2026版TNFDの注目ポイント「ネイチャーポジティブ移行計画」のつくり方
2026年は、ネイチャーポジティブの標準化が進み、いよいよ、移行計画を考えるタイミングとなります。
2025年11月、TNFD(自然関連財務開示タスクフォース)が全130ページのガイダンス「Guidance on nature in transition plans」を公表しました。15社のパイロットテストを経て練り上げられたこの文書が示すのは、自然課題を「本業の戦略に組み込む」ための具体的な道筋です。負の影響をどこで、いつまでに、いくら使って減らすのか。誰が責任を持ち、何で進捗を測るのか。どのサプライヤーから、どの予算科目で、どう変えていくのか。それを経営計画として書き切ることが、いよいよ求められています。この記事では、2026年にTNFDの執筆を担当する皆様を対象に、TNFDの移行計画ガイダンスの中身を紹介しながら2026年に何をすべきかを整理していきます。移行計画の全体像と、4月からの第一歩が見えてくるはずです。
今日も楽しんでいってくださいね!

開示だけでは、世界は変わらない
世界は、第四段階に到達して初めて変わります。ここまで到達しない活動はある意味グリーンウォッシュです。多くの企業の現在地を見ると、次の4段階のうち、2段階目で止まっている例がとても多いです。
第1段階:方針
「自然を大切にします」と宣言します。
これは出発点としては正しいのですが、ここだけでは何も動きません。
第2段階:開示
依存、影響、リスク、機会を整理して報告書に描きます。
TNFDのLEAPアプローチに沿ってアセスメントを行い、推奨開示に対応します。
ここまで進む企業は着実に増えています。
3段階:移行計画
どこで、何を、いつまでに、いくら使って、誰が責任を持って変えるかを考えます。目標と証拠の取り方まで含めた経営計画が出てくる段階です。
第4段階:実装
現場が変わります。その過程で、おそらく契約、予算、設備、商品設計、KPI、人事評価が変わるでしょう。
問題は、2段階目まででも外からはそれなりに見えてしまうことです。立派な報告書は出せます。しかし、現場は、3段階目からしか動きません。それゆえ、今日は、この話題にフォーカスします。
言い換えると、移行計画は「開示の続編」ではなく「個々の現場と経営への接続」です。この接続が弱い会社では、サステナビリティ部門が立派な資料を作っても、購買部門は従来どおり単価優先で動き、設備投資会議では自然関連案件が後回しになり、営業は自然価値を商品説明に入れず、取締役会は全体像をつかめないままになります。
TNFDが示す移行計画の全体像
TNFDからも移行ガイダンスが昨年の11月にリリースされています。
移行計画を次のように定義しています。
移行計画とは、組織の全体的な事業戦略の一部であり、社会的目標やその他の経済変革に対応し貢献するための、目標、ターゲット、行動、説明責任の仕組み、そして必要な資源を示すものです。そのうち自然に関する部分は、GBFが示す移行──2030年までに生物多様性の損失を止めて反転させ、2050年までに自然と共生する世界を実現する──に対応し貢献するための計画です。
ここで注目すべきは「事業戦略の一部」という位置づけです。「どの自然課題を、どの場所で、どの事業と調達で、誰が、いつまでに、どれだけの予算で変えるのかを、目標と証拠の取り方まで含めて書いた経営計画」です。方針との違いは責任と資金が入ること、開示との違いは変化の設計図になっていること。TNFDのガイダンスはまた、移行計画が「時限付きで科学に基づき、人権を尊重し、他の移行計画目標とのシナジーとトレードオフを特定・管理する」ものであるべきだとしています。さらに、自然と実体経済への変化を優先する行動──負の影響の回避・削減、自然の保護・保全・再生・回復、自然損失の要因に対処するための仕組み転換──を中心に据えることを求めています。
5つのテーマ──気候の移行計画と同じ骨格
TNFDのガイダンスは、GFANZとTPT(Transition Plan Taskforce)が気候の移行計画に使った5つのテーマをそのまま活用しています。気候と自然で骨格を揃えることで、企業が統合的に取り組みやすくする設計です。
基盤(Foundations):組織が自然の移行にどう向き合うかの全体像を示します。移行計画のフレーミングとスコープ、ビジネスモデルとバリューチェーンへの影響、計画の優先事項、主要な前提条件と外部要因の4つの構成要素があります。金融機関の場合はトランジション・ファイナンス戦略も含まれます。
