爬虫類・哺乳類調査、陸上昆虫類等調査の6項目です。それぞれの調査は、各生物群の生活史を考慮した適切な時期と方法で実施されます。例えば、魚介類調査は春から秋にかけて投網やタモ網を用いた捕獲調査を2回以上行い、底生動物調査は初夏から夏と冬から早春の2回以上、環境の異なる地点でサーバーネットや採泥器を用いて採集を行います。加えて、河川の瀬・淵や水際部の状況等を調べる「河川環境基図作成調査」と、河川空間の利用者数や利用形態を調べる「河川空間利用実態調査」が実施されます。これら8項目の調査結果は、河川環境データベースとして一元管理され、一般にも公開されています。平成18年度からは調査マニュアルが改訂され、必要な時期に必要な調査を機動的に実施する方式へと移行しています。また、令和に入ってからは環境DNA技術の活用可能性に関する技術的検討も進められており、より効率的かつ正確な生物相の把握手法の開発が期待されています。今日は、河川版を見てまいりましょう。
3-2 生物調査データの読み方と活用
河川水辺の国勢調査のデータを活用する際、押さえておくべきポイントがあります。まず、確認種数の経年変化に着目します。ある河川において、調査巡目ごとに魚介類や底生動物の確認種数がどのように推移しているかを見ることで、河川生態系の健全性の変化傾向を把握できます。種数が減少傾向にある場合、何らかの環境悪化が進行している可能性があります。
次に、指標種の在・不在に注目します。カワセミやメダカなど、河川の自然度や健全度を示す代表的な種が確認されているかどうかは、その河川の環境状態を端的に示す重要な情報です。過去の調査では確認されていた種が近年の調査で見つからなくなっている場合、生息環境の劣化が疑われます。
第三に、外来種の分布拡大にも注意を払う必要があります。オオクチバスやブルーギル等の特定外来生物が確認された河川は、在来の生態系に深刻な影響が及んでいる可能性があります。外来種の分布データは、防除対策の優先順位を決める上で不可欠な情報です。
第四に、環境基図のデータを活用します。瀬と淵の分布状況、河岸の護岸率、水際部の植生の状況などのデータは、河川の物理的環境の多様性を評価する上で重要です。河川のネイチャーポジティブを実現するためには、多様な環境が維持されていることが前提となるためです。
3-3 河川環境情報図の活用
河川水辺の国勢調査のデータは、「河川環境情報図」として地図上に整理されており、河川管理の各段階で活用されています。計画段階では、俯瞰的に環境状況を把握して整備箇所を検討する基礎資料として用いられます。設計段階では、希少種のミティゲーション(影響回避・低減・代償措置)を検討するための基礎資料となります。工事段階では、希少種の現地確認に活用され、維持管理段階では、経年的な環境変化の把握に用いられます。
ネイチャーポジティブの取り組みを進める際にも、河川環境情報図は極めて有用です。例えば、河川整備計画の策定に際して、生物多様性の観点から保全すべき区間と再生が必要な区間を明確に区分し、それぞれに適した施策を立案することができます。また、河道掘削等の工事を行う際には、事前に環境情報図で生物の生息状況を確認し、工事による影響を最小化する設計に反映することが可能です。
第4章 環境DNA調査の実践方法

令和8年度より、日本の河川管理における最重要基盤情報である「河川水辺の国勢調査」の基本調査項目として、新たに「魚類環境DNA調査」が本格導入されます。環境DNAとは、水中に存在する生物由来のDNAの総称であり、バケツ一杯の水からそこに生息する魚種を特定できる画期的な技術です。従来の魚類採捕調査(網や電気ショッカーによる捕獲)と比較した際、環境DNA調査がもたらすインパクトは以下の3点に集約されます。
圧倒的な効率性と頻度の向上 従来の調査は多人数による重労働と大規模な機材を必要としましたが、本手法は河岸や橋上からの「採水」が中心となります。これにより、現地作業に要する人員と時間を大幅に縮小しつつ、これまで予算やリソースの制約で困難だった多地点での継続的なデータ取得が可能になります。
