終活をしなかった犬
ポコが骨になって約3週間。
少しずつ、ポコのいない日常にも慣れてきた。
「死」という予測のもとで行動していなかった私の家には、大きなペットゲージをはじめ、まだ大量のポコのドッグフード、サプリメント、トイレシートなどが残っている。
老齢の人間であれば「終活」という名のもとに、残された人に負担を与えないよう準備をする人もいるのだろう。
けれど当然ポコは犬なので、それはできない。
すべては私の動き次第だ。
でも、死を前提に何かを調節するということは、私にはできなかった。
もしそれを前提にして、消耗品などの購入を最小限にしていたとしたらどうだっただろう。
想像してみると、それは寂しい。
今、こうして遺品たちを目の前にしても、何の後悔もない。
それはきっと、これらがポコとの繋がりのように感じられるからなのだと思う。
思い出の断片をたどりながら、少しずつ片付けていく。
その作業は、自分自身の心を整理することにもつながっている。
死してなお、残された者への過剰な気遣いなど、必要ないのではないか。
少なくとも私にとっては、この面倒さえも心の支えになっているのだから。
人間も、きっと同じなのではないかと思った。
もちろん、迷惑をかけすぎるのはよくない。
それでも、少しだけ残された面倒が、
誰かの寂しさをやわらげることもあるのだと思う。
