都市に住むと、魂(スピリチュアリティ)が脆弱化して、自然なんてどうだってよくなる
世界人口の半数以上が都市に居住し、日本では人口の91%以上が都市部に暮らすまでになりました。現代社会の急速な都市化は、人々の日常生活から自然環境を遠ざけています。都市生活は便利さと効率性をもたらす一方で、人々の霊性(spirituality)への感受性に変化を及ぼしている可能性があります。ここで言う霊性とは、特定の宗教だけでなく自然との一体感や内面的な意味の探求といった広義の概念です。かつて多くの文化で自然は畏敬や信仰の対象でしたが、都市化の進行によってそのような霊性が希薄化し、人々が自然から心理的・文化的に乖離しているのではないか――本稿では、この問いをグローバルおよび日本の文脈で検討します。また、霊性の喪失が自然資本(生物多様性や生態系サービス)の劣化や持続不可能な利用と結びついているのではないか?とも疑っています。
今回も楽しんでいってください。
1.都市化による霊性と自然とのつながりの希薄化
霊性と自然のつながり:広義の霊性の意味
霊性は必ずしも宗教的な信仰に限定されず、自然や宇宙と自分がつながっているという感覚、人生の内面的な意味を見出す態度などを含む包括的な概念として本論では使用します。多くの伝統社会では、山川草木に神々を見出すアニミズムや、自然を敬う宗教観が育まれてきました。日本でも古来より八百万の神の信仰や神社の森(鎮守の森)に見られるように、自然と霊性は深く結びついてきました。こうした霊性は、人々に自然への畏敬と感謝の念を抱かせ、自然を大切に扱おうとする倫理観を支えてきたと言えるでしょう。(妖怪やお化け、最近見なくなりましたよね。もしかすると、霊性は、見なくなったのではなく、見えなくなったのかもしれません。あれ?なぜ、神社で手を合わせていたのでしょうか?)
現代の心理学や環境倫理の研究においても、自然とのつながり(Nature Connectedness)は人間の幸福感や倫理観に重要な役割を果たすことが示唆されています。例えば近年の研究では、自然に対する霊的なつながり(エコスピリチュアリティ)が強い人ほど、自然保護に対して高い道徳的関心を示すことが報告されています。これは、自然を単なる資源ではなく聖なる存在やかけがえのないものと感じる心が、そのまま環境を守ろうとするモチベーションにつながるためと考えられます。一方で、都市化によって人々の霊性が薄れ自然との精神的つながりが弱まれば、自然への敬意や倫理的配慮も低下する恐れがあります。次章では、都市化に伴う人々の自然離れの実態と「自然嫌い」とも呼ばれる現象について詳しく見ていきます。
都市化による自然離れと「自然嫌い」の増加
都市化が進むほど、人々が日常的に自然と触れ合う機会は減少します。家庭や職場はコンクリートに囲まれ、移動は車や電車で行われ、自然環境は公園や街路樹など限られた形でしか存在しません。このような自然体験の希薄化は「経験の絶滅(extinction of experience)」とも呼ばれ、特に都市育ちの世代で顕著です。1950年代以降のライフスタイルの近代化により、人々は徐々に自然界から距離を置くようになり、この進行中の自然との断絶は人間の健康や幸福、そして自然に対する態度・行動に深刻な影響を及ぼしつつあると指摘されています。
都市生活者の自然離れは単に機会の減少にとどまらず、心理的な「自然嫌い」の傾向を強めることがあります。東京大学の研究チームによる大規模調査(対象13,000人)は、都市化によって虫を見る機会が屋外から室内に移行し、さらに昆虫に関する知識が低下することで、虫に対する嫌悪感が強まり嫌う種類も増えることを明らかにしました。都市環境ではゴキブリやハエなど室内に侵入する虫ばかり目につきやすく、屋外の自然環境で見る虫よりも強い嫌悪を誘発する傾向が確認されています。加えて、幼少期から自然に触れる機会が少ない人ほど昆虫を見分ける知識・能力が低く、無害なテントウムシにさえ強い嫌悪感を示す例も報告されました。この研究の結論は、人類の進化の過程で形成された病原体回避の心理メカニズム(未知の生物への嫌悪)が、都市化によって一層強化されてしまうということでした。つまり、自然に不慣れな都市生活者ほど「何となく気持ち悪い」「危険かもしれない」といった理由で、本来怖がる必要のない生き物まで遠ざけてしまう傾向があるのです。