「見逃し」を防ぐ高い網羅性と客観性 捕獲調査では、魚の逃避能力や生息環境の複雑さによって見落としが生じるリスクがありました。しかし、環境DNAは、生息密度が極めて低い希少種や、従来の漁具では捕らえにくい種をも高い精度で捉えます。河川全体の魚類相を「漏れなく」把握できる点は、生物多様性保全における大きな強みです。
高度な意思決定を支えるデータ活用 取得されたデータは、河川整備計画の策定や事業後のモニタリングにおいて、主観を排した科学的根拠として機能します。また、デジタルデータとしての蓄積が容易なため、将来の気候変動に伴う環境変化を追跡するための強力なエビデンスとなります。
このように、環境DNA調査は次世代の河川管理を支える強固なインフラとなります。その信頼性を担保するためには、まず現場の実態に即した精緻な「調査計画」を策定することが不可欠です。
調査の成否は、現場に赴く前の「地点選定」における戦略的意図で決まります。河川全体の魚類相を俯瞰しつつ、特定の環境に依存する種の存在を見落とさないためには、標準化されたルールと柔軟な判断の双方が求められます。実務上、特に重要となる地点設定の考え方は以下の通りです。
「2km間隔」を基本とした網羅的把握
河川の縦断的な変化を捉えるため、原則として2km間隔で地点を設定します。ただし、河川延長が100kmを超えるような大規模河川において、瀬・淵・ワンド・水生植物帯などの環境が連続し、縦断的な変化が乏しい区間では、実務の効率化を目的に「4km間隔」へと柔軟に調整することが認められています。これは、科学的な妥当性と実務の持続性を両立させるための合理的な判断です。「ホットスポット」による多様性の捕捉
距離による一律の割り振りだけでは、ワンド、たまり、干潟といった生物多様性が凝縮された「魚類環境DNAホットスポット」の情報を拾いきれません。本調査ではこれらを別途追加設定します。特に干潟においては、そこに生息するハゼ類などの情報を確実に得るため「干潮時に出現する細流や水たまりで採水する」という、潮汐に合わせた実地踏査の視点が決定的に重要となります。信頼性を守るための「地点調整」ルール
設定地点に工事等の危険箇所がある場合や、下水処理場・養殖場・食品工場などが隣接し、そこに生息しない魚のDNAが混入する(偽陽性)リスクがある場合は、地点を上下流500mの範囲内で柔軟に変更します。特に偽陽性の防止においては「必ず上流側にずらす」という具体的な基準を設けることで、データの不確実性を排除しています。
現場の環境を熟知し、こうした緻密な計画を形にすることこそが、極微量のDNAを追い求める「具体的な採水作業」への確かな足掛かりとなります。
環境DNA調査は「汚染(コンタミネーション)との戦い」です。微量のDNAを増幅して検出する技術であるため、調査者の衣服や機材に付着したDNAが1分子でも混入すれば、結果は根底から覆されます。現場作業には、単なるルーチンワークではない、厳格な管理意識が求められます。
データの確信度を決定づける現場の具体的な工夫は以下の通りです。
徹底した除染と使い捨て資材の活用
採水バケツやロープは、事前に「0.1%次亜塩素酸ナトリウム溶液」に30分浸漬し、残留塩素を完全に除去した上で、地点ごとに個包して持ち込みます。最も重要なのは、使い捨て手袋を「地点ごと」「工程ごと」に頻繁に交換することです。自らの手や前地点の機材を介したDNAの移動を遮断するこの動作こそが、データの質を左右します。「フィールドブランク」による透明性の担保
現場での汚染が本当になかったかを証明するため、精製水を現地で開封し、河川水と同じ工程を経て分析に回す「フィールドブランク」を導入します。これは調査回ごとに1検体作成(条件が同じ場合)し、工程全体の健全性を検証する「自己チェック機能」として機能します。全地点で行う必要はないという効率性と、データの透明性確保の絶妙なバランスが、実務を支えています。偽陽性を防ぐストイックな動作
採水時は常に「流れの上流側」を向いて作業します。自分自身の長靴や衣類に触れた水、あるいは川底から巻き上げた泥が採水瓶に入らないようにするためです。こうした「上流を向く」「泥を立てない」という微細な配慮の積み重ねが、そこにいないはずの魚を検出してしまうリスクを排除し、データの価値を高めています。
