『荷風を盗んだ男』の波紋。伊庭心猿の呪い?孫の私が「猿」と呼ばれた日【吾輩ハ 伊庭心猿 ノ 孫猿デアル】①
【本記事は創作大賞2026オールカテゴリ部門応募作、全5作品の1作目です】
「ところでお宅の猿はよく働くの?」
見たことも喋ったこともない人物に自分のことを猿呼ばわりされるとは、56年生きてきて夢にも思いませんでしたよ。
その人物曰く、
「申年だから猿と…」
と宣いやがった(あらお下品)ンですが、奇しくも私の祖父は申年生まれ。
そしてそれをペンネームに使っていた、悪名高き有名人だったのです。(「奥さまは魔女」風)
と、さっき知ったところ(笑)
だがしかし!
話はそこでは終わらない。
偶然見つけた父の古い記録が、私を「元総理大臣」への手紙へと駆り立てることになるのだ。
記憶の与太話の祖父を探して
私は伊庭心猿の孫にあたるよーである。
なんでこんなヨーデルみたいな歯切れの悪い表現かといえば、厳密には血縁ではないから。
だがしかし、伊庭心猿(いばしんえん)を名乗っていた人物の養嗣子の忘れ形見、一粒種はまごうことなき、このワタクシなのである。えっへん。
まさか自分が有名人の孫だとは、還暦近くになってそのことを知って、ちょっとした小公女気分である。
「あなたは本当は大金持ちのお嬢様よ」
てなもんである。
実際は、伊庭心猿(=意馬心猿)はその名の通りの生活っぷりだったようで、お金はたぶんナッスィングゥ~(涙)
話がずいぶん逸れてしまいましたが。
まだ幼い時分に、酒に酔った生母が語った私の亡き父や祖父の話を、還暦近くなった今でもはっきりくっきり覚えていた私。
今やインターネットという文明の利器があるので、その与太話の信ぴょう性を確かめられるんじゃない?
と、お遊びで検索かけ始めたのが事の発端de R
生母から聞いていた話はこうだ。
父は朝日新聞の記者
祖父は広辞苑を作った人の一人(編纂者ということか)
祖父のペンネームは「伊庭」
父は”おばあちゃん”の、一番下の弟
私がわかるのは、亡き父の名のみ。
あとで書くとは思いますが、過去にいろいろあったようで、”おばあちゃん”との縁がなくなり、今や実家とも疎遠な状態。
亡き父についての話を、誰かに確かめることは、もう叶いそうにありません。
だからこそ面白い。
広辞苑の編纂者に「伊庭」の名前がみつかるか、検索してみようじゃあないか━
テレビで「舟を編む」を見たころに思いついたはずなので、検索をかけたのは2024年頃だったでしょうか?
はじめはまるでヒットせず。
しかし、そのうちにどこをどう調べたのか、広辞苑の前身というか、広辞苑と言う名前が決まる前の仮の名前とでもいうか、『新辞苑』という"幻の辞書"に携わった人物として、祖父の名をついに発見するのde R(ちょっとしつこい?)
さて、その後どういった経緯か忘れましたが、こちらのページにたどりつきます↓
ココにあることを読み進めて、鳥肌ぼつり。
おばあちゃんの記憶としっかり結びつくじゃああーりませんか。
ひょっとして、これがおじいちゃん?
しかし私の疑念はまだ晴れません。
伊庭心猿とは
伊庭心猿が有名人、と書いてもおそらくほとんどの方は
「WHO?だれやねん」
だと思います。
伊庭心猿とはウィキペディアにもなっていない人物ですが、AIによる回答をこちらに↓
伊庭心猿(いば・しんえん、1908〜1957)は昭和期の日本の俳人、著述家、古書肆。本名は猪場毅(いば・たけし)。永井荷風の原稿や書画の偽筆(贋作)を作成し、荷風の小説『来訪者』に登場する詐欺師・木場貞のモデルとなったことで知られています
そう、彼こそが、タイトルにも冠した『荷風を盗んだ男』の正体なのde R
最初これを見た時には、
「うへへっ」
と笑ってしまったのですが、孫筋に当たることが明らかになった今、
「じーちゃん、やめろし!」
と赤面するばかり。
永井荷風さん、それからどうも佐藤春夫さんの妹御にもご迷惑をおかけしたそうで、穴があったら埋めてやりたい←とっくに埋まってる。
これは、そんなお墓参りにも行けていない(場所を知らない)”孫”の私が還暦前になって家系を追っているというお話です。
実話なので、個人情報ダダ洩れ、いずれは有料記事にいたしますが、少しづつ「連載」してまいりますので、こうご期待!
続編はマガジンに↓
永井荷風『来訪者』に祖父・猪場毅=伊庭心猿をモデルとした「木場貞」について書かれて(というか暴かれてw裁かれて?)います↓「四」で、その計画的犯行の思い付きについて、「九」では責めようと思ったけどやめたこと、などが書かれています。その後は生死もわからないと言うようなことが書かれていますが、実際には何度か警察沙汰になったようです。
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ありがとうございます🎀めぐり合いに感謝🙏