実行戦略(Implementation Strategy):事業計画と操業、製品・サービス、方針・条件、財務計画の4つの構成要素で、具体的にどう変えるかを示します。
関与戦略(Engagement Strategy):ランドスケープ・流域・海域における関係者との連携、バリューチェーンとの協働、業界との連携、政府・公的機関・市民社会との関わり方の4つの構成要素です。
指標と目標(Metrics and Targets):依存・影響に関する指標と目標、ガバナンス・事業・操業の指標と目標、財務指標と目標の3層構造です。
ガバナンス:取締役会の監督と報告、経営層の役割と責任、インセンティブと報酬、スキルと能力開発、組織文化の5つの構成要素を含みます。
TNFDのガイダンスが特に力を入れているのは、この5つのテーマを「同時並行で」組み立てるべきだという点です。とりわけ実行戦略と関与戦略は表裏一体の関係にあります。たとえば、新しい持続可能な調達基準を設定するなら、その基準をサプライヤーが満たせるよう支援するプログラムも同時に設計します。流域での上流湿地の再生に投資するなら、他の水利用者と連携してリバウンド効果を防ぎます。ガイダンスには、こうした連動の具体例がパイロット企業の事例とともに複数示されています。
TNFDは、可能な限り、自然と気候の移行計画を統合して策定することを推奨しています。その背景には、自然と気候の深い相互関係があります。気候対策だけを先行させると、自然には逆効果になることもあります。むしろ、シナジーを最大化しながらトレードオフを管理するためにこそ、自然と気候を統合して計画する必要があるのです。
また、TNFDのガイダンスは、移行計画が人々にどう影響するかにもかなりの紙幅を割いています。先住民族や地域コミュニティは自然の損失を食い止める上で決定的に重要な存在です。IPBESのグローバルアセスメントは、先住民族の土地では他の土地よりも自然の劣化が遅いことを報告しています。ガイダンスは、先住民族、地域コミュニティ、影響を受けるステークホルダーの関与なしに策定された計画は、実効性も正統性も弱くなると警告しています。
さらに、移行計画が地域経済や雇用に与える影響、事業活動の変更が環境・社会的な害を他の場所に移転させるリスクについても考慮すべきだとしています。社会的に公正な移行(ジャスト・トランジション)の考え方は、気候だけでなくGBFが示す移行においても重要性を増しています。
移行計画の作り方──実務の10ステップ
ここからは、企業がネイチャーポジティブ移行計画を実際に作る際の手順を、10のステップに整理します。TNFDのガイダンスの構成と、日本企業の実務感覚の両方を踏まえたものです。改めて、TNFDのプロセスを振り替えながら記載します。
ステップ1:自然課題を価値創造ツリーに組み込む
最初にやるべきは、「自然のどの論点が、自社の売上、原価、調達安定、許認可、保険、資金調達、ブランド、事業継続にどう効くか」を経営の言葉に訳すことです。
たとえば食品企業なら、原料安定、水、土壌、受粉、病害虫、流域が重要な論点になります。建設・不動産なら土地改変、雨水、緑地、資材調達、都市の暑熱や洪水対応です。金融ならポートフォリオの自然リスク、担保価値、与信、保険損害率です。自然課題を「善意の活動」ではなく「事業の前提条件」に置き直せないと、後工程のすべてが弱くなります。
TNFDのガイダンスでいえば、これは「基盤」テーマの最初の構成要素「移行計画のフレーミングとスコープ」に当たります。GBFが示す移行が自社のビジネスモデルやバリューチェーンにどう影響するかを説明し、計画のハイレベルな野心と対象範囲を設定する段階です。
「当社の自然関連論点、まずは土地・水・調達のうち、今後3年でPL、BS、CFに最も効くものは何か」に答えるイメージです。
ステップ2:場所を特定する
自然課題は場所で決まる、これは気候との最大の違いです。実務では、「直接拠点」「主要原料の上流」「販売先で説明責任が強い地域」を拠点単位で、流域、保護地域との近接、森林転換リスク、水ストレス、重要生態系との接点を見ます。調達については、全サプライヤーを同時にやる必要はありません。調達額が大きく、リスクが高く、代替が効きにくい品目から始めれば十分です。TNFDのガイダンスでも、ビジネスモデルやバリューチェーンの一部から始めて、カバレッジ、精度、深度を時間をかけて広げていくことが想定されています。