こうした現場での妥協のない管理を経て採取された「命の水」は、次に最先端の科学分析へと移行し、魚種名という目に見える情報へと変換されます。
高度な分析技術の簡潔な理解:メタバーコーディング法
採取された水からどのようにして魚種リストが生み出されるのか。その核心にあるのが「環境DNAメタバーコーディング法」です。この技術は、水中に漂う無数のDNAの中から特定の領域を読み解く、いわば「一括スキャニング」のようなプロセスです。複雑な科学工程を平易に咀嚼すると、以下のようになります。
ろ過とDNA抽出(砂金の選別) まずはフィルターで水をろ過し、付着した物質からDNAのみを取り出します。これは広大な河砂の中から「砂金」だけを丁寧に集めるような繊細な作業です。
PCR増幅(信号の強化と「4つの鍵」) 取り出した微量なDNAを、分析可能な量まで複製します。この際、1st PCRでは「MiFishプライマー(U, U2, Ev2, L)」という、硬骨魚類、サメ・エイ、スナヤツメなどの異なるグループを一度に呼び出す「4つの鍵(カクテルのような混合液)」を用います。また、水中の腐植物質などが反応を邪魔する「PCR阻害」をいかに除去するかが、検出漏れを防ぐ技術的な鍵となります。
次世代シーケンシング(超並列読み取りと仕分け) 増幅されたDNAを「次世代シーケンサー」で一気に読み取ります。ここでは、試料の取り違えを防ぐために「Unique Dual Index」という二重のタグ付け(インデックス)を行います。これは郵便物の仕分け時に、宛名ラベルが隣の封筒に貼り付いてしまうエラー(インデックスホッピング)を防ぎ、数百万通の情報を正しく宛先へ届けるための高度な対策です。
分析機から出力された膨大な「生の配列データ」は、次のステップで専門的な知見というフィルターを通され、信頼できる「魚種リスト」へと磨き上げられます。分析結果をそのまま鵜呑みにすることはありません。最新の科学技術であっても、データベースの誤登録や偶発的な混入の可能性をゼロにはできないからです。専門家の目による「精査」を経て初めて、データは河川管理の意思決定に使える「確実な情報」へと昇華されます。
信頼性を多層的に守る仕組みは、以下の通りです。
厳格なフィルタリングと3つの分類 DNA配列の「一致率98.5%以上、かつクエリカバレッジ(読み取り範囲)90%以上」という厳しい基準で選別後、以下の3つのカテゴリーに分類し、管理の不確実性を制御します。
種名確定(種特定): DNAにより種まで一意に同定可能なもの。
種名確定(高次分類群止め): 近縁種間で配列が似ており、種まで絞り込めないグループ。
注意を要する種: データベースの誤登録等により誤同定の恐れがある種。系統樹作成等で慎重に確認します。
令和8年度からの本格導入により、日本の河川管理は「経験と勘」に加え、「緻密な科学エビデンス」という羅針盤を手にすることになります。この環境DNA調査が、次世代へより豊かな水辺を引き継ぐための揺るぎない礎となることを確信しています。
第4章 二つのツールを統合した河川ネイチャーポジティブ評価の実践
4-1 統合評価の基本フレームワーク
河川のネイチャーポジティブを包括的に評価するためには、VWRR手法による「水の量」の評価と、河川水辺の国勢調査による「水辺の生きもの」の評価を統合的に捉える必要があります。本ガイドラインでは、この統合評価のフレームワークを以下の三つの層で構成します。
第一層は「水源涵養評価層」です。流域の上流部に位置する森林の水資源涵養量をVWRR手法で算出し、河川への水供給の基盤となる森林の機能を定量的に把握します。この層の指標は、年間水資源涵養量(m³/年)、面積あたり水資源涵養量(m³/ha/年)、そして対象地域の水使用量に対する涵養量の比率(Water Positive指標)です。
第二層は「河川生態系評価層」です。河川水辺の国勢調査のデータを用いて、河川生態系の状態を多角的に評価します。この層の指標は、生物多様性指標(確認種数、指標種の在不在、外来種の確認状況)、河川環境の多様性指標(瀬淵比率、水際部の自然度、河岸植生の被覆率)、そして河川空間の社会的利用指標(利用者数、利用形態の多様性)です。
