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「時間軸の壁」を超えるには? “N1”の徹底分析から、ソートの「質」と「ゴール設定」を導き出せるか ~BtoCマーケティングの気鋭、西口一希氏に聞く~

革新的な考えを世の中に提示し、共感によりステークホルダーを共創へ誘引することで、新しい顧客や市場を創造するマーケティング手法の1つ「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)」。その重要性を多角的に考察するために、各専門家にインタビューする企画の第12弾は、Strategy PartnersおよびWisdom Evolution Co.代表取締役の西口一希氏です。P&Gやロート製薬など複数の事業会社での経験からたどり着いた1人の顧客を掘り下げる「N1分析」を1つのアプローチとした、独自の「顧客起点マーケティング」によって、日本のBtoCマーケティングに新たな潮流を生み出しています。そんな西口氏は、ソートリーダーシップを成功に導くポイントが2つあると語ります。


P&Gジャパンで16年。「何かが足りない」と感じていた

――マーケティングの世界でキャリアを積まれてきました。改めてこれまでの来歴をお話しください。

西口 大学を出てP&Gジャパンに入り、16年勤務しました。マーケティングの世界では有名な企業ですが、ずっと自分自身に対して「何かが足りない」感覚を持ち続けていました。ロート製薬に転職し、試行錯誤しながら8年働く中で、見出したアプローチが「N1分析」です。従来の知見とは異なるマーケティング手法で成功できることを知りました。

Strategy PartnersおよびWisdom Evolution Co.代表取締役 西口 一希 氏

P&Gの強さは、マスからセグメンテーションして自社の市場を見つけ出す手法にあります。これを、私は「演繹的な手法」と捉えています。一方、ロート製薬では全く逆のアプローチを採りました。すなわち、ある「1人の顧客(N=1)」を徹底的に分析し、そのニーズにしっかりと応える商品を生み出すことで、新たな市場を創出する方法です。N1分析と呼んでいる私はこれを「帰納的な手法」と捉えています。ロート製薬を経て以降、この両方を活用して多くのマーケティング課題を解決してきました。

西口氏が提唱する顧客起点マーケティングは、「N1」と「マス」両方の起点でマーケティングを捉えることから整理される
(出所:Wisdom-Beta「2-0:「顧客起点マーケティング」とは何か」)

ロート製薬を退職後、ロクシタンジャポンとスマートニュースのマーケティングや経営に携わり、現在に至ります。前者はフランスの製造・小売業であり、後者はデジタルサービス業です。独立後は起業家としても活動しています。2019年にM-Forceを創業しました。時間と労力を要するN1分析を自動化するシステムを開発し、多くの企業に提供しています。毎年、順調に事業拡大し、さらに飛躍を目指して、同社は2024年7月にマクロミルへ売却しました。
その傍らで今もコンサルティング活動をしています。1時間だけ無償で相談に乗るという活動を8年ほど続けており、400社以上の企業と関わりました。その中で、ご縁があった企業へ支援や投資を行っています。

10年ほどかけて読んできた大量のマーケティング本や、学術関係者や実務家が話した内容を、自分のフィルターを通して咀嚼し、気づきや知見を書き溜めています。本に換算すると、100冊近い量になっているでしょうか。これを人工知能(AI)に学習させ、新たなアドバイザリーシステムを開発しようとしています。

「N1起点」と「マス起点」いずれも、それ単体ではメリット・デメリットがある。西口氏の顧客起点マーケティングではこの両方を運用し、「規模」と「顧客の解像度」を両立させることで、投資対効果を最大化する (出所:Wisdom-Beta「2-0:「顧客起点マーケティング」とは何か」)

1人の顧客“N1”を深掘りし、新たなニーズを見つけ出す

――顧客起点マーケティングの根幹を成すN1分析について、その概要を教えてください。

西口 まだ見えていない潜在的なニーズを、1人の顧客(N1)を徹底的に理解することで見つけ出し、新たな「価値」を開発して、それを大きく育てていこうという考え方です。

