閑話休題【健康であると全てを良くする件】
※文系頭の宇宙の話から外れた余談・雑談です※
病気ってやつは…
ここ数ヶ月体調不良が続いている。
臓器的な問題ではなく、いわゆる更年期に伴う不調だ。
それでPCに向いて座り続けてることができずにいたため、更新もできなかった。
書いては横になりを繰り返していて、仕事だけなんとかかろうじて行く程度が精いっぱいだった。
家事もほとんどできなかった。
(なので宇宙シリーズの書きかけがいくつも下書きに残っている)
今も画期的に回復しているわけではないが、漢方内科の主治医に相談して薬を調整してもらいなんとか過ごしているという状況だ。
いつまでこの不調のままでいるのか先も見えないので心の揺らぎが起きると悲観すらしてしまう。
心身の劣化で帰省すら不安になるほどに。
3時間新幹線に乗っていられる気がしないし、飛行機に乗ったら気圧の変化でめまいが酷くなるのではないか、とも思う。
今ある顕著な症状は頭痛とめまいだ。
もともとめまいを良く起こす体質だったし、突発性難聴もやってメニエールかも?という話もあったが難聴は完治せずに今に至る。
今起きているめまいは浮動性のものと回転性が混ざっているような感じだが、頭痛と一緒に始まるめまいは浮動性のものが多い。
そういえば閃輝暗点というものも若いころからあって、その後に片頭痛が来るので、今の前頭葉あたりの痛みはその片頭痛にも似ている気がする。
内科、婦人科、循環器、耳鼻科、脳外科での精査をしてなお原因がはっきりしないので「更年期症状」としているところだと思われる。
漢方内科の主治医は温和で、かつて一緒に仕事をした医師なので話やすく、私はとても信頼している。それだけでもありがたいことだが、しかしそろそろ本当にこの症状とはおさらばしたいのが本音ではある。
40代中頃から更年期症状と思わしき不調に悩まされ続けているからだ。
49才の時だったか…。
私は子宮がん検診に引っかかった。
正確には【子宮頸がん】の方だ。
ひっかかるのは2度目だった。
1度目は生検で陰性だったのだが、2度目は陽性になってしまった。
所謂中等度異形成というやつで前癌状態で発見された。
(生検、コルポスコープは1回目で痛みのあまり叫んでいるので、2回目の恐怖感は半端なかったが、やはり同じく叫んで終えた。本当に激痛なのだ)
たまたま子宮筋腫や貧血などの症状で20代から婦人科とはご縁を絶つことができずにいたため、この時も定期受診の中でがん検査もしておくよ、と言われてお願いした結果だった。
生命保険は悪性新生物として判断されて保険金が下りたことは助かったが、実際にお腹を開かないと浸潤具合はわからないし、そこでまた生検もするとも言われていたし、場合によってはリンパ節廓清の話までされていたので、内心相当気が滅入っていたのは事実だ。
だがこの時は起立性調節障害のため、学校へ行けない中学生の息子のことで頭がいっぱいだったのもあって、幸か不幸かくよくよ悩んでいる余力はあまりなく、夫に頼る気もなかったので早く退院したくてそわそわしていた。
術後翌日にはやはり中学の先生から電話があって、息子のことで話し合いもあったので尚更早く回復したい!という思いに駆られたかもしれない。
私はその早い回復のために、主治医(女医)には何としても腹腔鏡でやってほしいと懇願していた。
中は癒着も酷すぎて主治医的には開腹への切り替えを本気で考えたそうだが、そこで私が腹腔鏡をごり押しした顔を思い出して、手術時間を延長しても腹腔鏡で通してくださった。
麻酔から目覚めた時に「ほんとうにもう!大変だったのよ!癒着酷すぎて開腹じゃないと無理じゃないの!となったくらい!」という主治医の開口一発が今も忘れられない。
それは嫌な気持ちなのではなく、ああ私の希望のために最大限尽力くださったのだな、というリスペクトと感謝の気持ちで受け止めたからだ。
外来診察の時から私はこの女性医師が大好きだったし、私自身がこの時医療職だったのもあって仲は良かった。
だからこの言葉も「まったくもう!」と言いつつも私の希望のために全力で力を貸してくださった情を感じたのだ。
結局幸いなことに全摘で全てが解決し、その後は通院のみで抗がん剤の投与もなく8年が経った。
実は退院後は無理をしすぎて傷口が化膿し発熱、あやうく入院へ逆戻りしそうになるという事態に陥ったりもしたのだが、それもお願いしてなんとか通院点滴で対処してもらった。
入院管理のが楽というのは医療側もそうだとわかってはいたが、私は息子のことが気がかりでそれどころではなかったのだ。
遠く神奈川から姉が泊りがけで手を貸しに来てくれたことは本当に心から感謝している。
それにしても病気ってやつは本当にめんどくさいものだ。
育児と自分の病気
そういえば上の子がまだ2歳くらいの時、親子でインフルエンザを発症し、ロキソニンを飲み続けて我慢し続けた私は気づけば腎盂腎炎になってしまった、という黒歴史がある。
※インフルエンザの時にロキソニンを使うのは避けるように今は指導されていますのでご注意を※
猛烈な背中の痛みと高熱で床を這って移動するくらいだった。
病院では入院するように言われたが息子は2歳。
どうしたものかと本当に困って、夫に会社を休んでもらえないか打診したが断られ、(夫の)母に預ければいいだろうと簡単に言われたことに若い私は腹を立てた。
夫は自分も結婚前に腎盂腎炎で入院したことがあるというのにこの扱いで、心底ムカムカしたのを覚えている。
ギリギリの体力で自分で車を運転して点滴に通い始めたがやはり2歳児をみるのは難しく、2~3日頑張ったがどうしようもなくなって義母に連絡をした。
