【ショートストーリー】野ウサギの恋
月の声が聞こえた。
「今夜、いつもの場所で待ってる」
小さな野ウサギは、急いで丘の上に向かう。体は羽が生えたように軽いのに、それでも遅く感じてしまう。早く、早く行かなきゃ。月のウサギが待っているから。
丘の上には、シルエットのように黒いウサギが立っていた。満月を背に、野ウサギを優しく見つめている。体は普通のウサギよりも細身で、長すぎる耳は途中で折れ曲がり地面に届きそうだ。
野ウサギは丘の上に着くと、ドキドキしながら月のウサギの前に立つ。今日こそ、今日こそは。
(今夜は、月に連れて行ってくれますか)
野ウサギが心の中で問いかけると、月のウサギはゆっくりと首を横に振った。
「まだダメだよ。君は若くて元気いっぱいだ。もっとたくさん食べて遊んで、ウサギの命を燃やしてからじゃないとね」
野ウサギは肩を落とした。また次の満月まで待たなければいけないのか。こんなにも月のウサギに恋い焦がれているのに、まだ彼は私を連れて行ってはくれない。思わず涙ぐむ野ウサギに、月のウサギは優しく語りかけた。
「大丈夫、泣かないで。君がちゃんとウサギの命を全うしたら、必ず迎えに来るよ。だからそれまでは、しっかり生きて欲しい」
野ウサギはコクンと頷く。それを見て安心したように、月のウサギは月へ吸いこまれるように帰って行った。野ウサギはしばらく、満月に戻ってしまったウサギを見つめた後、丘を下りて柔らかい草を食べに走った。
野ウサギが初めて月のウサギを見たのは、ずいぶん前の満月の夜。近くに住んでいたお婆さんウサギが、必死になって丘に向かうのを見かけて、何となく後をつけてみたのだ。
そのお婆さんウサギは、もう速く走ることも、たくさん食べることも出来なくなっていた。若い頃はたくさん遊んで、食べて、子どもを産んだそうだが、幼い野ウサギには想像も出来ない。ただ静かに身の回りの草を食べ、一日中ゆっくりと過ごしているように見えた。狐やフクロウに見付からないよう気を付けながら、ひっそりと何かを待っているようなお婆さんウサギに、幼い野ウサギは興味を持つようになった。
(お婆さん、何を待っているんだろう)
聞いてもただ笑うだけで、何も答えてはくれず、野ウサギの好奇心は膨らむばかり。そんなある夜、野ウサギは見た。思うように動かない体で、ただ一心に丘を目指すお婆さんウサギを。息は荒く、体も重そうだったが、お婆さんウサギの顔は若々しく輝いていた。
(お婆さんのあんな顔、初めて見た……)
幼い野ウサギが上手に隠れながらついていくと、やがてお婆さんウサギは丘を上りきり、見たこともない黒いウサギの前に立った。満月を背に立つ黒いウサギは、これまで見たどんなウサギよりも神々しく、美しかった。お婆さんウサギは期待と不安の入り混じった目で黒いウサギを見つめながら、心で問いかける。
(今夜は、月に連れて行ってくれますか)
黒いウサギが優しく微笑んで頷くと、お婆さんウサギの顔はパアッと少女のように輝き、瞳からはポロポロと涙がこぼれた。
「よく頑張ったね。さあ、一緒に行こう」
(はい……!)
黒いウサギとお婆さんウサギが寄り添うと、月から光の道が伸びてきた。その道に二人が足を踏み入れると、光の道は二人を包みこみ、ゆっくりと月へと上っていく。最後に見たお婆さんウサギは、若い娘ウサギのように幸せそうで、美しかった。
それ以来、幼い野ウサギには、月の声が聞こえるようになった。満月が近くなると、
「あと五日」
「あと四日」
と、残り日数を告げ始める。そして晴れた満月の夜には、
「今夜、いつもの場所で待ってる」
と声が聞こえるのだ。その声に惹かれるように丘の上に向かうと、月のウサギが待っていた。近くで見る月のウサギは、更に神々しく美しい。思わず、若い野ウサギはお婆さんの真似をして言ってしまった。
(今夜は、月に連れて行ってくれますか)
月のウサギは苦笑するように、すぐに首を横に振る。
「ダメだよ。君は若すぎる」
ガッカリする野ウサギに微笑みかけ、月のウサギは優しく言った。
「君がウサギとして一生懸命生きたら、必ず迎えに来るからね」
野ウサギはコクンと頷く。こうしたやり取りを繰り返しながら、いつしか野ウサギは満月の夜を待ち焦がれるようになっていった。
それからたくさんの満月の夜が過ぎた。月のウサギの言う通り、たくさん食べて、たくさん走って、たくさん遊んで、たくさん子どもも産んだ。それが野ウサギの役目だと思ったから。そうするうちに、若かった野ウサギは、いつしかお婆さんウサギになっていた。体は重く、食欲もあまりない。それでも次の満月まで生きながらえようと、天敵から隠れつつ、ひっそりと暮らしている。
(ねえ、たまに夜にお出かけするときって、どこに行ってるの)
ある日、近くに住む幼いウサギが聞いてきたが、野ウサギは笑って答えない。聞かなくてもいずれ分かるはずよ、あなたが選ばれたウサギなら。野ウサギはそう思っていた。
それから何日かして、待ちに待った満月の夜。今日も声が聞こえた。
「今夜、いつもの場所で待ってる」
野ウサギは喜んで丘に向かう。昔のように軽やかに駆けることは出来なくても、一歩一歩、ただ一心に丘を上り続ける。近くに住む幼い野ウサギがこっそり後をつけていることは知っていたが、野ウサギは振り返らず、また何も言わなかった。
やがて丘を上りきり、月のウサギの前に到着すると、期待に胸を震わせて聞いた。
(今夜は、月に連れて行ってくれますか)
月のウサギは優しく頷く。ああ、やっと……!野ウサギの小さな胸は、喜びで弾けそうになった。
いつか見たお婆さんウサギのように、月のウサギと寄り添って立つ。すると月から光の道が伸びてきて、二人を暖かく包んでくれた。もう何も怖くない。体は羽が生えたように軽くなり、月のウサギと二人、ゆっくりと月へと上っていく……。
翌朝、年老いた野ウサギは、丘の上で冷たくなっていた。けれどその顔は、少女のように若々しく幸せそうだった。
(完)
こんばんは。こちらに参加させていただきます。
月と言えばウサギ、という私の発想……。なので、ウサギに片思いして貰いました。
ナルさん、お手数かけますがよろしくお願いいたします。いつも私がキュンキュンしそうなコメントをくださって、本当に嬉しいのですが、どうかどうか無理はなさらないでくださいね。
読んでくださった方、いつも感謝しています。本当にありがとうございます!