ステップ3:依存、影響、リスク、機会を切り分ける
場所ごとに4つの概念を分けて整理します。依存は、自社が自然に頼っていることです。影響は、自社が自然に与えていることです。リスクは、その結果として自社に返ってくる不利益です。機会は、逆に事業成長やコスト低減、資金調達改善につながる余地です。たとえば、水質悪化は影響、水不足は依存とリスク、流域再生サービスは機会、というように分けて考えます。ここで大事なのは、リスク評価を財務だけに閉じないことです。自然関連課題は、調達停止、価格上昇、品質ばらつき、操業制約、訴訟、評判、保険、与信条件、顧客要件のどこに効くかで評価します。逆に機会は、新商品、プレミアム価格、取引継続、投資呼び込み、地域との共創、保険料低減などで見ます。普段、現場や会議で使っている言葉に紐付け直すことが大切です。
ステップ4:計画の優先事項を決める
TNFDのガイダンスは、優先順位づけのプロセスを詳しく解説しています。すべての依存・影響・リスク・機会を一度に扱うのではなく、計画の優先事項として管理すべきものを選びます。初期の計画では少数から始めて構いません。優先順位をつける際には、事業要素と自然要素の両面から判断します。事業要素としては、戦略との整合、リスクと機会の大きさ、介入のコスト、実現可能性があります。自然要素としては、影響の大きさ、自然の状態(生態学的感度、劣化の深刻さ、転換点への近さ)、生態系サービスの重要性があります。SBTNは、影響ドライバーと自然の状態を組み合わせた指標で場所をランキングし、さらに社会、財務、実現可能性の観点を加えて優先順位をつける方法を示しています。ガイダンスに登場するコーヒー会社JDE Peet'sのパイロット事例は参考になります。同社は既存の「農業アーキタイプ」分類を活用して計画の優先事項を定義しました。熱帯の小規模農家、大規模管理農場、低投入の小規模農家というアーキタイプごとに、類似した社会経済的・環境的特性を持つ調達地域をグルーピングし、複雑なグローバル調達網を管理可能な優先事項の集合に変換しています。また、資産運用会社のSAMのパイロット事例では、場所情報を活用してポートフォリオの優先順位を決めています。保護区域、先住民族の領域、企業の資産の立地を重ね合わせ、さらに実現可能性(本社所在地への近さや時価総額の大きさ)を加味して、15社の北欧企業を戦略的なエンゲージメント対象に選定しました。
ステップ5:目標は「回避・削減」から組み立てる
SBTNは、AR3Tフレームワーク(回避・削減、再生・回復、仕組み転換)を示し、負の影響の管理を正の貢献の前提として位置づけています。まず自然への影響量を減らす必要があります。移行計画では、自然と実体経済への変化を優先します。従って、目標はAR3Tの目線で設定すると良いと思われます。第1層は負の影響を減らす目標です。第2層は自然の状態を改善する目標です。第3層は社内の実装能力を高める目標です。第1層だけでは守りに偏り、第2層だけでは美談に寄り、第3層だけでは手続き論になります。3層を同時に置くと、現場の行動と長期成果がつながります。
ステップ6:行動ポートフォリオを作る
移行計画の核心は「行動ポートフォリオ」です。TNFDのガイダンスでも、実行戦略のもとで、事業計画と操業、製品・サービス、方針・条件、財務計画の4つの構成要素に分けて行動を整理する設計になっています。実務では、直接操業でできること、調達でできること、商品・サービスでできること、地域で共同でやること、制度やルールに働きかけることの5つに分けるとよいでしょう。
TNFDのガイダンスには、バリューチェーンの段階ごとの具体的なアクション例が示されています。上流では調達方針の策定や特定地域での特定慣行のサプライヤー排除。直接操業では資源採取・汚染・廃棄を減らすためのプロセス改善や技術導入、高汚染物質の段階的廃止、リサイクル材料を組み込んだ製品再設計、重要な生産拠点周辺の景観再生への投資。下流では製品回収スキームや消費者啓発プログラム。横断的にはR&Dを含む、バリューチェーン外での仕組み転換です。