このような「生き物嫌い」「自然嫌い」の蔓延は、自然保護への無関心や反発にもつながりかねません。実際、前述の研究者らは虫嫌いの多さが昆虫の保全を妨げる一因になっていると指摘しています。世界的に都市化が進行する中で虫嫌いが増えれば、昆虫の減少という生物多様性の危機に拍車をかける可能性も示唆されています。昆虫は花粉媒介や生態系の基盤として重要ですが、人々が嫌悪感を持てば保全活動への支持は得にくくなります。同様に、都市住民が森林や湿地に対して「虫が多くて不潔」「危険で不快」と感じれば、自然保護区の拡大や環境政策に理解を示さなくなるかもしれません。このように都市化による自然離れは、人々の生物多様性や自然環境への関与を低下させる懸念があるのです。
霊性の喪失と自然資本の軽視
都市化に伴う自然離れは、人々の内面的な霊性――すなわち自然と自分のつながりや畏敬の念を感じる心――を弱めると考えられます。自然の中で感じる静けさや畏怖、崇高な美しさといった体験が乏しくなることで、自然を尊ぶ精神的価値が育ちにくくなるのです。霊性の喪失は、自然を人間の都合で利用する対象としか見なさない風潮を助長します。実際、国際的な研究では「現代の環境危機の根源は、自然が十分に評価されていないことにある」と強調されています。私たちは経済成長や便利さを追求するあまり、自然が本来持つ多様な価値(精神的充足や文化的意義など)を軽視してきたという指摘です。こうした狭い価値観が支配的な状況そのものが「価値観の危機」であり、生物多様性や気候変動など喫緊の問題解決を困難にしていると報告書は述べています。
霊性的価値観が希薄になると、自然資本を敬意や節度をもって扱おうとする意識も低下します。自然との精神的つながりが弱まった社会では、森羅万象に魂を感じて守ろうとするよりも、自然を経済的価値で測り搾取することが正当化されがちです。都市生活で育まれる効率性・経済優先の価値観は、ともすれば自然をコモディティ(商品)化し、短期的利益のために開発し尽くすことにつながります。例えば森を「レクリエーションや精神安定の場」としてではなく「宅地や木材資源」としか見なければ、そこにある生態系や聖域的価値は考慮されず乱開発に拍車がかかるでしょう。現に、政治・経済の意思決定では自然の市場価値のみが重視され、霊性や文化に根差した価値は切り捨てられがちだと指摘されています。
2.自然の声を訊く力が、ネイチャーポジティブへの扉を開く
しかし、霊性の喪失による自然資本の軽視は持続可能な未来に対する重大なリスクです。自然への畏敬や一体感を欠いた社会は、結果的に自らの生命基盤を破壊しかねません。逆に言えば、人々が自然に霊性や内的価値を見出し直すことが、環境問題解決のカギとなります。前述のとおり、自然と深いスピリチュアルなつながりを持つ人は環境保全への関心も高いことが確認されています。したがって、都市化時代において霊性を取り戻すこと—つまり自然を単なる物質的資源以上の存在と認識すること—ができれば、人々の行動や政策判断も自然を守り育む方向へ変わり得る可能性が高まります。
自然資本の劣化:生物多様性・生態系サービスへの影響
日本では、道路を舗装で覆い、一軒家にはどんどん庭がなくなっています。
自然軽視の風潮の中で、世界の自然資本は深刻な劣化に直面しています。自然資本とは、人類に恩恵を与える生態系・生物多様性・水や土壌などの自然の資源基盤を指します。その劣化は、生物多様性の喪失や生態系サービス(自然が提供する様々な利益)の低下という形で現れています。