その一例が、ロート製薬に転職して取り組んだ化粧水「『肌ラボ』極潤」のマーケティングです。基礎化粧品の市場はコモディティ化しています。人気のある女性タレントを起用する広告で、市場シェアを奪い合うようなマーケティングが主流でした。化粧水に微量のアルコールを混ぜ、肌につけたときにスッとさせて、顧客が求める“浸透感”を演出するような他社商品もありました。しかし化粧水にアルコールを混ぜることは、本来の機能とは関係ありません。

化粧水に求められる本来の機能は、何でしょうか。しっかりとした保湿性能ですね。そのニーズに正面から向き合い、ロート製薬はヒアルロン酸たっぷりの化粧水を開発しました。問題は、肌につけるとベタベタすることです。それは保湿性能が高いことの証明ではあるのですが、顧客にとっては賛否が分かれる問題です。

「肌ラボ」を売り出すため、商品企画部と広告制作部が共同で顧客へのインタビュー調査を行いました。この時、1人の顧客が「頬が手にくっつくくらいベタベタする。これは保湿されている証拠だ」と話し、大変気に入ってくれたのです。この「個人的な感動」にフォーカスし、新たな価値が見えました。「手に頬がくっついて離れなくなるほど“もちもち肌”になる化粧水」というものです。

つまり、ベタベタすることを大きな価値と捉える逆転の発想で、化粧水のニーズに応える最高の保湿性能をうたったのです。このキャンペーンで「肌ラボ」は大ヒットし、アジア各国にまで広がっていきました。

商品やサービスを届けたい、ある1人の顧客がいます。そこにいかなる価値が響くかは、マスの分析からだけは得られません。目の前にいる1人の顧客、N1を深掘りするからこそ、見えてくるのです。これがN1分析のアプローチです。

価値を定義する4象限。「便益」と「独自性」の両方を兼ね備えた商品やサービスが、新たなビジネスの創出につながる価値を生み出す
(出所:Wisdom-Beta「2-1-5:便益と独自性の有無を確認する ― 価値の四象限」)

――N1分析は昔からあった手法なのでしょうか。

西口 ロート製薬では常識でしたが、一般的なマーケティング手法として確立されていたとは言えません。マーケティングの歴史は、マスマーケティングからスタートしています。すでにある市場の中で、いかにシェアを伸ばすかが常に議論されてきました。マーケティングの世界には、ゼロからイチを生み出す発想がないのです。

しかし、マスマーケティングと真逆の発想は、昔からあります。企業が創業したり、大きく成長するきっかけのほとんどが、実はN1分析によるものと言えます。

例えば、ソニーはラジオの修理と改造から始まりました。戦後、海外のニュースに飢えていた人たちのニーズに正面から応えたものです。ニューバランスは、革靴の形が足に合わない労働者のニーズに応えて補正器具を作ったことから始まっています。アップルのiPhoneも、元はといえばスティーブ・ジョブズ本人が欲しかったものを具現化した商品です。新しいビジネスは、常にある一点で困っている人や、ある一点の課題を解決するところからスタートしています。

日本企業は本来、これが得意だったと私は思います。少子化で既存の市場が小さくなる中で、マスマーケティングだけではお互いの叩き合いになるばかりです。今後必要になるのは、新しい価値を生み出すこと。だからこそ、N1分析が必要とされているのです。

ソートリーダーシップに欠かせない「質」と「ゴールの設定」

――ソートリーダーシップは「新たな顧客や市場を創造する」、マーケティング手法の一つとして私たちは捉えています。これを成功へ導くために、N1分析や顧客起点マーケティングのアプローチは有用だと思われますか。

西口 重要なポイントが2つあると考えています。1つは、「ソートの質」です。「新たな顧客や市場を創造する」ソートリーダーシップを、新たな価値をつくり出すことと同義するならば、その価値とは、誰にとっての価値なのかを考える必要があります。なぜなら価値というものは、必ずそれを求める人がいて、その人に「便益」をもたらすから価値といえるわけです。