食品企業であれば、直接操業では工場排水や水利用効率の改善、調達では土壌改善とゼロ転換の確保、商品では原料切替、地域では流域連携、制度面では産地データ共有や標準化への参加が考えられます。不動産であれば、直接操業では緑地・雨水・生態ネットワークの整備、調達では木材や資材の証跡確保、商品ではテナント向けの自然価値提案、地域では街区単位の緑地接続です。金融であれば、ポートフォリオ分析、融資条件の見直し、エンゲージメント、共同投資、データ基盤の構築です。
ステップ7:エンゲージメント戦略を組み込む
TNFDのガイダンスで特に目を引くのが、エンゲージメント戦略の扱いの重さです。エンゲージメント戦略は付属論点ではありません。計画の本体であり、ランドスケープ・流域・海域での関与、バリューチェーンとの関与、業界との関与、政府・公的部門・市民社会とのエンゲージメントの4つの構成要素を持っています。なぜこれほど重視されるのでしょうか。自然課題は、個社の境界内だけでは解決できないものが多いからです。水の取水量を減らしても、同じ流域の他の利用者がその分を増やせば意味がありません(これをインパクト・リーケージといいます)。農家に持続可能な慣行を求めても、買い手側の価格や契約条件が変わらなければ農家は動けません。包装のリサイクルインフラを整備するには、自治体やリサイクル事業者との連携が不可欠です。TNFDのガイダンスは、ブラジルのコーヒー生産における水と気候のレジリエンス向上コンソーシアムの事例や、化粧品会社Naturaの「再生同盟」の事例を紹介しています。Naturaはサプライヤー100社超で構成するネットワークを組織し、サプライヤーを炭素、生物多様性、人権などの分野でのサステナビリティ成熟度で分類し、500以上の改善機会をマッピングして緊急度別に進捗を管理しています。ここで大事なのは、サプライヤーに丸投げしないことです。価格、契約期間、最低発注量、品質規格、納期、原料切替の自由度など、買い手側の条件が自然への影響を決めている面が大きいのです。サプライヤー方針の通知だけでは不十分です。必要なのは、長期契約、価格プレミアム、技術支援、共同データ基盤、改善計画、是正期間の設計まで入れた、実質的な条件変更と支援策です。したがって、移行計画には、個社施策だけでなく、「どの地域で、誰と、何を共同で進めるか」を書くべきです。商工会議所、自治体、流域団体、金融機関、他社、研究機関、地域住民との役割分担まで見えると、計画の実効性は格段に高まります。ここが書けている企業はまだ少ないので、差別化のポイントにもなります。
ステップ8:責任者と会議体を決める
計画が止まる最大の理由は、責任者が曖昧なことです。TNFDのガイダンスのガバナンステーマは、取締役会の監督と報告、経営層の役割と責任、インセンティブと報酬、スキルと能力開発、組織文化の5つの構成要素を持っています。ここで大事なのは、「誰が実行し、誰が監督し、誰が説明するか」を分けることです。実行は事業部と購買、監督は経営会議と取締役会、説明はIRとサステナビリティが担います。この分担とガバナンスがないと、現場は動かず、開示だけが先に走り、口先だけの空報告になります。
ステップ9:翌年度の予算計画に落とし込む
移行計画は、予算の裏づけが入って初めて計画になります。TNFDのガイダンスの「財務計画」構成要素は、計画の各アクションについて財務的なリソース配分と、財務ポジションへの影響をアセスメントすることを求めています。計画の財務的な実行可能性を示すことが、信頼性を高めます。ここで言う予算は寄付金ではなく、CapEx、OpEx、調達条件、研究開発費、システム投資、人的投資です。水ストレス地域の設備更新、原料トレーサビリティのシステム、農家支援の前払いや長期契約、再生型資材の試験導入、地域連携の共同事務局──自然対応が、既存の予算科目に入ります。財務部門には、自然関連案件を「将来キャッシュフローを守る投資」として見る視点が必要です。自然関連案件は、資金調達、保険、顧客維持、許認可、原価安定に効く視点からの投資評価になります。設備更新の審査項目に自然条件を入れる。調達契約で証跡要件と改善条件を入れる。商品開発の採算評価に自然リスクや顧客要件を反映する。地域連携の共同事業に予算枠を置くなど、移行計画の成否は、専用予算の有無よりも、既存予算の流れを変えられるかどうかで決まります。
ステップ10:データは「証跡が残る形」で集める
最後はデータです。自然関連データは、集めること自体よりも、説明できる形で残すことが重要です。出所、日時、地点、方法、担当者、レビュー履歴、更新ルールが分からないデータは、後から使えません。
