見出し画像

〔ショートストーリー〕風の色

「風の色を探しに行きたい」
あの夏の終わり、彼はそう言ってこの海辺の街を出て行ったわ。私はそれを信じた振りをして、笑って見送っただけよ。


売れない水彩画家の彼は、私がいないと生きていけないと、口癖のように言っていた。だから私は必死で働いたわ。彼には好きな色で、好きな物を、自由に描いて欲しくて。
彼は海辺の風景が好きでね、いつも青の絵の具を欲しがっていた。買い足しても買い足しても、青の絵の具ばかりすぐになくなって。深い青も明るい青も、様々な名前で売られていたけれど、本当は私には違いがよく分からなかった。ただ、彼の喜ぶ顔が見たくて、求められるままに買い与えただけ。それが私の幸せだったから。


そう言えば、私の似顔絵を描いてくれたこともあったな。その絵も青が基調だったけど、微笑む私はとても幸せそうだった。ああ、私はこんな顔で笑ってるんだ、って。その絵を見れば見るほど、何だか泣きそうになっちゃった。おかしいでしょ、幸せなのに泣いちゃうなんて。今見ても、やっぱり泣いちゃうかも知れないな、多分ね。


でも、あなたが聞きたいのはその後の事よね。そう、あの夏。長い休暇をこの街で過ごすために来た、あのひと。真っ赤なワンピースとルージュがよく似合う、都会の女性だったわ。彼女が来てから、彼の絵は変わっていったの。
多分、彼よりも私の方が、先に気が付いていたと思う。だって、いつも私が買っていた青い絵の具が、余るようになっていたから。代わりに赤い絵の具が足りなくなって、何度も買ってあげたわ。本当は、そんな絵の具を買いたくなかったけれど……彼の頼みだもの、断れないじゃない。


その夏の終わり、彼はこの街を出て行ったの。その理由が「風の色を探しに行く」だって。私、笑っちゃいそうだったわ。別れたいならそう言えば良かったのに、良い人ぶって、辛そうな顔をして。もっと良い絵を描くために、一人でここを出ていきたいって言った。ここには青い風しか吹いていないけど、もっと違う色の風が吹く場所があるはずだって。でも、必ずいつか帰ってくるから、待ってて欲しいって。


だから、笑って見送ってあげたの。健気でしょ?彼の嘘を信じてあげた振りなんかして。
彼ね、嘘をつく時は私の目を見るの。特に、後ろめたい嘘の時ほど、必死で見つめるのよ。バカみたいに澄み切った目をしてね。
だから見送ってあげたの。赤い絵の具を沢山用意して、毒を仕込んだ青い絵の具も少し加えて、全部渡してあげた。私からのささやかな餞別。だって、もう彼はここには帰らないって、分かっていたもの。


青い絵の具を使えば使うほど、彼はその揮発性の毒を吸い込むでしょ?もしかしたら、赤いワンピースの女性も一緒かも知れないけど、まあ、彼が一人でも二人でもどっちでも良かったの。だって彼が言っていたのよ。私がいないと生きていけない、って。それを叶えてあげただけ。彼を嘘つきなままにはしたくなかったから。


で、あなたは私を捕まえに来たのよね?思ったより遅くて、待ちくたびれちゃった。ああ、そう!絵の具の毒が少なかったから、効き目が遅かったのね。やっぱり、赤い絵ばかり描いていたんだ。もっと沢山仕込めば良かったかしら。
え?どうして赤い絵の具に仕込まなかったのかって?嫌よ、そんなの。あの女の色で彼を殺すなんて。青はね、私と彼の絆の色なの。他の色じゃ駄目だったのよ。


さあ、行きましょうか。大丈夫、逃げたりなんかしないわよ。
ところであなた、私が出したコーヒーに手をつけなかったわね。毒なんて入っていなかったのに。私ね、捕まる事を怖いなんて思わない。それよりも、私の話を誰かに聞いて欲しかった。だって、純愛だったんだもの。青ざめるほど真っ直ぐな純愛。誰にも知られないなんて、淋しすぎるじゃない。
ああ、海の香りがする。今日も風が青いわね。そう思わない?
(完)


こんばんは。こちらに参加させていただきます。

本当は全然違う話を書きかけていたのですが、何だか違うストーリーにしたくなって、こちらを書いてみました。
小牧さん、お手数かけますがよろしくお願いします。
読んでくださった方、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!