本Blogの読者には、ご存じのとおり、生物多様性の劣化に伴い、人類が受け取っている生態系サービスも低下しています。例えば、食糧生産を支える花粉媒介者(ミツバチなど昆虫類)の減少や異常発生、水産資源の枯渇、遺伝資源の喪失などが各地で報告されています。IPBES報告書は、花粉媒介動物や漁業資源の顕著な劣化傾向に言及し、これは食料安全保障や経済にも深刻な影響を与えると警鐘を鳴らしています。都市住民は日々の食料や水をスーパーやインフラから当然のように得ていますが、その裏で支えている自然のシステム(例えば受粉や水源涵養)は目に見えない形で弱体化しています。霊性を通じて自然への感謝や畏敬の念があれば、こうした危機にも敏感になれるでしょうが、都市生活ではその「気づき」が得られにくいのが現状です。
また、緑地や水資源の減少も自然資本劣化の重要な側面です。都市の拡大により森林・湿地・農地が開発で失われ、景観の中から文字通り緑が消えていきます。高速で進む都市化の下、都市内部の自然は断片化・孤立化し、生態系は大きな圧力を受けています。都市住民にとって身近な自然が減少することは、そこで暮らす動植物だけでなく、人間の福利にも影響します。都市の緑地はヒートアイランド現象の緩和や大気浄化、水の浸透による洪水防止などエコシステムのサービスを提供しています。しかし緑地が失われれば、こうしたサービスが失効し、都市環境はますます人間にとって過酷なものとなります。例えば樹木が少なければ夏の猛暑は和らがず、舗装面からの水の流出が増えて洪水リスクが高まるでしょう。水資源に関しても、河川や湿地の埋め立て・汚染、地下水の過剰利用による枯渇など、都市化は様々な形で水循環を歪めています。日本においても、高度経済成長期から現在に至る開発で多くの湧水地や里山の湿地が消失し、水辺の生態系が劣化しました。これは人間にとっても、水質浄化や水産資源の減少となって跳ね返っています。
以上のように、霊性の低下と歩調を合わせるかのように進む生物多様性の損失・生態系サービスの低下は、我々人類の生活基盤そのものを揺るがしています。自然資本は人間の社会・経済の土台であり、人間の安全保障の根幹とも言われますが、その安定性が損なわれれば将来世代の繁栄もあり得ません。
自然の聖地と先住民の守護:コスモビジョンの実践例
一方で、南米各地には、先住民にとって特別な霊性を帯びた「聖なる自然域(Sacred Natural Sites)」が数多く存在します。これらは山岳、森林、湖沼、河川、さらには特定の樹木や景観など多岐にわたり、共同体の神話や信仰において重要な位置を占めています。聖地では伝統的に開発や資源採取に厳しい制限が課されることが多く、その結果、生態系の保全に大きく貢献してきました。国際自然保護連合(IUCN)なども、聖なる自然域が先住民や地元コミュニティによって効果的に保全されている事例に注目し、それらを「ICCA(先住民・コミュニティ保全地域)」や「その他効果的な地域ベースの保全手段(OECM)」として認知する動きを進めています。また、一部の国では聖なる山や河川、大地そのものに法的人格を認め、権利を付与する試みも現れています。南米では、そうした法的前例の先駆けとしてエクアドルとボリビアのケースが挙げられます。