最低限やるべきは、6項目をすべてのデータに付けることです。①地点情報、②対象範囲、③計算方法、④一次データか推計か、⑤レビュー者、⑥更新頻度。これだけで、後から保証や説明に耐える度合いがかなり変わります。データ台帳を作り、地点、対象、単位、更新頻度、一次情報か推計か、責任部署、保管先、確認者、関連する開示項目を一覧化します。重要KPIについて、毎期どの手順で集め、誰が確認し、どう承認するかを決めます。ここまでやると、将来の第三者保証にも乗せやすくなります。自然関連の内部統制は、財務統制と同じ厳密さをいきなり求める必要はありません。しかし「統制の設計思想」は同じにすべきです。つまり、定義を固定し、変更履歴を残し、例外処理を定め、責任者を置くことです。これがないと、毎年数字の意味が変わり、経営判断に使えなくなります。
ただし、最初にデータではありません、あくまでも最後のステップに置くことも重要です。経営から逃げてはダメです。役割分担は以下の通りです。
取締役会の役割は、移行計画を「会社全体の前提」にすることです。具体的には、優先地点の妥当性、主要リスクの大きさ、資金配分の整合性、サプライチェーンの進捗、重大な自然関連事案を監督します。年に一度の報告を受けるだけでは足りません。少なくとも中期計画、投資計画、重要調達方針の見直しと接続する必要があります。
経営企画の役割は、自然関連課題を事業計画に翻訳することです。新工場計画、新商品戦略、M&A、撤退判断に自然条件を入れます。
サステナビリティ部門は、論点整理、外部フレームワーク対応、社内統合の司令塔です。ただし、実行主体ではありません。実行主体は、事業部、工場、購買、商品企画です。ここを取り違えると、サステナビリティ部門だけが忙しくなります。
購買部門の役割は極めて大きいです。原料や資材の選定、契約条件、証跡管理、サプライヤー改善計画、代替調達の設計を担います。自然関連の移行計画は、購買条件が変わらない限り、だいたい前に進みません。購買KPIには、単価だけでなく、トレーサビリティ、是正率、優先原料の改善率を入れる必要があります。
財務部門の役割は、案件の採算性を正しく見ることです。短期回収だけでなく、供給安定、規制対応、顧客要件、保険、与信、ブランドへの影響を入れて判断します。
IRは、外部への物語を作ることではなく、計画と資本配分の整合性を説明することが仕事です。
法務は契約と表示、ITはデータ統制、内部監査は証跡と運用状況を見ます。これでようやく、移行計画が全社の仕組みになります
業種で異なる移行計画の重心
TNFDのガイダンスには、多様な業種のパイロット企業の事例が含まれています。業種ごとに移行計画の重心は大きく異なります。
食品業界では、原料と流域が中心です。優先地点は産地、原料倉庫、加工拠点、主要流域になります。重要なのは、単なる認証比率ではなく、土壌、水、土地転換、農家との契約条件が変わっているかです。JDE Peet'sのパイロット事例では、「農業アーキタイプ」で調達地域を分類し、アーキタイプごとに異なる実行・関与戦略を設計しました。計画の良し悪しは、調達方針の文言よりも、価格、契約年数、技術支援、データ共有に何を入れたかで決まります。
アパレル業界では、上流の素材と加工工程が中心です。TNFDのガイダンスには衣料品メーカーの仮想事例が示されています。GBFのターゲット1、2、3が繊維農業に伴う土地利用変化の削減と最終的な排除を要求し、ターゲット7が繊維農業と繊維ライフサイクル全体での汚染削減とプラスチック排除を要求し、ターゲット10が再生型農業の採用を要求する──という形で、GBFの目標を自社バリューチェーンに翻訳しています。「素材を変えました」だけでは弱く、森林転換、水、化学物質、サプライヤー監査、トレーサビリティまでを一枚で見せる必要があります。
建設・不動産では、土地改変、資材、都市の生態系サービスが中心です。敷地内だけ見ても足りません。雨水、樹冠、周辺生息地、木材やゴムなどの資材証跡までつなげて見ないと、本当の意味での移行計画にはなりません。街区単位での緑地接続や、都市全体の生態ネットワークの視点も求められます。
金融では、ポートフォリオと顧客エンゲージメントが中心です。**MUFGのパイロット事例では、ポートフォリオにおける自然関連の依存と影響が大きいセクター──建設、エネルギー、食品・飲料、素材、鉱業、ユーティリティ──を特定し、上流・下流の活動がリスクを増幅する可能性も含めて分析しています。Church Commissioners for Englandの事例では、森林破壊・転換フリー(DCF)のアラインメント・フレームワークを開発し、投資先を「未着手」「着手」「進行中」「整合中」に分類して、段階に応じたエンゲージメントの構造を作りました。
