言葉にできないものは、それでも伝わるのか——海外の写真誌に載って、考えたこと
先日、"Quiet Transitions" という自分の作品群が、Edge of Humanity という海外のオンライン写真誌で紹介されました。正直なところ、それまで名前も知らなかった媒体です。
Edge of Humanity は、いわゆる有名媒体ではありません。
2014年から続く独立系のプラットフォームで、購読者は7万人ほど。
派手さはないけれど、淡々と作品を拾い続けているようです。

きっかけは、ポートフォリオサイト経由での一通のメールでした。
寄稿しませんか、というお誘い。
ありがたく受けたのですが、その人たちが、どこで僕の写真を見たのか、分からないままです。
メールにそれらしい説明はなく、SNSなのか、誰かの紹介なのか、フォトコンテストの入賞作品を見てなのか。
考えてみると、これは少し妙な感覚です。
写真を撮るときは、どこへ行くか、いつシャッターを切るか、何を写して何を省くか、ぜんぶ自分で決めています。
でも「見つけてもらう」ことだけは、自分ではどうにもできません。
作品は、僕の知らないところを通って、僕の知らない誰かのところへ、勝手に届いていたわけです。
僕がよく撮っているのは、霧が出たり、光が褪せたり、季節が入れ替わったりする、何かが何かに変わっていく途中の風景です。
決定的な瞬間というより、その手前の、地味な時間。言葉にするとこぼれてしまう感じが、写真にはまだ残せる気がして、続けています。

寄稿のとき、10枚すべてに、自分で短い説明文をつけました。
言葉にならないものを撮っておいて言葉を添えるのは矛盾していますが、写真の脇に置く文章は、答えではなく、見る人が立ち止まるきっかけくらいに考えています。
伝えたいことがこぼれるのは承知で、自分の言葉は自分で選んでいます。
ただ、自分の言葉では、それが本当に誰かに届いたのかどうか、分かりません。自分で書いた文章が自分の意図に合っているのは当たり前で、写真そのものが相手に伝わったかどうかは、こちら側からは確かめようがないのです。
記事には、海外の読者から、コメントがついていました。
So darkly beautiful, I can hear the first morning bird announcing the dawn.
意訳:あまりに暗くも美しい。夜明けを告げる最初の小鳥のさえずりが聞こえてくるようだ。
これは少し驚きつつも、嬉しいコメントです。
音のない写真から、会ったこともない人が、勝手に音を聞いている。
僕が残したかった静けさは、その人の中では、別のかたちになっていたわけです。
たぶん、伝わるというのは、こういうことなんだと思います。言葉にならないものは、言葉のままでは伝わらない。でも、受け取った人の側で、その人なりの何かに置き換えられて伝わっていく。同じである必要はなくて、僕の写真がある人には鳥の声に聞こえるなら、それで十分なのだと思います。
結局、写真が手を離れたあと、どこで誰が見て何を感じるかは、僕にはコントロールできません。
今回はそれが、たまたま少しだけ目に見えました。それだけのことかもしれませんが、また撮りに行く理由としては、これで足りる気がしています。