第三層は「統合評価・開示層」です。第一層と第二層の評価結果を統合し、河川のネイチャーポジティブの達成状況を総合的に判定します。この層では、TNFD開示フレームワークとの整合性を確保しつつ、地域の実情に応じたKPI(重要業績評価指標)を設定し、進捗をモニタリングします。
4-2 評価手順のステップバイステップ
ステップ1「対象流域の設定と現状把握」では、まず評価の対象となる河川流域を設定します。二級河川の管理を行っている自治体であれば、当該水系を対象とすることが自然です。次に、流域内の森林面積、土地利用状況、河川延長、主要な生物の生息状況など、既存の情報を幅広く収集・整理します。
ステップ2「水源涵養量の算出」では、VWRR簡易評価手法のエクセル計算ツールを用いて、流域内の主要な森林区域ごとに水資源涵養量を算出します。森林簿から樹種区分、立木密度、樹高、胸高直径を取得し、気象庁のデータから年間降水量と年平均気温を入力します。算出結果を地図上にプロットし、水源涵養マップを作成します。
ステップ3「河川生態系の評価」では、河川水辺の国勢調査のデータベースから対象河川のデータを取得し、生物多様性と環境の多様性を評価します。確認種数の経年変化、指標種の動向、外来種の分布状況を整理するとともに、河川環境基図から瀬淵の分布や水際部の状態を把握します。
ステップ4「統合評価と目標設定」では、ステップ2とステップ3の結果を統合し、河川のネイチャーポジティブの現状を総合的に評価します。水源涵養量が十分であっても生物多様性が低下していれば、河川環境の再生が必要です。逆に、生物多様性は比較的保たれているものの水源涵養量が不足している場合は、流域の森林整備を優先する必要があります。こうした評価結果に基づいて、具体的な目標値とアクションプランを設定します。
ステップ5「モニタリングと順応的管理」では、設定した目標に対する進捗を定期的にモニタリングし、必要に応じて施策を修正していきます。VWRR手法による水源涵養量は、森林の成長に伴い年々変化しますし、河川水辺の国勢調査も5年で1巡するサイクルで更新されるため、これらのデータを継続的に追跡することで、ネイチャーポジティブの達成度を時系列で評価できます。
4-3 TNFD開示との接続
地域企業との連携は、河川のネイチャーポジティブを推進する上で大きな推進力となります。特に、TNFD開示への対応が求められる上場企業やそのサプライチェーンに位置する中小企業にとって、流域の自然資本に対する自社の取り組みを具体的に示すことは、企業価値の向上につながります。
自治体は、VWRR手法で算出した流域の水源涵養量データと、河川水辺の国勢調査の生態系データを、地域の「自然資本ダッシュボード」として企業に提供することができます。企業はこのデータを自社のTNFDレポートに活用できるほか、自社の水使用量と流域の水資源涵養量を比較することでWater Positiveの達成状況を評価できます。
さらに進んだ取り組みとして、企業の森林整備活動への参画を通じた水源涵養機能の向上と、その効果のVWRR手法による定量評価を組み合わせたスキームが考えられます。企業が資金や労働力を提供して森林整備を行い、その結果としてどれだけの水資源涵養量が増加したかをVWRR手法で算出し、これをTNFDレポートやサステナビリティレポートに記載するという流れです。所沢市とNTTドコモの事例のように、自治体がネイチャーポジティブ貢献証書を発行する仕組みも参考になります。 企業のTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)への対応が加速する中、自治体が河川の自然資本データを整備・公開することは、地域の企業を支援する上でも重要な役割を果たします。TNFDは、自然関連のリスクと機会を「ガバナンス」「戦略」「リスクとインパクトの管理」「指標と目標」の4つの柱で開示することを求めています。
VWRR手法で算出した水資源涵養量は、TNFDの「指標と目標」の柱における定量指標として直接活用できます。林野庁のウェブサイトにも明記されているとおり、この手法はTNFD事務局に情報提供済みであり、TNFDレポートやサステナビリティレポートでの活用が想定されています。自治体が流域ごとの水源涵養量データを整備し、企業に提供することで、企業のTNFD対応を効果的に支援できます。
