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「本屋にやってきた二人組の悪魔」

                                    その日はどのような観点から見ても厄日だった。傘を持たずアパートから駅まで向かう道の途中で雨が降りはじめて、電車で隣に座った男のイヤホンから大音量の歌謡曲が流れてきて、消費期限の切れたサンドイッチを買って食べ、ビルの階段であしをすべらせてひざを打つという具合である。私は店の鍵をあけて、レジの椅子に座り、コーヒーを飲みながら考えを巡らせた。まだ起きてから一時間経っただけなのに、これだけ立て続けに厄災がふりかかっている。今日はろくでもない日になるだろう。そして案の定、その日の最初のお客として、悪魔がやってきたのだ。おまけに連中はふたり組だった。

 「ちょっと世話になるよ」ちびの悪魔がそう言った「こいつの誕生日でね。本でもプレゼントしてやろうって思ったんだ。なぁ。本はいいよな」
 ちびの悪魔はでぶの悪魔のからだをパンと軽く叩いた。でぶの悪魔は通路を塞いで立ったままにやっと笑っただけだ。
 「まぁひとつ頼むよ。こいつにぴったりのやつを見つけてやってくれ。なんつったって誕生日なんだからさ。特別な日なんだよ」
 わたしは過去に何度か悪魔の相手をしたことはあったが、もれなく毎回、いろいろと面倒な目にあってきていた。悪魔にもいろんなタイプがいることは知っているが、面倒かどうかで言うと、それはもう全面的に、絶対的に面倒である。例えば、あなたが動物園のアリクイに所得税を支払わせることを想像してみてほしい。しかも二人組の悪魔というのは初めてだった。
 「どんなタイプの本がよろしいですか」わたしは恐る恐るきいてみた。「フィクション。ノンフィクション。ビジネス書、専門書、エンターテイメント。いろいろありますが・・・」
 ちびの悪魔はでぶの悪魔のこしのあたりをパンと叩いた。「聞いたかい? いろいろあるんだってよ。いろいろあるってのはいいことじゃねえか」
 でぶの悪魔はにやっと笑って、ちびの悪魔の耳元になにかを囁いた。でぶの悪魔は小さな声でぼそっと何かをつぶやき返す。
 「死人が出てこない探偵小説がいいってさ」ちびの悪魔が言った。
 「ええと」わたしは困って言った。「なかなかむずかしい注文ですね」
 「無いってことかい?」
 「あるかもしれないんですが、なんというか、そういった観点で探偵小説をとらえたことがなかったもので」
 「ふうん。それで?」
 「なので、見つけられるかどうか」
 「教えられないってことかい? なぁ。そいつは台無しだね。ひどくがっかりするよ。ちょっとまずいよな。こいつががっかりするとどうなるか知ってるか。あんたはそれを受け止めるってことでいいんだな。おれにはあんたを助けてあげられないよ」
 でぶの悪魔は黙ったまま、3歳児が粘土で作ったような無表情な顔をわたしのほうに向けていた。わたしはコーヒーを一気に飲み干して、ため息をついて立ち上がり、奥の本棚へと向かった。探偵小説コーナーだ。アガサ・クリスティ、だめだ。コナン・ドイル、だめだ。ダシール・ハメット・・・レイモンド・チャンドラー・・・ロス・マクドナルド・・・レックス・スタウト・・・だめた。ヘニング・マンケル・・・マイ・シューバル&ペール・ヴァールー・・・全部だめ。どれもすばらしい探偵小説だったが、どれも死人であふれていた。それはそうだろう。死人が出るからこそ、探偵が出てくるのだ。
 「どうだい」ちびの悪魔がからかうように言った。
 「ちょっと・・・」
 「あのさ。無いなら無いなりに方法を考えなよ」ちびの悪魔はさっきまでわたしが座っていたレジの椅子にどかっと小さな体を投げ出した。「そうだ。書いたらいい。あんたが書くんだよ。死人が出てこない探偵小説を書いて、こいつにプレゼントしてやりなよ。特別な日なんだ。それくらいやってもいいんじゃないか。なぁ。もう一杯コーヒーでも飲んで考えてみなよ」

