〔短編小説〕嗅覚(本編3)

次の週末。マサヤとアキトは、依頼のあった家に向かった。いつものようにアキトの車に撮影道具やら魔除けの御札、塩などを積み込み、カーナビに従って道を走らせる。
「ずいぶんと田舎だな」
アキトがポツリと呟いた。これまで行った廃墟の方が、まだ街から近かったかも知れない。海沿いの細い道を走り続け、周りに店も民家もなくなってしばらくしてから、やっと目的の家に着いた。
「家の前から撮ろうか」
アキトが言い、マサヤは頷いて家の前に立つ。依頼人には先に許可を取っているため、問題は無いはずだ。カメラの用意ができるまで、いつものように臭いを嗅いでみるが、ここは海の匂いしかしない。だが、
「あれ?カメラの調子が悪いな。ノイズが酷くて、何にも見えないぞ」
アキトが少し慌てている。今日の生配信も予告済みのため、フォロワーは楽しみにしているはずだ。何とかしようとスマホで撮影を試みるも、そちらも動かず。仕方がない、こうなったら帰ってからお詫び動画の配信だ。事情を話せば、フォロワーは逆に面白がってくれるかも知れない。二人はそう話し合うと、依頼人の家のチャイムを鳴らした。


「お、お待ちしていました。遠いところまで、本当にありがとうございます」
大学生の兄がペコペコしながらドアを開けた。気弱そうな小さな声に、黒縁のメガネ。お洒落や流行には全く興味が無さそうだ。あまりモテそうなタイプではない。
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
部屋にいた妹も慌てて頭を下げる。こちらも髪型や服装はパッとしないが、声は可愛いし、顔立ちも決して悪くはない。生配信だったらフォロワーが喜んだかもな、などと不謹慎なことをマサヤは考えてしまう。チラッとアキトを見ると、どうやら同じようなことを考えていたらしく、目が合ってしまって慌ててそっぽを向く。
「あ、あの、カメラはいいんですか?」
手ぶらのアキトを見て、遠慮がちに兄が聞いた。
「実はここに着いてから、急に機材の調子が悪くなって。配信できそうに無いのですが、それでも構いませんか?」
アキトが言うと、兄妹は頷いた。
「正直に言うと、配信がない方がホッとします」
兄の声に妹も同意する。では、と改めてマサヤは臭いを嗅いだ。
「ここは、あまり臭いませんね」
マサヤが正直な感想を言う。ここで何かあるとしても、やはり悪い物では無いのだろう。
「声がするのは、どの辺りですか」
「海側の窓の方が多い…かな。家中、どこにいても声はするんですけど」
マサヤは窓辺に近付くが、ここも普通の海の匂いしかしない。今回は空振りかも、と思いかけた時。
「マサヤ」
いきなり耳元で男性の声がした。驚いて振り向いたが、そこには誰もいない。兄妹もアキトも一定の距離を保って立っているので、耳元で囁けるはずなどないのだ。それに今の声は…
「マサヤ」
今度は女性の声。間違いない。これは父と母の声だ!マサヤは混乱した。なぜここで両親の声が?
「どうかしましたか?大丈夫ですか?」
動揺するマサヤの様子を見て、兄が声をかける。アキトも、
「おい、顔色悪いぞ。体調が悪いなら帰ろう。俺も何だか調子が良くないし」
少し青い顔で言う。もしかすると、アキトにも聞こえたのか?だが、何も臭わないということは、声の主に悪意は無いはずだ。そもそも、マサヤもアキトも、両親を怖がる理由などない。
「いや、大丈夫。続けましょう」
マサヤはしっかりした声で応えた。


だが、家の中をどんなに歩き回っても、両親の声以外の異変は無い。今回ばかりは、御札も塩も出番が無さそうだ。だがこのままでは、この兄妹が知りたがっていた「両親が言いたいこと」の手掛かりすら掴めていない。マサヤは申し訳ない思いだったが、仕方がないので正直に告げた。
「僕も何故か両親の声は聞こえたのですが、名前を呼ばれただけで…。それ以上は分かりませんでした。力になれなくて済みません」
頭を下げると、まだ青い顔のアキトもそれに倣う。それを見て、兄はアキトに向き直った。
「アキトさんも、ご両親の声が?」
急に振られて、アキトがビクッとする。こんなに動揺したアキトを見たことがないマサヤは、少し驚いた。
「そ、そうです。名前を呼ばれただけで…」
突然、兄が軽く鼻で笑った。
「下手な嘘つくなよ」