だとすれば、そのソートが誰にどんな「便益」をもたらすのか? ソートリーダーシップにおいてはこの問いが、常に活動の中心にあるべきです。先ほども話しましたが、その価値を求める人の顔(N1)が見えているかどうか、常に問い続ける必要があります。

もう1つは、「ゴールの設定」です。コンサルティングをしていると、「売上を上げたい」「利益を出したい」「利益率を上げたい」といった相談をよく受けます。しかし、それらはすべて手段であって、ゴールではありません。長期的に見て、会社はどうなりたいのでしょうか。ゴールが不在のまま、売上を上げたい、シェアを上げたいといってもナンセンスです。

売上を上げること自体は、原資があればそれなりに方法はあります。短期的なキャンペーンをたくさん打てば、とにかく今年の売上を上げることはできます。では、来年は下がっても良いのか。また、利益を度外視して売上を上げるのと、長期的に利益を出せるように売上を上げるのでは、ストーリーが全く違ってきます。新規顧客の獲得を重視するか、既存顧客のロイヤルティを重視するかといった議論も、ゴールが設定されていなければ意味がありません。

やはり企業のゴールは、長期的に利益を出し続け、成長し続けること。それこそが唯一の目的であって、そのために短期と長期で何をするかという話になっていくと私は考えます。

ソートリーダーシップで目指すべきゴールも、長期的に価値を生んでいける新たな仕組みや市場をつくることにあるのでしょう。ならば、「時間軸の壁」を超える強烈なゴール、持続可能なゴールのイメージを持つべきです。

例えば「世界一高いビルをつくる」という競争が世界中で行われていますが、それに何の目的もなく「ただ世界一と言って自慢したいだけ」で勝とうとすることは、果たしてソートリーダーシップといえるでしょうか。世界一高いビルをつくることが誰にどんな価値を与えるのか分かっていなければ、「時間軸の壁」を超えて価値を生み出し続けるような、持続可能なゴールも見えてきません。

では、同じ世界一でも例えば、瀬戸大橋の場合はどうでしょうか。かつて本州と淡路は、船でしか行き来できませんでした。それをつなぐ大きな橋を作れば、生活やビジネスがとても便利になります。「時間軸の壁」を超えて多くの人に便益をもたらし、永続的な価値を生み続けていくでしょう。受益者の顔がそこには、はっきりと見えています。特定の誰かの便益を考えて進めた結果として、当時世界一の長さを誇る吊り橋になったわけですが、それはあくまでオマケにすぎません。

ソートリーダーシップは「時間軸の壁」を超える方法論になり得る

――そう考えると、持続可能なゴールを設定することは簡単ではないように思います。

西口 同感です。人は基本的に、長期的なゴールを考えることが苦手だと思います。例えば、自分の人生について考えてみましょう。明日、来週、来年くらいのことなら想像しやすいと思います。しかし5年後、10年後、20年後の自分をイメージするのは、なかなか難しい。先ほどから「時間軸の壁」と言ってきたのは、このことなのです。

ゴールの設定は、誰にとってどんな「便益」があるかを考え抜くことから始まります。決して簡単ではありません。それでもN1と向き合いながら、「時間軸の壁」を超えうる、長期的で持続可能なゴールを考えましょう。

ただしそこでは、ゴールを実現する「手段」を考える必要は、一切ありません。持続可能な価値を生み出す、非現実的とも思えるような大きなゴールを設定するとよいです。理想的なゴールには、強い共感性があります。それを社会に示していくことで、共感する人が必ず現れます。プロジェクトを助ける人が出てきて、コミュニティが生まれ、チームができ、いろいろなパートナーシップが発生するでしょう。人々が相互に協調する中で、実現に向かう「手段」が見えてきます。とても無理だと思われていたソートが、共創によって現実のものになっていくのです。