 わたしは棚によりかかったまま、深いため息をついて考えてみた。このろくでもない日を終わらすにはどうすればいい? わたしは携帯電話を取り出して、店長に電話をかけることにした。店長は悪魔の対応には慣れている。きっと何か良い方法を考えてくれるだろう。
 「店長、すみません。ちょっと来てしまったみたいで」
 「来たって、何が?」
 「悪魔です。しかも二人組で」
 受話器の向こう側で沈黙が流れる。店長が何かを考えているのだろう「思ったより早かったな。前回来たのは・・・4月だったかな。二人組ってのは初めてのパターンだが、どういうやつらだ?」
 わたしは二人の外見や、会話の内容をざっと説明した。
 「なるほど。悪魔にも誕生日があるってのは初耳だったが、連中もだいぶ世俗化してるってことか。うん。いくら悪魔だからって、コンテキストは無視できないってわけだ。いや、悪魔だからこそ、時代背景や文化文明の変遷にあわせて思想をアップデートしていく必要があるんだろうな。変化に対応できるものが普遍性を獲得するってね。それにしても、世俗化した悪魔ってのがどういうものか考えたこともなかったが・・・」
 「あの、すみません。それで、どうすればよいですか」
 「ああ、対処方法が知りたくて電話したのか。そうだな。お前、ウッドハウスは知ってるか?」
 「ええと、知らないと思います」
 「コメディのところの、一番下の段を見てみろ。確か2冊くらいある」
 「すみません、もう一度、作家名を言ってもらえます?」
 「ウッドハウスだ。あのジーヴスシリーズなら死人があんまり出てこない。・・・どうだったかな。出てくるやつもあるかもしれないが、死人が出てくる確率は限りなく低い」
 「ちゃんと探偵小説なんですか?」
 「ああ」
 「でもコメディの棚にあるんですよね?」
 「探偵小説の構造を借りたコメディ小説ってとこだよ。まぁ、誕生日を気にするくらい世俗化した悪魔なら楽しめるんじゃないかな」
 「わかりました、ありがとうございます」
 「あと」店長が思い出したように付け加えました「お前、体調は大丈夫か?」
 「体調ですか?そうですね。最近ちょっといろいろあって疲れてますが、仕事をする分には大丈夫です」
 「最近、何か嫌なニュースは見たか?」
 「ニュースですか、そうですね、いろいろ見たような気がしますが、特にこれといって記憶に残ったものはありませんね」
 「ここ一ヶ月で何か夢は見たか?」
 「ええと、見たような気もしますが・・・特に覚えてません」
 「家族や友人と会話できてるか?」
 「なんですって?」
 店長はまたしばらく沈黙の中に沈んだ「今日午後から代わるよ。お前は家に帰ってちょっと休んでこい。悪魔の対応で疲れてるだろ。明日も休んでいいからな」

わたしはなんとも言えない心境で、書架のコメディの棚を探したところ、店長が示唆した場所に、P・G・ウッドハウスという作家の本が2冊ほど収まっているのを見つけた。そして、中身を確認せず、その2冊の本をちびの悪魔に渡した。もうなんでもいいから、早く悪魔から解放されたかったのだ。
 「へえ。これが死人が出ない探偵小説ってわけかい」
 「はい。店長にも確認したので、間違いないと思います」
 「あんたは読んだことがねえんだな」
 「申し訳ありません。これだけの本がありますと、なかなか・・・」
 「せいぜい100年の人生だもんな、可哀想に。たった100年で、本屋がろくに本も読めねえで、いったい何がわかるっていうんだい、なぁ?」ちびの悪魔は、でぶの悪魔のほうを見て、にやっと笑った。でぶの悪魔は立ったまま、人間のたった100年の人生のことなんて1ミリも意に解すつもりはないという表情を浮かべていた。
 「それじゃこれもらっていくぜ」ちびの悪魔はそう言って店から出ていこうとした。
 「あの」
 「ああ?」
 「ひとつ質問してもいいですか」わたしは思い切って切り出した「その、そちらの方は、どうして、死人が出ない探偵小説を探してるんですか」
 ちびの悪魔は挑戦的な表情を見せて、でぶの悪魔に言った「おい、聞いたか?こいつ、お前がどうしてこんな本を探してるか知りたがってるぜ」
 でぶの悪魔は、ちびの悪魔からウッドハウスの本を受け取り、いろんな角度から本を眺めてから、ちびの悪魔の耳元に顔を近づけて、ぼそぼそと口を動かした。そして、ちびの悪魔がふと怪訝そうな顔をして、でぶの耳に向けて何かを喋った。すると、でぶの悪魔がまたちびの悪魔の耳に向けてぼそぼそと口を動かす。何度かそんなやりとりが交わされた後で、ちびの悪魔はまたもとのニヤニヤ顔を取り戻した「あんたは救い難い欠落を抱えてるってな」
 「どういうことですか?」
 「欠落だよ。知ってるだろう」
 わたしは戸惑った。頭の中で何かがカチッと音を立てた気がした「ええと、聞きたかったのは、どうして死人が出ない探偵小説を探してるかということだったんですが」
 「だからそれが理由だって言ってんだよ」
 「すみません、ちょっと・・・」
 「わからねえのかい。わからねえなら、あんたの好きな店長に電話して聞いてみな」ちびの悪魔はそう言い捨てると、でぶの悪魔の背中をバシッと叩いて、カウンターを通り過ぎ、威勢よく店の外に出て行った。そして、残されたでぶの悪魔も、しばらく後で思い出したかのようにちびの悪魔を追って行った。

悪魔たちが唐突に出て行ってしまうと、本屋は急に静かになって、暗くなったようが気がした。雨粒が窓を叩く音が強くなって、雨の匂いも強くなる。半分ほど残ったコーヒーはすっかり冷めて、錆びたジャングルジムのような味がした。わたしは次に何をすればいいかわからないまま、カウンターの中に座っていた。店長に電話をしようと思ったが、自分が何を話したいのかもよくわからなかったのでやめた。悪魔たちを首尾よく追い払えたじゃないか。わたしはそう考えてみたが、なぜか気分は晴れなかった。きっと、それが悪魔がやって来たことの意味なのだろう。わたしは、自分の頭の中に不吉な染みのようなものを見つけた。そしてその染みは少しずつ黒くなっていき、広がっていくようだった。
 
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