そこには、さっきまでオドオドしていた兄の姿はなかった。ゆっくりと眼鏡を外すと、震え上がるような鋭い目つきでアキトに近付いていく。
「目を覚ませ、マサヤを巻き込まないでくれ、と言ってなかったか?お前を引き取って育ててくれた、恩人二人が」
「うん、私も聞こえたわ」
髪をかき上げながら妹も言う。こちらの声も、氷のように冷たく鋭い。最初に見た気弱な兄妹の姿は、もうどこにもなかった。
「易々と変なものに取り憑かれて、恩人の言葉よりもそっちに従っちゃうなんてね」
「な、何のことだか…」
真っ青な顔のアキトが震えながら反論しようとするが、明らかに様子がおかしい。マサヤは目の前で起こっていることが理解できず、思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください!これは一体…」
兄がアキトを睨んだままで言う。
「今引きずり出すから、コイツの臭いを嗅いでみろよ」
兄はポケットから小瓶を取り出すと、アキトに向かって中の液体を振りかけた。
「ギャアッ!」
おぞましい声を上げて、アキトがよろける。途端にアキトの周囲から、吐き気のするような臭いが一気に広がった。
「うっ」
マサヤは経験の無いほどの悪臭に目眩がし、座り込んでしまった。そこから見上げたアキトは、どす黒い影に包まれて苦しそうに悶えている。
「アキ…ト…」


「だから、面白半分にどこにでも行くなってこと。そこにいるお前の父親は、正しかったんだよ」
兄がマサヤの隣を指さして淡々と言う。
「なのにコイツは忠告を聞かず、一人であちこち行ったんだな。で、いろんなものを憑けて帰った」
「そんな…」
「あなたこの間、親子の家から悪霊を追い払うの、失敗したでしょ」
妹が後を続ける。
「あれ、コイツに操られたのよ。臭いとコイツの言葉に見事に惑わされて、あなたは悪霊を集めてしまったの」
マサヤは呆然とした。
「悪霊を…集める…?」
「そう。あそこは霊の通り道だったのよ。中には悪さをするのもいたし、良くないのもいたけどね。ただ、通り過ぎるだけなら、何とか対処できたはず。それなのにあなたは、霊の出口を塞いでから、悪霊を招き入れたの。ご丁寧に窓まで開けてね」
マサヤはこの間の配信を思い返した。『そこが臭うなら塩だよな』『そこは御札で良いんじゃ無いか』…アキトの言葉を疑うことも無く、『そうだな』とホイホイ従ったこと。そのためにあの親子は…
「さて、無駄口はこの辺でいいだろう。臭くてたまんねえよ。とっとと終わらせようぜ」
「え…終わらせるって、アキトはどうなるんですか!」
「コイツはだいぶ取り込まれちまったから、無傷では無いだろうが…ま、命までは大丈夫だろうよ」
言い終わるが早いか、兄は何かを唱えながら手を大きく動かし、最後にアキトに向かって掌を突き出した。まるで拳法や空手のような動きだ。次の瞬間、
「ギャアアアー!!」
おぞましい叫び声と共に、黒い影は散り散りになっていく。そこへ妹がすかさず黒い小箱を差し出すと、バラバラになった黒い影はそこへ吸い込まれていき、同時に吐き気のするような臭いも消えた。妹は素早く蓋をして封印する。
黒い影の中にいたアキトは、ゆっくりと目を閉じ、崩れるように倒れた。
「アキト!」
マサヤが駆け寄って抱き起こしたが、返事が無い。
「そいつは大丈夫だ。しばらくしたら目を覚ます」
兄が言うと、妹も頷きながら、
「帰りは送らせるから、心配しないで。もちろん車も運ばせるから。しばらくは家で大人しく休むことね」
と続ける。
「あなたたちは一体…」
遮るように兄が言った。
「詮索無用だ。全部忘れろ」


(エピローグへ続く)








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