歌舞伎座で観た『盟三五大切』―人と化身、猫の境界を考える
今月、歌舞伎座にて『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』を鑑賞。前日予約の一幕見席で拝見したのは、序幕と二幕目。

怪談クリエイター 四代目鶴屋南北による
江戸歌舞伎の傑作
文政8年、1825年9月に江戸・中村座で初演された、生世話物の名作です。
『仮名手本忠臣蔵』の世界を下敷きに、『東海道四谷怪談』にも通じる怨念や因果の感覚を巧みに織り込み、金、恋、裏切り、復讐が入り乱れる、愛憎渦巻く凄惨なサスペンス劇として展開していきます。

物語の中心は、浪人・薩摩源五兵衛、芸者・小万、船頭・笹野屋三五郎。
源五兵衛は、実は『仮名手本忠臣蔵』の義士である不破数右衛門。討入りに必要な金をめぐって、小万と三五郎に欺かれた源五兵衛は、怒りと執着の果てに、凄惨な殺しへと向かいます。
題名の「盟」には、神仏にかけて誓う、という意味があります。
「三五」は三五郎、「大切」は大事なもの、あるいは誓いの響きを含む言葉。作中では、恋の誓いである「五大力」の文字が「三五大切」へと彫り替えられる場面が、きわめて重要な意味を持ちます。
誓いの文字が、別の意味へと変えられていく。
このあたりにも、南北らしい、言葉と因果の恐ろしさがあります。
「忠義」の物語を借りながら、そこに描かれるのは、美談ではありません。
嫉妬。欲。金。裏切り。情。執念。
人間の、きれいではない側面、暗部が、舞台の上でむき出しになっていきます。
現・人間国宝たちが鎬を削った作品
1825年の初演時は評価されつつ、客入りはよくなかったようですが、
1976年に国立劇場で136年ぶりに復活上演されました。
このとき芸者小万を演じたのは五代目坂東玉三郎。
片岡仁左衛門は笹野屋三五郎を勤めています。
薩摩源五兵衛を初役で勤めたのは、2008年11月の歌舞伎座公演。
2017年には大阪松竹座新築開場二十周年記念の公演でも上演されました。
そして今回、2026年6月の歌舞伎座では、ダブルキャストでの上演です。私が鑑賞したのは、Bプロ。尾上松也の薩摩源五兵衛、中村勘九郎の笹野屋三五郎、中村七之助の芸者小万です。
松也の源五兵衛には、騙され、奪われ、壊れていく男の痛ましさがありました。最初から「怪物」なのではなく、人のよさや弱さを抱えた男が、恋と金と屈辱によって、少しずつ変貌していく。
勘九郎の三五郎には、軽みと色気、そしてどこか憎みきれない愛嬌がありました。七之助の小万は、美しさだけではなく、したたかさと一途さが同居していて、残酷さをより深くしていたように感じます。
「化け猫譚」=ゴーストキャットストーリー
四代目・鶴屋南北といえば、歌舞伎作品における化け猫物語の流れを考えるうえで、外せない作者です。
代表的なのが『独道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』に登場する「岡崎の化け猫」。この場面は非常に有名で、のちに『旅噂岡崎猫(たびのうわさおかざきのねこ)』など、独立した演目としても上演されるようになりました。

岡部の猫石伝説、および鶴屋南北作『独道中五十三駅』の化け猫趣向に関わる図像。
今年5月には、南北の化け猫譚をもとにした『歌舞伎町大歌舞伎 獨道中五十三驛』も上演されました。

怨みを抱いた霊。理不尽な死。家の因縁。闇の中で光る眼。
人間ではないものが、人間の恨みをまとって現れる怖さ。
そこには、南北が得意とした「この世の裏側」がよく表れています。
人の化身が、恨みをまとって現れる。
南北が描き出すのは、「この世」と「人」の境界です。
どんな人にも、ひとつではない顔がある。
愛や情は怨みに変わり、誓いは呪いとなり、金への執着は血を呼ぶ。
情が、いつしか念へと変わるとき。
人は人外のものになるのかもしれません。
『盟三五大切』にも、化け猫譚にも通じているように思います。
猫は、人のそばにいて、人の暮らしを見つめ、人の秘密を知っている。
ときに人の怨念を宿し、ときに家の因果を背負い、ときに人以上に人間の情を映し出す。
人はときとして、良心を捨て、獣のように、化け物のようになることもある。
共に暮らす猫たちには、
―姿を変え、たとえ化け猫となっても―
いつまでも、末永く、私の傍らにいてほしいと願っています。
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