ボリビアでは2010年、「母なる地球(Pachamama)の権利法(Ley de Derechos de la Madre Tierra)」が世界に先駆けて制定され、自然界が人間と同等の権利主体として扱われることになりました。これは2009年の新憲法で採択された「ボリビア多民族国」の理念に基づく包括的な法体系改革の一環であり、アンデス先住民の宇宙観が色濃く反映されています。この法律は、「地球はすべての生命の母であり、人間も含めたあらゆる存在と調和を保つ関係を築かねばならない」という思想を掲げ、自然の11の権利(生命・存在の権利、水や空気の純粋性維持の権利、自然のサイクルを人為的改変されない権利、汚染されない権利、巨大開発から影響を受けない権利等)を定めました。この背景には、アイマラやケチュアなどアンデス高地の先住民が伝統的に信仰してきた「パチャママ」(大地の女神)の思想があります。ボリビアのガルシア=リネラ副大統領(当時)は「この法律は人間と自然の新たな関係を確立するものであり、その調和の維持が地球再生の保証となる」と述べています。またチョケワンカ外相(当時)は「祖先は我々に、植物や動物たちと大家族を成していると教えてきた。地球上のすべては大家族の一員であり、先住民の価値観は気候変動や環境問題の解決に貢献できる」と国連で演説し、先住民の精神文化が持つ環境保護ポテンシャルを訴えました。このようにボリビアでは霊的世界観が法律と政策の倫理的基盤となり、自然との関係を再定義する試みがなされています。
エクアドルでも、2008年の新憲法において自然の権利(Rights of Nature)が明記されました。憲法は自然(Pachamama)が「その生命循環、構造、機能および進化過程を維持し、再生する権利」を有すると規定し、続く法律で自然の権利を侵害する行為に対する訴訟制度を設けました。これはアマゾン先住民を含む市民社会の強い働きかけによるもので、背景にはやはり先住民の自然観――森や河川をひとつの生命体とみなす視点――があります。これらの国の試みは「自然との倫理的関係を法的に表明した先駆例」として重要です。アンデスのコスモビジョン(宇宙観)が国家の基本理念にまで昇華されたことで、人々の間で自然観や発展観に対する対話が広がり、他国にも波及効果を与えています。事実、南米の隣国コロンビアやペルーでも、特定の川や国立公園を「権利主体」と認める司法判断が近年見られるようになりました。南米発のこうした動きは、ネイチャーポジティブを実現する上で価値観シフトと制度改革が連動した一つのモデルと考えられます。
また、先住民自身が聖地の保全を求める国際的なアドボカシーも活発化しています。2016年のIUCN世界自然保護会議では、コロンビアのウワ(U’wa)族代表が「我々の聖なる山(ズイズマ、エルククイ国立公園)が観光客や資源開発によって脅かされている。先住民の伝統的権利と聖地を守らねばならない」と訴え、聖地保護の決議(Motion 26)採択に尽力しました。ウワ族にとってズイズマ山は祖先の霊が宿る知恵の場であり、周囲の生態系と霊的な通信を続ける場所です。彼らはこの山を「人類存続を保証する生物・霊性・自然の回廊」と位置づけ、外部からの乱入によって精霊との関係が断たれることに深い懸念を示しました。彼らは「霊的・自然のバランスなくして生命は存続しない」という信念を共有し、先住民が何世代にもわたって聖地と領土を守ってきた事実を踏まえ、保全政策における精神文化の尊重を強く求めています。このような先住民の声は、従来の科学主導・政府主導の保護区政策への批判でもあり、ネイチャーポジティブの議論に重要な視点を提供しています。すなわち、生態学的健全性だけでなく文化的・精神的健全性をも指標に入れるべきだという提起です。
霊性は、自然を守る鍵となる
南米の自然保護における霊性(スピリチュアリティ)の役割は、先住民の伝統信仰にとどまりません。ラテンアメリカはカトリックをはじめとするキリスト教信仰も広く浸透しており、宗教界からの環境保護への呼びかけも大きな影響力を持っています。その象徴的存在がローマ教皇フランシスコの発した回勅「ラウダート・シ(Laudato Si’, 2015)」で、これは環境問題を霊的・倫理的課題として捉え直す強力なメッセージでした。フランシスコ教皇(アルゼンチン出身)は特にアマゾンの環境と先住民文化の重要性を訴え、2019年にはバチカンで「アマゾンシノドス(特別シノドス)」を開催して先住民代表者の声を聴き、教会としてアマゾンの守護に関与する決意を示しました。