――コンサルティングを続けてきた中で、持続可能なゴールを設定するためのヒントはありましたか。

西口 「時間軸の壁」を超えることは、やはり非常に難しいのですが、それでも様々な企業の相談に乗っていると、少しずつ傾向が見えてきます。

例えば、社長に任期がある大企業よりも、創業から続くオーナー企業の方が長期的な視野を持っています。20年、30年、場合によっては100年という視野で経営を見ています。それだと話が進みやすいですね。そうでない企業の多くは、2~3年先の未来しか見えていないことが多いです。

また、私がこれまでお話を聞いてきた企業を振り返ると、長期的な視野を持つ企業ほど、売上よりも利益に注目しています。持続的に利益を出していく仕組みをいかにつくるかを考えています。

西口氏はマーケティングを定義する3つの要素が上図にあると述べる。「便益」と「独自性」を備えた価値を提案し、短期的でなく長期的視野で「利益」を継続させ、それを再投資することで「時間軸の壁」を超えていく。こうした考えはソートリーダーシップにも十分に生かされるはずだ
(出所:Wisdom-Beta「2-1-1:マーケティングとは、「顧客」に向けて「価値」を「創造」すること」

かつては、売上を上げれば利益も自動的に上がる時代がありました。その発想は、規模の経済が働くことを前提としています。つまり、工場でモノをたくさん作れば、原価やオペレーションコスト、固定費が下がっていくので、利益も必ず上がるという製造業をベースにしたシンプルな経済モデルです。

しかし今日では、売上を上げたからといって単純に利益が上がるようなビジネスはほとんどありません。だからこそ、長期的な利益をどう考えるかという話題からスタートしなければ、ビジネスの話はできないのです。ソートリーダーシップは、私たちが苦手な「時間軸の壁」を超えていくための、方法論の1つになり得るかもしれません。

<取材を終えて>

新しい価値や市場の創出は、1人の顧客(N1)を掘り下げることから始まります。1人の潜在的なニーズにしっかりと向き合うことで生まれた、「便益」と「独自性」を兼ね備えた商品やサービスは、その新たな価値によって2人目、3人目を魅了していき、やがて大きな市場を築いていきます。逆に、人を大きな集団と捉え、その平均値で作られた商品やサービスは、見た目はそれなりに良いですが、結局、誰のニーズも満たすことができません。デジタルによる定量的な市場調査・分析が当たり前になった時代だからこそ、見過ごされてしまいかねない定性的なアプローチの重要性を説いた、核心を突くストーリーだと思います。ソートリーダーシップに取り組むためのヒントが、長年蓄積されてきたマーケティングの知見にはふんだんにあることを、改めて思わされるお話でした。
また、多くのステークホルダーを巻き込み、大きなゴールを目指すソートリーダーシップは、人々が短期的思考から解き放たれ、「時間軸の壁」を超えるための方法論になるかもしれないというお話には、大きな勇気を与えられました。

インタビュイー:Strategy PartnersおよびWisdom Evolution Co.代表取締役 西口 一希 氏
 
大阪大学経済学部卒業。プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)ブランドマネージャー、マーケティングディレクター。ロート製薬執行役員マーケティング本部長を経て、ロクシタン代表取締役社長 グローバルエグゼクティブメンバー 社外取締役戦略顧問。スマートニュース執行役員マーケティング担当(日本・米国)。2020年、日米で特許取得した9segs分析サービスを提供するM-Forceを創業。2024年、マクロミルに売却のち同社の戦略アドバイザーに就任。同年より現職。複数企業の社外取締役、顧問を兼務する。
著書に『マーケティングを学んだけれど、どう使えばいいかわからない人へ』(日本実業出版社)、『たった一人の分析から事業は成長する 実践顧客起点マーケティング』(翔泳社)、『企業の「成長の壁」を突破する改革 顧客起点の経営』(日経BP)、『ブランディングの誤解 P&Gでの失敗でたどり着いた本質』(日経BP)ほか。

企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、榛葉幸哉、石垣亜純)

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