『荷風を盗んだ男』の波紋。役場で3750円払ったら、不思議な「30」の偶然に気づいた話【吾輩ハ 伊庭心猿 ノ 孫猿デアル】③
【本記事は創作大賞2026オールカテゴリ部門応募作、全5作品の3作目です】
吾輩ハ伊庭心猿ノ孫猿デアル。
(夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』の猫の名前が「マダナイ」だと思い込んでいたという人の話を思い出しつつ)
永井荷風の周辺で怪しく蠢く『荷風を盗んだ男』―
その正体である私の祖父・伊庭心猿の謎を追う本連載。
これまでは
「生母の酔っぱらったときの与太話」
の記憶を頼りにネット上を探索するのみ、しかして第3回は、急展開!「証拠をとったどー!」の回de R
果たして役場の戸籍係で私を待っていたのは、奇妙な数字の偶然であった―。
これは、私がインターネットを通じて己のルーツを辿る、ドキュメンタリー=実話de R
前回のお話👉吾輩 ハ 『荷風を盗んだ男』伊庭心猿 ノ 孫猿 デアル②
AIジェミニに教えてもらった、直系尊属をたどる時間旅行
第1回、第2回をご覧いただいた方々はご存じとは思いますが、私の父は新聞記者、さらには、祖父にあたる人は俳人で言語学者、というお話を書いてまいりました。
インターネットで、自分の直系尊属のことを知るというのは、なかなか面白いもの。
ただ、私の記憶の中の、さらに生母の酔っぱらったときの話、ということもあり
「与太話なんじゃあないの?」
と調べ始めた経緯でございまして。
この上は、確たる証拠を手に入れようと、先ほど役場へ行って参りました。
私は不勉強で全く知らなかったのですが、
「直系尊属を辿れるだけ辿って」
というオーダーも可であると、AIであるジェミニに教えてもらいました。
ただし、何時間かかかることもあるし、費用も数千円に上ることもあります、というジェミニの助言。
それならば、自分のライブが終わってからにしようと決め。
(私はアマチュアロックバンドで歌っていて、先日8年ぶりのステージを終えたところです)
爆音ライブで頭をブン回した後に、お財布握って出かけた先は、静謐な空気流れる役場の窓口。
これは、私の時間旅行記録デアル(のか?)
最新は450円、それより前は750円。
実はこの日役場に来たのは、他の用事を済ませるためでしたが、「ついで」に戸籍を取り寄せようと窓口へ。
3代前あたりから、というオーダー?をして、
「1,000円あれば足りますかね?」
とたずねると、
「いえいえ、一部750円ですから」
そんなにしたっけか?
私の記憶では、一部350円くらいだったと思ったけれど、ちょっと用事のない合間に倍額に値上がりしたのかと驚いていると、引き取りに行ったときに
「最新のものは450円、それより前は750円」
と説明されました。
あ、なーるほど。
遡る手数料みたいなものが上乗せされているのかも、と思いましたとさ。
職員さんは、たくさん用意してくれていましたが、
「不要なものは不要と言っていただいて構いませんから」
とのことでした。
自分の分だけでも、すでに4部。
私が、父・清彦の子どもであることが分かる部分と、父・清彦が伊庭心猿こと猪場毅の籍にあったことがわかるもの、合計5部を引き取りました。
お値段、3,750円也。
私の時間旅行のツアー代金、お得じゃないか!
30歳という、奇妙な符合
父の誕生日も知らなかった私、まずは父の誕生日を確認しました。
昭和13年生まれ。
と、いうことは、父が30歳の時に私が誕生したのね、ふむふむ。
次に、祖父の誕生日。
明治41年とあります。
いつやねん(だから明治41年だろう)西暦でないとピンときまへんなァ(誰?)
ここで、わかりやすいように西暦にしてみることにしました。
昭和13年は1938年、明治41年は1908年ということが判明します。
ちょ、待てよ。
私は父が30の時の子のようですが、父も、祖父が30歳の時に生まれているのです。
かといって、祖父が30歳のその時に、父・清彦が養子になったのではなく。
父が養子になったのは昭和26年(1951年)なので、これは偶然の一致ではありますが、奇妙なことに、私が幼いころからこの30歳というのを妙に意識していたものですから。
なぜか、子供のころ自分は、30歳でしぬ、と思っておりました。
父の亡くなった年齢は知らされていません、というか、父が亡くなったことも、私には知らされていなかった頃のお話です。
のちに、33歳死亡説、ロックスターなどの27歳死亡説に影響されていたと「思い込んでいた」のですが、この奇妙な符合に、いやいや、その前から私は30歳を意識していたぞ、と思い出したのであります。
実際には、30歳がもう一回できるぞ(?)という年齢まで呼吸しておりますが。もしかすると、この頃から、私の血には『30』という数字、そして『ロックスターのように刹那的に生きる』というROCKの芽が、無意識に植え付けられていた?
…いやいや、刹那的という言葉は苦手です、好きな言葉は質実剛健!
ちなみに、祖父が亡くなったのは昭和32年=1957年とのこと、父・清彦が養子に入ってわずか6年後だったようです。
それで、父が祖父の”遺志により”伊庭心猿第二隨筆集『繪入墨東今昔』を出版した、という記述をこれまたインターネットでみつけたのであります。
永井荷風伝 秋庭太郎 著
(略)この心猿第二隨筆集『繪入墨東今昔』は開版直前に猪場が歿したゝめ養嗣子猪場清彦が、「遺志により辱知の皆樣に謹呈申上げることゝ致しました。」と後記に認ためて印行したも...
『繪入墨東今昔』↓
しかし、父は”養嗣子”つまり、猪場家の後継ぎとして養子に入ったことを考えると、祖父の何を継ぐはずだったのだろうか。
単に家を守るため?
そして、わざわざ養嗣子をとるほど後継ぎが必要だった、猪場家はその後どうなったのだろう。
清彦の娘がココにいますよー、いつでも後を継ぎますよー♪
と、手ぐすね引いて待っていることを、ここに明記しておきます、はい。
そして広辞苑での「30」
もともと、父の父が広辞苑の編集者だか編纂者の一人だった、という話から始まった祖父を探す旅でしたが、ここへきてやっと『広辞苑』そのものに祖父の名が載っているという記述に当たりました。
昭和30年に初版発行された『広辞苑』
その編集後記に伊庭心猿こと猪場毅の名がある、というのです。
昭和二十三年九月十三日に開設した編集部は、主任を市村宏氏に依嘱し、部員に関宦市・猪場毅・横地章子・長谷川八重子・藤井譲・佐藤鏡子・木村美和子諸氏の参加があり、協力一致、直接に編者を扶けて如上の難関に当面し、本辞典のためその全力を傾倒された。
ほんまや!
またしても30か、というのはこじつけすぎ?
祖父が30の年に生まれた父、その父が30の時に生まれた私……って、ええいややこしい。
数字の話もですが、干支の偶然や、仕事にまつわる奇妙なこじつけ話もありますが、これはまたの機会に。
④【声で繋がる祖母との縁】へ続く。
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