同様に、河川水辺の国勢調査のデータは、TNFDのLEAPアプローチにおける「Locate(所在地の特定)」と「Evaluate(評価)」のフェーズで活用できます。企業が自社の事業所やサプライチェーンが接する河川の生態系の状態を把握する際、国勢調査の生物データは信頼性の高い基礎情報となります。
自治体としては、これらのデータを「流域の自然資本レポート」等の形で取りまとめ、企業や住民に分かりやすく提供することが望まれます。これにより、自治体自身のネイチャーポジティブへの取り組みを示すとともに、地域全体の自然資本の持続的な管理に向けた協働の基盤を築くことができます。
第5章 具体的な取り組みに向けて
5-1 水源涵養機能の強化に向けた森林整備
水源涵養機能を高めるための森林整備は、河川のネイチャーポジティブの基盤をなす取り組みです。具体的には、過密な人工林の間伐を行い、林床に光を入れることで下層植生を回復させ、土壌の浸透能を改善することが有効です。VWRR手法を用いれば、間伐前後での水資源涵養量の変化を定量的に示すことができ、事業の効果を明確にできます。
針葉樹の一斉林を針広混交林に転換する長期的な施業も、水源涵養機能の向上に寄与します。広葉樹の落葉はA層(腐葉土層)の発達を促し、土壌の保水力を高めます。森林環境譲与税を活用して計画的に森林整備を進める自治体も増えていますが、その際にVWRR手法を用いた効果測定を組み合わせることで、投入した財源に対する成果を可視化することが可能となります。
また、遊休農地や荒廃地への植林による水源涵養機能の創出も検討に値します。VWRR手法の「試算モード」を活用すれば、植林から約20年後の水源涵養量を予測でき、植林事業の中長期的な効果を事前に評価できます。
5-2 河川環境の再生と多自然川づくり
河川水辺の国勢調査のデータに基づき、生物多様性の低下が確認された区間では、河川環境の再生に取り組むことが重要です。国土交通省が推進する「多自然川づくり」の考え方に基づき、瀬と淵の回復、水際部の自然化、河畔林の再生などの施策を展開します。
具体的には、直線化された河道においては、蛇行や淵の復元によって多様な流れの環境を創出します。コンクリート護岸が連続する区間では、部分的に護岸を撤去し、緩やかな水際環境を回復させることで、魚類の産卵場や稚魚の成育場を確保します。河川水辺の国勢調査の実験河川の研究成果によれば、瀬と淵のある蛇行河川では、直線河道に比べて生物の現存量が有意に増加することが確認されています。
河畔林の再生も重要な施策です。河畔林は、河川への日射を遮り水温の上昇を抑えるとともに、落葉・落枝を通じて水生昆虫の餌資源を供給し、河川生態系の食物連鎖の基盤を支えます。また、河畔林は鳥類や哺乳類の生息場所としても機能し、河川と陸域をつなぐ生態的回廊としての役割を担います。
5-3 住民参加型モニタリングの推進
河川のネイチャーポジティブを持続的に推進するためには、住民の理解と参加が不可欠です。河川水辺の国勢調査のマニュアルにも、流域の市民団体等からの調査協力により基礎情報を収集する「モニター調査」の仕組みが位置づけられています。この仕組みを活用し、地域住民やNPO、学校と連携した河川環境モニタリング体制を構築することが有効です。
例えば、定点で定期的に水生昆虫(底生動物)を採集し、その種構成から水質を評価する「水生昆虫による水質判定」は、専門的な機材や技術がなくても市民が参加しやすい調査手法です。底生動物は河川水辺の国勢調査の主要項目の一つでもあり、市民の調査結果と公的な調査結果を相互に参照することで、データの充実と信頼性の向上が期待できます。
また、近年注目されている環境DNA技術は、河川水を採取するだけで生息する生物の種類を推定できる画期的な手法です。国土交通省の国土技術政策総合研究所でも、河川水辺の国勢調査への環境DNAメタバーコーディング解析の適用に関する検討が進められています。将来的には、市民が簡便に水を採取し、専門機関で分析するという分業体制によるモニタリングも実現可能になるでしょう。
