突き詰め過ぎると結局何もつまらない話。
こんばんは。今日もお疲れ様です。
noteの毎日投稿をやめて、「気が向いたら」投稿にしようと決めてから、
「気が向く」とはどこまで?と思い始めて結局どのタイミングで投稿すべきなのか分からなくなり、また無駄に期間が空いてしまいました。
そんなわけで今回は、何事も突き詰めすぎると結局何も詰まっていないと同じ状況になるよねってお話をしていこうと思います。
「発信することには意味がある」
そう「思って」と言うより、「仮説として定義して」
note、twitter、インスタ、スタエフ、kindle出版と手当たり次第に始めてみて、文章、音声、漫画と表現方法も試しながら色々やってみて4ヶ月。
やればやるほど出てくる、「これ意味ある?」という自分の中の声。
「そもそも『意味』って何?」
有料化、フォロワー〇〇人、イイネ数、ビジネス、売り上げ
そういう分かり安いものに対して意味づけしてそれをモチベーションに頑張れる人たちを素直に尊敬するし、正直嫉妬するし、本音で言えば軽蔑する。
結局私は目に見えるものや単純な数字に「意味」を見いだせないのだと思う。
へー。で? だから? それで?
って思いがついてまわる。
全身金きらにして喜んでるバブルの成金マジリスペクト。そんな心に生まれたかった。
いや、でもそう言う人たちは幼少期とかに逆に満たされない何かがありすぎたから、大人になって金きらになって一時的な満足を得たことによって、金きらこそが「意味」だと「仮説として定義」できている状態にいるだけであってそういう反動で生きているような人たちは揺り返しも大きすぎるだろうからきっと大変なんだろうと、勝手にリスペクトした後に勝手に深く同情してしまう。揺れ動く私の心。手の平返し。
何事にも「意味」を見いだせないと、何事も成す意味がなくなるので生きる意味も無いけど、死ぬ意味もまた、無い。
あと単純に生存欲求もあるし、食欲も人並み以上にある。でも、こういう欲というものも、あるようで無いようで実際、その状況になって限界を超えて別の世界に行かないと目に見えないものはあると定義することすら難しかったりする。
だから「意味」も「仮説」も「定義」も「ある」も実は同じ。あって無いもの。「無い」も同じだから無くてあるものとも言える。
分かりそうで分からないうちはあっても無くてもそれでいい。きっとみんなその仮説、定義、意味をただ楽しんでいるってことだと思うから。でも物事って突き詰め過ぎるとつまらなくなって、楽しく無くなる。でも、「楽しくない」もあって無い。「つまらない」もあって無い。
即ち、突き詰め過ぎることもあって、無い、から永遠にあって永遠にない。空かつ、無限。
ただし理論、仮説としては、だ。
私と言う人間を通して語るとなるとそこには限界もあれば、私と言う存在が空ではない前提も……
うん、永遠に続くけどなかなかつまりませんな。
今回はここまでにしてみます。
そんなわけで、また気が向いたら、どうぞよろしく、私。
【本日の5コマ漫画】
無。

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