採血は数分。でも、忘れられない人がいる。
採血の時間は短い。
名前を確認して、腕を出してもらって、消毒して、穿刺して、止血して終わり。長くても数分。ほとんどの人は、そのまま記憶の向こう側へ流れていく。
でも、ときどき強く残る人がいる。
技術とは関係なく、心のどこかに引っかかる人。
ある日、強い圧力をかけてくる人がいた。「前は失敗されたことがあるからね」「一回でお願いしますよ」と最初から牽制される。腕を出す角度も、視線も、言葉も、全部がプレッシャーになる。こちらの一挙手一投足を見ているのが分かる。正直、怖い。でも針を持つ手は震えさせられない。その人の不安の裏にあるのは、過去の嫌な体験かもしれないと考える。成功しても、心は少し疲れている。それでもあの数分は、今もはっきり思い出せる。
別の日には、目を疑うような怪我をしている人が来た。包帯の隙間から見える皮膚の色、腫れ、痛みをこらえる表情。採血の腕とは反対側でも、体のあちこちに残る傷跡が視界に入る。こちらが何気なく「大丈夫ですか」と聞くと、「これぐらい平気」と笑う。でも、その笑顔が余計に胸にくる。検査のために必要な採血。でも、目の前の人は検査の数字ではなく、ちゃんと痛みを抱えた一人の人間だと突きつけられる。
外来で見た、小さな子どもの姿も忘れられない。怪我をして診察に来ていて、まだ興奮と痛みが抜けきっていない。泣きそうなのを必死にこらえている。その隣で、保護者が突然涙を流した。「すみません、私が泣いちゃって」と慌てて謝る。でもその涙は、子どもを思う気持ちそのものだった。採血は一瞬で終わったけれど、その場の空気はとても温かくて、少し切なかった。医療の現場は冷静さが求められる場所だけど、人の感情はちゃんと流れているのだと実感した瞬間だった。
そして、今でも思い出すのは、新人だった私を気遣ってくれたおばちゃんのこと。手技に自信がなくて、内心いっぱいいっぱいだったあの頃。「新人さん?」と聞かれて、一瞬どきっとした。でも続いた言葉は、「ゆっくりでいいよ、緊張するよね」だった。普通なら患者さんが緊張する場面で、逆にこちらを気遣ってくれた。穿刺が終わったあとも、「大丈夫大丈夫、上手だったよ」と笑ってくれた。その一言にどれだけ救われたか分からない。技術よりも先に、心を支えてもらった。
採血は短い。流れ作業に見える日もある。でも、その数分の中で、人の性格、不安、優しさ、強さが垣間見える。圧力の強い人も、深い傷を抱えた人も、涙を流す人も、こちらを気遣ってくれる人も、みんなそれぞれの物語の途中にいる。
私はその一部に、ほんの数分だけ立ち会う。
検体のラベルには番号しか書いていない。でも、その裏には確かに人生がある。だから採血はただの手技ではなくて、人と向き合う時間なんだと思う。
きっと向こうは、私のことを覚えていない。
でも私は、あの数分を、今も覚えている。
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