このようなキリスト教側の動きは、先住民の霊性と必ずしも対立するものではなく、「創造物(自然)を大切にする共同の使命」として交わる部分も大きいのです。実際、UNEPなどが主導する「熱帯雨林宗教者イニシアチブ(Interfaith Rainforest Initiative)」では、キリスト教や他宗教の指導者がアマゾン諸国の先住民と協働し、森林破壊に対する啓発や政策提言を行っています。このイニシアチブは「生命と自然の神聖さ」を全ての宗教・霊性(スピリチュアリティ)に共通の基盤として掲げており、宗教間の歴史的対立を乗り越えて協調することで地球を癒やすことを目指しています。南米ではカトリック系のNGOが先住民の土地権や環境正義を支援する例も多く、欧米発の保全プロジェクトでも現地の精神文化に配慮したアプローチが徐々に増えています。
さらに、アフリカ由来の宗教的伝統や、各地の民間信仰も自然との関係性において重要な役割を果たしています。ブラジルのカンドンブレやウンバンダといったアフロ・ブラジル宗教では、大地・海・川・嵐など自然現象に対応する神(オリシャ)が崇拝され、それらの神聖視が自然要素の保護につながることがあります。例えば、水の女神イエマンジャーを祀る祭りでは海岸清掃が伴われたり、森林の狩猟神オクである聖人コスが守る森では無闇な伐採を避ける伝統が語り継がれるなど、信仰が自然資源への節度を促す一因となっています。
3.持続可能な未来への提言:霊性の回復と自然との再接続
霊性が再定義する人間と自然の関係
南米の事例は、スピリチュアリティが単なる伝統文化ではなく現代の環境課題解決に資する知恵の源であることを示しています。先住民や地域コミュニティの暮らしから生まれた知恵は、生態系と人間社会の関係性をより包括的に捉える視座を提供します。それは経済的価値や科学的知見だけでは測れない「聖なる価値」を含んでおり、自然との精神的なつながりや倫理を重視することで、より持続可能で人間性豊かな保全行動を導く力があります。実際、ボリビアやエクアドルの政策転換、アマゾンの先住民による森林管理の成功、聖地をめぐる法的権利の議論などは、自然との関係を見直すことで革新的なアイディアや制度が生まれうることを示唆します。
南米におけるスピリチュアリティは、「人間中心主義から生命中心主義へ」というパラダイムシフトで人間と自然の関係性を根源から問い直し、新たな倫理とビジョンを提示しています。伝統的な霊的世界観は、自然をモノや背景ではなく人格的存在や共同体の一員とみなし、尊敬と感謝、そして責任の念をもって接する態度を育みます。アンデスのケチュア語における「Sumak Kawsay(スーマク・カウサイ)」やアイマラ語の「Suma Qamaña(スマ・カマーニャ)」は「良く生きる(Buen Vivir)」と訳される哲学で、人間が自然・社会・精神的調和の中で豊かに暮らすことを意味します。この概念は、経済成長至上ではなく、自然との互恵的な関係やコミュニティの幸福を重視する発想であり、エクアドルやボリビアの国家理念にも取り入れられました。そこでは開発計画であっても生態系の許容量や聖地の価値が考慮され、人間が自然の一部として「地球の声」に耳を傾ける姿勢が重要とされます。霊性(スピリチュアリティ)はまた、自然保護における倫理的基盤を提供します。多くの先住民社会では、自然を傷つけすぎることは霊的な罰や不調和を招くと信じられており、伝統的戒律(タブー)や儀式によって資源利用を管理してきました。例えば狩猟後に動物の魂に感謝を捧げる儀礼や、特定の繁殖期には漁労を避ける決まり、御神木とされた巨木を伐らない慣習などは、一見宗教的行為ですが実際には資源の持続性を確保する合理性も備えています。このように霊的な掟がコミュニティの内発的な環境規範となることで、外部から強制される規制よりも強い守秘力を持つケースも少なくありません。国際社会でも、近年は単に科学的データを示すだけでなく、価値観や倫理に訴えるアプローチが重視されつつあります。気候変動や生物多様性危機に対し、「未来世代への責任」や「他の生物の権利の尊重」といった倫理的メッセージが強調されるようになったのは、スピリチュアルな視点が環境運動に再評価されている証とも言えるでしょう。