なお、すべての業種に共通ですが、整理する際には、ネイチャーポジティブの実装を進めるうえで、単独企業で解けるものと、地域でしか解けないものを明確に分ける必要があります。この区分が曖昧だと、個社でできることまで遅れてしまいます。
単独で解けるのは、工場の排水管理、調達条件の変更、商品設計、契約条件、社内KPIなどです。これらは自社の意思決定だけで動かせます。一方で、地域でしか解けないのは、流域管理、景観回復、漁場管理、都市の緑地接続、外来種対策などです。これらは、複数企業、自治体、金融機関、地域団体が一緒に動く必要があります。
環境省のロードマップは、ランドスケープアプローチ──地域の自然資本を活かした地域づくり──を中心視点の一つに置いています。これはとても重要な視点です。企業の自然対応は、個社の境界の中で閉じるほど、効果も説得力も弱くなります。とくに水、農業、森林、沿岸、都市では、地域単位の連携が成果を左右します。
TNFDのガイダンスでも、関与戦略の最初の構成要素がランドスケープ・流域・海域での関与とされています。ガイダンスは、場所ベースの関与がもたらす複数の便益を挙げています。自社の取り組みの効果を増幅させること。複数の関係者が共通の目標のもとで相互に補強し合う調整されたアクションを可能にすること。地域全体で自然の損失を止めるために必要なスケールのアクションを実現すること。データの共有による監視コストの削減。そしてインパクト・リーケージ(自社が影響を減らしても他者が増やしてしまう問題)への対処です。
したがって、移行計画には個社施策だけでなく、「どの地域で、誰と、どのような共同の取り組みを進めるか」を整理することで、過剰な負担感がなくなります。本来、自然資本関連は、それぞれの地域の政府・自治体の仕事です。
補論: TNFDのガイダンスが示す、今後の課題
TNFDはガイダンスの結論部で、今後さらに必要な作業として5つの領域を特定しています。
第一に、セクター別のガイダンスと自然移行パスウェイの開発です。気候の移行計画では、セクター別の脱炭素経路(デカーボニゼーション・パスウェイ)が計画の策定と評価を支えてきました。自然においても、セクター固有の移行経路が必要です。ただし、自然の場所特異性と多次元性を考えると、気候よりも複雑な作業になります。WBCSDやBusiness for Natureが先行的な取り組みを進めていますが、信頼性の高いコンソーシアムによる本格的な開発が求められています。
第二に、自然・気候・社会の統合的な評価と意思決定の支援です。IPBESのネクサス評価レポートが示すように、生物多様性、気候変動、水、食料などの課題は深く相互に連関しています。これらを統合的に評価し、シナジーを最大化しトレードオフを管理する実践的な方法論の開発が必要です。
第三に、計画の比較可能性を高めるためのアセスメント指針やテンプレートの開発です。移行計画が投資家にとって意思決定に有用であるためには、計画間の比較が可能でなければなりません。ただし、テンプレートの開発は、移行計画が単なるコンプライアンス演習として認識されることを助長すべきではないとTNFDは釘を刺しています。
第四に、自然関連データの質の体系的な向上です。TNFDは設立以来、自然関連データの市場利用経験を理解し、データ収集から集約、分析サービス、最終利用に至るデータバリューチェーン全体のステークホルダーと協働してきました。データへのアクセスと質の向上は、移行計画の策定と進捗報告の両方にとって重要な前提条件です。
第五に、人材育成と導入支援です。移行計画の策定には、自然科学、ビジネス戦略、財務計画、ステークホルダー関与など、多分野にわたる知識と能力が必要です。これらの能力を組織内に構築するための支援が求められています。
TNFDのガイダンスは全文がCreative Commons Attribution 4.0ライセンスで公開されています。130ページの原文を読む時間がない方も、まずはExecutive Summary(エグゼクティブサマリー)の数ページだけでも目を通されることをお勧めします。この記事がその入口として、少しでもお役に立てれば幸いです。
