那由多電影 番外編|映画『果てしなきスカーレット』

『那由多電影』は、橋本那由多おすすめの映画・ドラマ作品をスピリチュアルな視点から考察する不定期連載です。
今回は、番外編として先日劇場公開したばかりの細田守監督の新作『果てしなきスカーレット』を紹介します。
公開後2週間が経ち、ネットでは悪評の嵐となっていますが、細田監督の"霊的依代"としての側面に注目し続けて来た人間としては、前作『竜とそばかすの姫』(以外『竜そば』)同様、本作にも神界からのダイレクトな関与を感じずにはいられませんでした。
本作に込められた愚直なまでのメッセージ性を「青臭い」「気恥ずかしい」と感じ、強い抵抗感を持つ人もいるでしょう。
主人公たちのある種の短絡さや屈託のなさに、怒りや苛立ちを覚える人もいるでしょう。
あるいは先述したネットレビューや批評動画のように、シナリオや構成の欠陥を指摘し、あくまで表層的な作家論・メディア論に終始する人々も多くいるでしょう。
しかし、本作において最も重要なのは、シェイクスピアやダンテなど古典文学の様式を借りつつ突き付けられる「生きるとは何か」「死ぬとは何か」「愛とは…?」といった人間にとって最も本源的な問い掛けそれ自体であり、その露骨なまでのメッセージに現代を生きる私たちがどう向き合い、自分自身や現実世界に重ね合わせる"魂の視座"を持ち得るかどうかではないかと思います。
そして、それには(これまでの連載でも語って来たように)ここで描かれる死後の世界を単なる寓話として捉えることをやめ、誰もが肉体を離れれば体験し得る紛れもないリアリティであるという認識を持つことが大切なのではないかと思います。(それこそが多くの古典文学が伝えようとした霊的核心部であり、拙著『ご先祖様が教えてくれた心の終活』においてご先祖様から投げかけられた問題とも深く共鳴しています)
昨今、いわゆる「異世界転生もの」を含む輪廻や死後の世界をモチーフにした映像作品が量産され、中でもアニメ(および小説・漫画)『最果てのパラディン』(2021年)、Netflixのドラマ映画『パレード』(2024年)、そして宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』(2023年)など、単なる寓話的モチーフに留まらないリアリティや深い霊的示唆を湛えた冥界巡りの物語が散見されるようになりました。
本作『果てしなきスカーレット』もまさにその系譜に位置する重要作であり、私は上映開始後ほどなくして、本作と『君たちはどう生きるか』が同じ意識領域からインスピレーションを与えられた作品であることを知らされました。(それはダンテ『神曲』からの引用を含め、"似ている"というレベルを超えた多くの象徴的共鳴を見ても明らかです)
しかし、両作品を比較した時、神界からのインスピレーションをより意図通りに受容し得たのは細田監督の方だと感じました。
それからというもの、頭の中を駆け巡るのは日月神示の「阿保になれ」という言葉でした。
日月神示には、「臣民からは阿房に見えても、素直な人には神がかかり易いのであるから、早う素直に致して呉れよ」とあり、『よひとやむみな』には「てっぺんから光をいただけよ。陽の光もてっぺんから射せば、影はなくなるであろう。阿保になれよというのは、このことぞ」とあります。
また、拙著『九十九神示』にも「神は頭切れる者より阿保が好きなのじゃ。親神の申すこと、つべこべ言わずハイと出来る真の阿保になってくだされ」とあり、私たちがより高い純度で高次の意志を受け取り、遂行する神の器となるためには、現世的な体裁や理論理屈、人間的な感情や思考の葛藤を超えて、神の声(インスピレーション)に忠実であることが重要なのだと示されています。
『風立ちぬ』以降の宮崎監督は、彼自身と彼を守護する地界の神々の宿念に翻弄され、どこか夢遊病のような意識状態にあるように私には見えます。
あるいは、あれほど神気に満ちていた『君の名は。』以降、新海誠監督もまた内的葛藤やロジックに傾き、本来の明瞭さを失っているように思えます。
一方で『竜そば』以降の細田監督は、おそらく諸々の作家的自我を超越し、見えない世界からの直感を出来る限り曇らせずに作品に落とし込む"阿呆の器"を獲得したのではないかと私は感じます。
実際に本作はあらゆる点において神界的示唆に満ちており、ご神示において「王の民」「王の御魂」などと表されるように、王族たち(神示では元なる神界の神々を指す)の戦いのカルマを断ち切ろうとする物語であることや、贖罪神スサノオを思わせる無数の剣が刺さった竜、本noteでも伝えて来たイザナギがイザナミを救出しようとする黄泉下り神話を想起させるストーリー構成など(*1)、『竜そば』にも共通する龍神のエネルギーや、幽界的想念からの飛翔(アセンション)という宇宙的命題が終始横たわっています。
むしろそうした霊的エネルギーの純度の高さこそが、シナリオや表現上の欠点を補って余りある本作の真価であり、同時に私たち観客にも強い光を照射し、痛いほどに根源的な問いを突き付けながら(自我が一番見たくないものを直視させられる)身魂の影や曇りを炙り出す装置になっているように感じます。
私たちは今、まさに冥界の淵のような終末世界を生きています。
日月の神様やあらゆる宇宙存在たちが繰り返し告げる「もう時間がない」という言葉がいよいよ現実味を帯びる中で、本当に必要なのは束の間だけ現実を忘れさせてくれるサプリのような娯楽消費でも、重箱の隅をつつき合うような批評遊びでもなく、魂の深層にまでダイレクトに届く最小限の言葉(真言)であり、拙くとも飾りのない真心や誠実さなのではないでしょうか。
スカーレットが己の心を縛る憎しみの鎧を脱ぎ捨てて行くように、私たちもまた「見果てぬ場所」への道を遠ざける自我の装飾を手放し、裸となって内なる神の声に従うことを迫られています。
細田監督という"阿呆の器"を通して、(劇中の落雷のように)ここまで直截なる天意が降ろされた事実こそ、今この地球がどのような状態にあるのかを最も雄弁に語っているのではないかと私は思います。
*1=『君たちはどう生きるか』でも主人公の母や義母の描写にイザナミ的モチーフが横たわっていますが、あくまで物語の主軸は男性主人公が少女の導きと共に昇天して行くという『神曲』(ダンテとベアトリーチェ)に忠実な構造となっています。対して本作では、女性主人公が男性主人公の挙動によって浄化されて行く『神曲』とは対極の構図であり、イザナギがイザナミを救出出来ず離れ離れ(陰陽の分離)になってしまう原初の神話に対し、イザナミの想いを晴らすことで再び陰陽を統合し(スカーレットは「ユダヤ」「地」「陰」を象徴し、聖は「日本」「天」「陽」を象徴)、新たな国生みをしようとする神界の働きを反映していると言えます。
『果てしなきスカーレット』(2025年/日/112分)
【解説】『サマーウォーズ』『竜とそばかすの姫』などで国内外から高く評価されて来たアニメーション映画監督・細田守監督が手がけるオリジナル長編アニメーション。復讐に囚われて死者の国を彷徨う王女が、現代日本からやって来た看護師の青年と出会い、共に旅をする中で変化して行く姿を描き、「生きるとは何か」「死ぬとは何か」を問い掛ける。
【ストーリー】父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた…。
【監督】細田 守
【キャスト】芦田愛菜、岡田将生、役所広司、市村正親、吉田鋼太郎、斉藤由貴、松重豊、山路和弘 他
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