宵闇の魔法使いと薄明の王女5 1章:1話;動きはじめた日常(4)
1話:動きはじめた日常(4)
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「おぅサツキ、おかえり。……ん?ジルも来てくれたんか。調子はどうや?」
古ぼけた木扉を開けた二人を出迎えたのは、サツキと同じ訛り口調をした赤ら顔のラバード=キリングだった。
もしゃもしゃの髭が顎を縁取り、同じ質感のふさふさとした髪が暖かそうで、ジルファリアは家に置いているくまのぬいぐるみを思い出した。
陽気に掲げた右手とは反対側の手に、麦酒の瓶が握られている。
「おやじ、また飲んでるんか……」
呆れたようにサツキはパン袋をカウンターに置いた。
傍らのジルファリアは壁際の棚に積まれた籠を覗き込む。
このオンボロな店に似つかわしくない、きちんと清潔に畳まれたタオルやら衣服が仕舞われていた。
店に入った時から漂っていた石鹸の良い香りがふわりと鼻をくすぐった。
「どうせこの時間帯はだーれも来ぇへん」
石造りの建物のせいか、ラバードの良く通る声が無駄に響く。
「そうやとしても、店番中に酔っ払ってたらあかんやろ」
「だーいじょうぶ大丈夫」
へらへらと人懐っこい笑顔を見せるこのラバードのことをジルファリアはとても好きだった。
「おっちゃん、あいかわらずだなー」
「毎日楽しく過ごさんと損やからな。お前ら今から街に出かけるんか?」
「うん、出かけるぞ!」
「どこ行くんや?」
「んん……?そういや今日はどこ行こうか、サツキ?」
「そうやなー。職人街はもう飽き飽きやしな」
思案顔で腕組みをするサツキに、へへっと声を上げてラバードが笑った。
「王都はまぁまぁ広いから迷子になるなよ」
「ならねーよ」
街のことを毎日我が物顔で練り歩いている二人にとって、王都はもう庭のようなものだ。
得意げなジルファリアはラバードの顔を覗き込む。
「オレたちに知らねぇ場所なんてないぞ、おっちゃん」
「ほぉ、ほんならこの街について軽ーく説明してもらおか、ジル」
「へへっ、お安い御用だ」
鼻の頭を指で擦るとジルファリアは傍にあった小さな椅子の上に飛び乗る。
勢いづきすぎて椅子ががたんと揺れ呻くと、気を付けろやとサツキの呆れた声が飛んできた。
「よーし、じゃあこのオレ様が王都について説明するぞ」
「この王都セレニスは、街の中が四つに分かれているんだ。オレたちの住んでる職人街と、アカデミーがある学生街。あとは、魔法使いたちが住んでたり魔法の店があったりする魔法街。あとは……」
ジルファリアは一旦言葉を切り、思い出すように宙を見つめたあとぽんと手を打った。
「エラいヤツらが住んでる貴族街だ!」
どうだと言わんばかりに踏ん反りかえっているジルファリアを、呆れた顔で見つめる親子は揃ってため息を吐いた。
「んん?なんだなんだ?」
「いや、間違ってないんやけどな。お前の説明は何ちゅうかこう……いつもざっくりしてるっちゅーか、なぁ」
「ジルはガサツやからな」
「何だとー」
むぅ、と頬を膨らませたジルファリアは椅子の上からサツキを睨みつけるが、すぐに切り替えてにんまりと笑った。
「ま、いいや。さっそく外行こうぜ」
「だからどこに?」
「そうだなぁ、セレニスはあらかた歩き回ったから……」
「いやいや、さすがに王宮と貴族街はよう行かへんやろ」
「じゃあ、今日は思い切って貴族街に……」
「駄目だ」
途端に硬くなった声が部屋に響く。一瞬空気がぴり、と張り詰めたような気がした。
「……おやじ?」
先程まで酔いどれていたラバードが神妙な顔でこちらを見ていた。
ジルファリアは不服そうに顔を顰める。
「なんでだよ、おっちゃん」