5-4 庁内推進体制の構築
河川のネイチャーポジティブは、従来の縦割り行政の枠を超えた横断的な取り組みが求められます。水資源涵養量の評価は農林水産部門、河川の管理・整備は土木部門、生物多様性の保全は環境部門、地域企業との連携は産業部門の所管となるため、これらの部門間で密接に連携する体制が必要です。具体的には、副市長または副知事をトップとする「流域ネイチャーポジティブ推進本部」等の組織を設置し、関係部門の幹部職員がメンバーとなって、方針の決定と進捗管理を行うことが望ましいでしょう。実務レベルでは、各部門の担当者で構成するワーキンググループを設け、データの収集・分析、施策の立案、住民や企業との連携窓口などの機能を分担します。
また、外部の専門家やアドバイザーの助言を受ける仕組みも重要です。水文学、生態学、環境経済学等の専門家による「流域ネイチャーポジティブ諮問会議」等を設置し、科学的な観点からの助言を施策に反映させることで、取り組みの質を高めることができます。
5-5 評価指標(KPI)の設定例
河川のネイチャーポジティブの進捗を客観的に評価するために、以下のようなKPIの設定を推奨します。これらのKPIは、VWRR手法と河川水辺の国勢調査のデータを基盤として算出でき、TNFDの開示指標とも整合性のある体系となっています。水源涵養に関するKPIとしては、流域森林の年間水資源涵養量(m³/年)、水資源涵養量の対前年度増減率(%)、水使用量に対する涵養量の比率(Water Positive指標)、および間伐等の森林整備実施面積(ha/年)を設定します。
河川生態系に関するKPIとしては、魚介類・底生動物の確認種数と経年変化率、指標種(カワセミ、メダカ等)の確認河川数、特定外来生物の確認河川数とその経年変化、瀬淵比率の経年変化、および水際部の自然度指標を設定します。
社会的活用に関するKPIとしては、河川空間の利用者数と利用形態の多様性、住民参加型モニタリングへの参加者数、TNFD対応を支援した地域企業数、および自然資本レポートの公表回数を設定します。
これらのKPIは、河川水辺の国勢調査の5年間の調査サイクルに合わせて評価するのが基本ですが、一部の項目(水資源涵養量、住民モニタリング参加者数等)については年次で評価することも可能です。重要なのは、一度設定した指標を継続的に追跡し、変化の傾向を把握することです。
5-6 流域から始まるネイチャーポジティブの実現に向けて
この記事では、林野庁の「水資源涵養量簡易評価手法(VWRR)」と国土交通省の「河川水辺の国勢調査」という、国が整備した二つの重要なツールを統合的に活用することで、河川のネイチャーポジティブを科学的根拠に基づいて推進する方法をお示ししました。河川は、流域の森林から海に至るまで、水を媒介として様々な生態系と人間社会をつないでいます。上流の森林による水源涵養機能が河川の安定的な水量を支え、その水が多様な生きものの生息環境を育み、住民の暮らしと産業を潤しています。この「流域」という視点こそ、ネイチャーポジティブの取り組みの核となるものです。
VWRRの手法は、「水の量」という定量的な側面から森林と河川のつながりを可視化し、河川水辺の国勢調査は、「水辺の生きもの」という生態系の健全性を示す側面から河川の状態を明らかにします。この二つのアプローチを組み合わせることで、はじめて河川のネイチャーポジティブの全体像を把握し、効果的な施策を打つことが可能になります。
まずは、管内の河川流域についてVWRR手法のエクセルツールを使って水源涵養量を計算してみること、河川環境データベースで対象河川の生物データを確認してみる、こうした科学を忘れずに専門家に任せず、まず自分の手と耳と手と足で実践してゆくところから動き出します。
その他のご参考
・ 国土交通省 国土技術政策総合研究所「河川環境データベース(河川水辺の国勢調査)」
https://www.nilim.go.jp/lab/fbg/ksnkankyo/
・ 環境省「生物多様性民間参画ガイドライン(第3版)」
https://www.env.go.jp/press/press_01452.html