スピリチュアリティとネイチャーポジティブの接点を見てきたように、南米では霊的価値観が自然保護の強力な推進力となり得ます。人間と自然の関係を霊的・倫理的に再定義することは、生物多様性危機に対する根本的な解決策の一つです。南米先住民が体現してきた「自然への畏敬と愛」の精神は、自然を単なる利用対象から尊重すべきパートナーへと位置づけ直します。この価値観の転換こそ、ネイチャーポジティブ(自然の状況を好転させる)アプローチの土台になるでしょう。
サプライチェーンではなく、バリューに注目するネイチャーポジティブ
もっとも、霊的価値観を現代の政策や経済システムに統合するには課題もあります。第一に、霊的世界観は西洋近代由来のサプライチェーンドリブンな、科学的・経済的な意思決定プロセスとしばしば乖離しており、両者を架橋する対話が必要です。意思策定において、需要者側や生活者側の先住民や信仰コミュニティの声を反映させるマーケティングの視点が重要になってきます。この意味では、各地の文脈に根ざしたアプローチが必要であり、画一的な「伝統知の利用」ではなく共同創造的なマーケティングアプローチが理想です。幸いなことに、近年は「生物文化多様性(Bio-cultural Diversity)」という考え方が浸透しつつあり、自然と文化を切り離さず統合的に保全する動きが広がっています。例えばチリ南部のバルディビア沿岸保護区では、マプチェの人々が森に入る前に森の精霊に許しを請い、歌や供物を捧げる伝統を観光客や科学者と共有しつつ、森のエネルギーと気候調節機能を科学的にも調査する試みが行われています。こうした文化と自然の相互を楽しむネイチャーポジティブツーリズムは、霊性を軸に据えたネイチャーポジティブビジネスの成功例と言えます。
霊性の価値を新たに「思い出させる」マーケティング
都市化がもたらした生活様式の変化は、人類に繁栄と利便性を与える一方で、私たちの内なる霊性を弱め、自然との絆を断ち切ろうとしています。そしてその霊性の喪失こそが、生物多様性の危機や気候変動と並ぶ根源的な環境問題であることが浮かび上がってきました。自然から乖離した人間社会は、自然資本を収奪し劣化させることで自らの存立基盤をも危うくしています。しかし、本稿で見てきたように打開の道筋も示されています。それはすなわち、もう一度私たちが自然への畏敬と愛着を取り戻し、霊性を豊かに甦らせることです。
しかし、このアプローチは、TCFDやTNFDなどサプライチェーンアプローチからは出てきません。
持続可能な未来のためには、サプライサイドの技術革新や経済政策だけでなく、人間の価値観そのもののにアプローチする需要者側へのマーケティングにおける施策が求められます。
幸い、日本には古来より自然と共生してきた文化的財産があり、また都市部にも緑地や庭園、神社の森など霊性を感じ得る空間が残されています。科学の知見と伝統の知恵を融合し、都市計画・教育・経済活動のあらゆる場面で自然とのつながりを意識するマーケティングコミュニケーションで、私たちは豊かな霊性を持ちながら繁栄する新たな社会像を思い出すことができる可能性はあります。それは単に環境問題を解決するだけでなく、日々の暮らしの中での本来的な充足感を得られる時間を再創造するアプローチにもなりそうです。都市に生きながらも森羅万象に心を開く――そのような霊性を携えた暮らしや時間が、自然資本を守り未来世代へと継承していく主役となるといえそうです。