「貴族街はあかん。俺らみたいな身なりのモンがうろついてみ?下手したら捕まるで」
「ま、そらそーやわな」
うんうんとサツキが頷くと、ジルファリアは一層不貞腐れたような顔で頬を膨らませた。
「んじゃあ、そこ以外で」
「王宮もあかん」
「えぇ?!」
ピシャリと飛んでくるラバードの言葉に、ジルファリアの短い眉が下がる。
「当たり前や。貴族街より王宮の方がもっと捕まるやろ」
「捕まんなかったらいいじゃん……。オレとサツキなら楽勝だぞ?」
膨れっ面のジルファリアの胸をラバードが指で突いた。
「ええか?あんまりパドとアドレに心配かけんな、ジル」
「……むー、分かったよ」
渋々といった表情で、ジルファリアは椅子から飛び降りた。
「おっちゃんの心配するようなことはしねぇから安心しろよ」
「お前のそれが一番信用出来へん」
ぷはっと吹き出したサツキがジルファリアを戸外へと押しやった。
「ほなおやじ。夜までには戻るわ」
「おう、行ってこい」
振り返るといつもの陽気な表情に戻り、大きな腕をぶんぶんと振るラバードの姿が映った。
「なぁサツキ、おっちゃんにああは言ったけどさ、ちょっと行ってみたくねぇか?貴族街」
職人通りに出るなり、ジルファリアがその猫のような瞳を悪戯っぽく光らせた。
誰かに聞かれやしないかとサツキは思わず周りを見回す。
先程までの喧騒は落ち着き、人通りはまばらになっている。
「おまえ……、ほんま懲りんなぁ」
「だってさ、確かにあんまり行ったことねぇもん。捕まるかもしれないなんて、逆にワクワクすんじゃん」
くるりと踵を返し、王都の中心地を通る大通りに向けてジルファリアは駆け出した。
「おい、ちょ、待て待て待て!」
跳ねていく外套のフードをサツキはむんずと掴む。
「おまえはほんまに短絡的というか、衝動で動くというか」
「は?タンラクテキ?……サツキはたまに難しい言葉を使うから、分かりにくいぞ」
ジルファリアが首を傾げて眉間に皺を寄せた。
「えーから、とりあえず今日のところはアカデミー見に行かへん?ほら、おまえ興味あるんやろ?」
「アカデミーかぁ、……いいな!よし、そうと決まったら早速行こう!」
言うが早いか、ジルファリアがまたしても駆け出そうとしたその時、
「……おっ?」
側の細い路地から彼目掛けて飛んできたそれを既のところで避けた。
近くの外壁でパチンと弾けたそれは小さな砂利だった。
「……あぶね。誰だ?」
先程までの陽気な表情から一転し、鋭い目つきで路地裏を睨み付ける。
その影から二人の少年がこちらへ姿を現した。
ジルファリア達よりも少し歳が上だろうか、大柄な少年と小柄な少年だった。
「カラスの野郎どもか」
「今日もいつもみてーに馬鹿ヅラだな、黒猫ジル」
背の高い方の少年がこちらを見下ろしながら笑った。
「変なあだ名つけんな。そういうおまえも鈍そうな身体してんな、ダン」
負けじとジルファリアが返す。
グッと悔しそうな表情を見せたダンに、さらに畳み掛けた。
「こないだオレらに負けたからって、仕返しに来たのかよ。大勢でかかってきたくせに、たった二人に負けてダサかったよな」
「何をぉ?!」
「おい、ジル。火に油注ぐような言い方はやめとき」
サツキは思わずジルファリアの肩を掴んだ。
「ハーン?洗濯屋はいつも冷静だな、嫌味なくらい」
「ひとつ聞きたいんやけど、おまえらは何でいつもおれらに構うん?別にこっちは何もしてへんで」
そんなサツキの問いかけに、今度はひょろりとした小柄な少年がこちらを指差し甲高い声を出した。
「お前達をカラス団に誘ってやったのに入らないのが悪いんだろ」
カラス団とは、この職人街を縄張りとしている子供達の集まりのことだ。
その中でも孤児が多く、日々街中のゴミ漁りを生業としており、職人街の中でも更に治安の不安定な裏路地通りに住んでいる子供が多かった。
