『もうすぐ死を迎える飼い犬のつぶやき』
多分10年くらい前?にネットで目にしたもの。
自分が管理できるどこかに残しておきたくて、ここに置きます。
『もうすぐ死を迎える飼い犬のつぶやき』
おかーさん。なんでボクだけ、ハダカんぼうやったん?
おかーさん。なんでボクだけ、シッポついてたん?
おかーさん。なんでボクだけ、おててつかんと歩けへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、つくえでゴハン食べられへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、みんなとオシャベリでけへんかったん?
おかーさん・・・。
なんでボクだけ、さきに死んでしまうん・・・?
よう聞き。
おしゃべり出来んかったって、何言うてんの
あんた いつもしゃべってたやないの
ほれエサちょーだい水ちょーだい、ササミちょーだいだの、
みんなに言うとったやないの
みんなおまえの言う事、ぜーんぶ解っとったやろ?
おかーさんもおとーさんも、
にいちゃんねえちゃんかて、
ちゃんと返事してたやろ
おかーさんに
「行ってらっしゃい」はよう出来んかったなぁ
おかーさんが「行ってきます」しても
いつも行かんといて行かんといてって 言うとったなぁ
そういえば、
おまえはまだ自分で「行ってきます」言った事、無いんやな…
はじめての「行ってきます」やな…
おかーさんも「行ってらっしゃい」言いたないなぁ
おんなじやんな、行ってらっしゃいって、こんなに辛いんやな
何度も行ってらっしゃいさせてしもて、ごめんなぁ…
ほら、身体、つらいんやろ?
もう、目ぇ閉じや。
おかーさんも、そのうち行くから待っててな。
向こうで会えたら、
もう行ってきますも行ってらっしゃいもなくなるよし。
「行ってらっしゃい。」

いつ目にしても、涙なしでは読めない。
はじめて読んだのものは、
着物を着た年配の女性が
犬を膝に抱いている古いモノクロ写真が添えられていて
その写真だけで胸がいっぱいになった。
(追記:見つけたので貼りました。2/9 )

22年の夏にむーちゃんを
そして昨年の5月にばんを、そして年末にカブを見送った。
動物と一緒に暮らすものは、彼らよりも先に逝ってはいけない。
見送るのは務めだとわかっていても
長生きを寿ぐ気持ちがあったとしても
辛いことに変わりはない。
老いたって歩けなくなったって、彼らは私の子どもとして逝くんだもの。
この詩?を読んでぼんやりと考えたのは
最期の時の情景や、その時の思いはもちろんだけど
その子との思い出や日常のひとこまひとこまを
家族はずっと持っていくのだろうなぁということ。
あたりまえみたいなことだけど
他でもない、その子との毎日を
それぞれが自分のものとして
最後まで持ち続ける事が出来ることのありがたさ。
私が生きていく、これからも毎日を続けていくということは
むーちゃんとばんとカブと(そしてりんちゃんと)
そして昔実家で一緒に暮らした猫たちとの日々を
記憶するハードディスクというか
思い出の入れものとしての意味もあるのかもしれないな、と思う。
私が生きている限り
むーちゃんもばんもカブも私の中にいて、そして生き続ける。
だから大事にしなくちゃ。
そして
「向こうで会えたら、
もう行ってきますも行ってらっしゃいもなくなるよし。」
なのだな。

ドラ、まだまだ一緒に長生きしようね!
*2023年9月9日にex.blogの下書きに入れたものに
改めて追記して編集しました。