義母は明るくおおらかな人なので快く息子(孫)を預かってくれた。
そこはとても感謝なのだが、初めての息子をまだ2歳で自分から離し、少し遠い義母宅に預けておそらく回復まで待つなら2週間くらいはかかるかと考えると…なんだか余計に夫に腹が立った。
自分の息子なのに簡単に「僕の母に預けたらいいよ」という発想にむかついていたのだ。※これは夫に抗議している※
義母に預けてからも私は入院はせずせっせと点滴に通った。
1週間くらいかなぁ点滴は、と言われていたが私は5日で終了をお願いした。
息子を早く迎えに行きたかったからだ。
もちろん患者が日数を指定することはできないのだが、私の事情と病状を鑑みて最終的に5日で点滴通院終了としてくれた。
痛みがほぼなくなり熱も引いていたのであとは通常外来と内服と家での安静を貫いて1週間後息子を迎えに行った。
今の年齢なら到底できなかったことだと思う。
回復力が早かったとしたらそれはひたすら息子を迎えに行くという執念である。
善良ではない患者だったが、とにかく私は初めての我が子を引き離した罪悪感と早く迎えに行きたい一心だったと思う。
あの時の主治医にももちろん心から感謝をしている。
思い出話になってしまったが、話を戻すと、とにかくこの子宮全摘という事態はうまく終了したと思ったものの、その後は虚血性腸炎を繰り返す、というちょっと想定外の後遺症になって今もそれは続いている。
そもそも術前でも癒着が酷かった私のお腹の中は、術後にももちろん新たな癒着を生んでしまい、消化管に影響を及ぼす結果となってしまった。
酷く便秘がちになり、少し食べすぎたりするとガスが溜まりやすく、大腸の左側に痛みを起こす。
最初は救急搬送をされてからの絶飲食と24時間持続点滴のために入院を言い渡されていたが、何度も繰り返すのでそうそう入院もできず(金銭的に)前兆がわかったら自発的に絶飲食と安静を家で取って、昼間に通院して点滴を打ってもらうようになった。
お腹が痛くなった時の苦しみはもう七転八倒だ。
トイレで気を失ったこともある。
その壮絶な痛みと粘血便で「ああ、まただ」とわかるのである。
なんでこんなことに、と悔やみもしたがそれでも癌で闘病するよりはるかに幸せなことだと自分に言い聞かせて今も付き合っている。
人の体は本当になかなか繊細なものだ。
そして、子供を抱える母親にとって自分自身の病気は本当に厄介だ。
我が子が病気なのは何よりも辛いが、しかし自分が寝込んだり、手術や入院したりしなくてはならない状況も同じくらい辛いものなのだ。
そして母親というのは自分の体について、つい無理をしがちである。
若ければ尚のこと。
熱があっても、痛みがあっても、吐いても、下痢でも子供がいたら休むことなく育児をしご飯を用意する。
それが出来てしまうのは(生物的に)雌という本能故のことなのか、ただの気合問題なのかは私にはわからないが、このあたりの強さは本当に凄まじいものがあると思っている。
外で働く父親の苦労はもちろん理解している。
一般的な家事・育児と外でボロボロになっても働く父親の大変さを比べているのではない。
自分の体の痛みや発熱を耐えて、子供には微笑みながら向き合い続けることができる母親の強さのことを言っているのだ。
※もちろん全員100%という話はしていない※
父と母の両方に少しずつでもゆとりがあればこんな感情問題は起きないかもしれないが。

更年期症状
そんなわけで関係があるのかわからないが子宮全摘後からの私の更年期症状は強めに出るようになった。
そして長い。
いつになれば軽くなるのかと心待ちにしているのに、なかなかだ。
それがさらに最近は一気に輪をかけて酷くなった。
ホットフラッシュやめまい、肩こりなどはずっとあったがこの前頭葉あたりの片頭痛がとてもキツイのだ。
目の奥なのか目なのかわからないが額周辺がぎゅうーっと孫悟空の緊箍児呪のように締め付けられてふわっと浮くようなめまいを伴う。
また、体の中からしゅわーっと全身に熱が広がり、それは額からたくさんの汗を落とさせる。
そうかと思うとぞわぞわと悪寒が背中を走る。
体温調節や平衡感覚を整えてくれていた神経回路が一気にぶっ壊れた感覚だ。
もっとも、自身の体内で別の生命を宿し育てる機能を持っているのだから(その機能を使っても使わなくても体内にあるということ)、その機能が経年劣化すればこんな症状が出るのは当たり前とも思う。
そんな精密な機能を人間と同じように機械で作ることはなかななか無理であろう。
とはいえ、更年期症状は本当に厄介極まりないのだ。
朝の目覚めからすでに頭痛や身体痛で、もはや朝のさわやかな目覚めってなんだっけ?と思い出せないほどである。
しかもそれが人に寄るため、同じ女でもわかってもらえない、更には更年期より下の世代にもわかってもらえないため、職場では本当に苦労するのだ。
生理痛に個人差があるのに似ているかもしれない。
時代の変化で仕方がないこともあるが、年を取ったら穏やかに静かにつつましく生活できたら一番幸せだと個人的には思うのだが、自分は果たしてどうなるのか。
先のことはわからないが、とりあえず更年期症状と闘いつつ、定期受診もしつつ、健康を繋ぎながら物理学の勉強を少しずつし直している私である。
学生の頃は嫌いだった物理学も年を取ったら面白くなるというのは、人生とは本当に厄介でかつ最期まで可能性だらけなのだな、と思わずにはいられない。
これはこれでどうやら幸せみたいではある。
それにしたって好きなことをするにもまずは健康なのだ。
体の健康は全てを良い方向へ動かす力があると思う。