それだけならまだ支障はなかったのだが、家計のために道端での靴磨きや煙突掃除など懸命に仕事をしているほかの少年達に対して、理不尽な喧嘩を吹っ掛ける迷惑な集団と化していたので、街中ではすこぶる評判が悪かった。
それに時折、職人街の商店から食料や物品がなくなったりすることが起こっていたのだが、専らカラス団の仕業ではないかと囁く者も少なくなかった。
「誰がそんなところに入るかってんだ」
にゅっと舌を突き出してジルファリアが顔を顰める。
サツキは傍らの少年を覗き込んだ。
「なぁビリー、おれらはそういう団体行動みたいなんが苦手なんや。そう断ったはずなんやけど」
「う。だってよぉ、ダンが……」
ビリーと呼ばれた少年がサツキの視線にたじろぐ。
そしてダンの方を見遣ると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「俺は、黒猫はともかくサツキのことは買ってんだ。頭もいいし喧嘩も強ぇ」
「いや。せやからおれらは……」
「だから、ジルが居なくなりゃお前は一人になるだろ?」
ダンがニヤリと笑う。
「……は?どういう意味だよ」
ジルファリアが眉間に皺を寄せると、ダンは拳をポキポキと鳴らしながら見下ろしてきた。
「今日こそ黒猫の野郎をメタメタのギタギタにしてやろうって言ってんだ!」
そう声を上げるや否や、ダンが大きな腕をぶんと振り下ろす。
反射的に後方に飛び退き躱したジルファリアは、その反動でバランスを崩し膝をついた。
「……おい、ダンてめー、こんな街中でおっ始めるつもりかよ?」
「おう!かかってこい、ジル」
「何がかかってこい、だ!そんなメーワクな話あるかっ」
片手を地に付けたジルファリアはちらりと辺りを見回す。
幸い人通りは少ないが、それでも露店などが並んでいるし、道の端で遊んでいる子供や杖をついた老婆だって歩いている。
ジルファリアは立ち上がると踵を返した。
肩越しにダンを振り返ると、こちらを睨みつけて拳を握りしめている。
「おい、黒猫。まさか逃げるつもりじゃねぇだろうな?」
「お前みたいなのとやり合うヒマなんてねぇもん、そのまさかだよっ!」
行くぞサツキ!と呼びかけながら走り出す。あっ待て!と張り上げるようなダンの声がすぐに後方から追いかけて来た。
「おい、どこ行くつもりやジル」
すぐに隣に追いついたサツキが走りながら問う。
「とりあえず、アイツら撒かないとな!」
へへっと歯を見せながら実に楽しそうにジルファリアが笑った。
だが次の瞬間、雄叫びのような声と何か大きなものが落下する音がすぐ後ろで聞こえ、途端に笑顔が消える。
「げ」
「まじか」
振り返れば、遥か後方で怒り狂った表情のダンがこちらに向かって酒樽を投げつけたところだった。
ごうんごうんと大きな音を立てて樽がこちらに転がってくる。
今二人が駆けている職人街は緩い坂道で、先の中央通りに向けてなだらかな下り道だった。
「あんなもん転がしやがって」
不機嫌極まりない表情でジルファリアが舌打ちする。
「あぶねー……だろー、がっ!」
振り返りながらジルファリアは脚を旋回させて向かってきた樽に蹴りを入れた。
走る痛みに顔を顰めつつ、そのまま力を込めて振り上げる。
足の甲に当たった樽はそのままダンとビリーの元へと綺麗に弧を描いた。
「誰がメタメタのギタギタにしてやるだって?」
そのまま樽が二人の頭上に落下し、哀れな悲鳴が聞こえてくる。
「オレらにケンカ売るなんて、十万年早いんだよ」
鼻で笑いながらジルファリアは悲鳴からくるりと背を向けた。
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