〔短編小説〕嗅覚(本編2)
マサヤが目覚めたのは、もう昼前だった。昨夜の疲れがまだ色濃く残り、全身が重く頭もハッキリしない。それでもコーヒーの香りに釣られるように、ゆるゆると起き上がると、寝室を出てキッチンに向かう。
「お、目が覚めたか」
コーヒーを入れていたアキトが振り返ったが、マサヤの顔を見て眉をひそめる。
「昨日は相当疲れたみたいだな。まだ顔色が悪いぞ」
「ああ…また失敗してしまったし…あの親子の助けにはなれなかった」
ダイニングの椅子に腰掛けながら、小さく呟くマサヤの脳裏に、昨夜の光景がまざまざと甦る。絶対にあの親子の力になろうと、心に誓って臨んだのに、結局はあの家から追い出すような形になってしまった。
「僕にもっと力があったら、あんな結果にはならなかったはずだよな。もう、こんなこと、やめた方が良いのかもな」
「マサヤ…」
二人分のコーヒーをテーブルに置きながら、アキトが慰めるように言う。
「マサヤは悪くないって!あの親子は、どの道あそこには住めなかったんだ。それが少し早まっただけだし、引っ越し費用やウィークリーマンションの費用はこっちが持つんだから、かえってラッキーだったかも知れないぜ」
「とてもそんな風には思えないよ!」
マサヤが少し声を荒らげた。アキトはハッとしたように頭を下げる。
「そうだよな、ゴメン。無神経な言い方だった」
素直に謝られ、マサヤもすぐに冷静さを取り戻した。
「いや、こっちこそゴメン。上手くいかなかったからって、八つ当たりしてるだけだよな」
向かい合って座ったアキトと二人、しばし無言でコーヒーを飲む。
マサヤとアキトはいとこ同士だ。アキトの両親が事故で亡くなり、マサヤの両親がアキトを引き取ったのは、まだ二人とも小学校低学年の頃だった。マサヤは一人っ子だったので、1つ年上のアキトを兄のように慕い、両親も二人を兄弟のように分け隔て無く育てた。
二人が何に興味を持っても、両親は無闇に止めたりはしなかった。ただ、大学生になったアキトが心霊や廃墟に興味を持ち、その影響で高校生だったマサヤも同行して配信を始めると、初めて待ったをかけた。
「お前たちが興味を持つのは自由だが、心霊現象というのは亡くなった人の想いが残っているということじゃないのか?面白半分に踏み込んだり、ましてや、それを配信したりするのは、父さんは賛成できない」
「母さんもそう思う。それにマサヤはまだ高校生、しかも受験生でしょ。まずは今やるべきことを、ちゃんとして欲しい」
こう言われては仕方がない。二人は人気が出始めていた配信を諦めた。
その後、マサヤも無事に大学合格。大学生になって自由を手に入れると、また二人の興味が再燃した。だが父親の手前、廃墟や心霊スポットを訪れることも、それを配信して小遣い稼ぎをすることも叶わない。二人は他人の配信を見て、自分たちならこうするとか、こうした方が面白いのにとか、アイデアだけを出し合う日々を送っていた。もっとも、アキトに関しては、配信こそしていないものの、こっそり一人でそういう場所を訪れては、カメラを回していたようだが。
そんなある日。マサヤとアキトは二人で小遣いを出し合い、丘の上の小洒落たレストランを予約した。両親に、そこのディナーをプレゼントしたのだ。その日は二人の結婚記念日だった。
「これ以上のプレゼントはないよ」
「本当に。二人とも、ありがとう!」
両親はとても喜び、お洒落をして出かけた。だが、とっくに食事が終わる時刻は過ぎたのに、なかなか帰って来ない。どこかに夜景でも見に行ったのかと考えていた時、家の電話が鳴った。マサヤが出てみると、それは警察からだった。
「ご両親が乗った車がガードレールに激突し、救急車で運ばれましたが残念ながら…。確認に来ていただけますか」
事故原因は、ハンドル操作ミスではないかと言われた。いつも運転には慎重だった父親が…と釈然としなかったが、目撃者もなく、詳しいことは分からないままだ。
そこからの数日間のことは、ショックが大きすぎて記憶に靄がかかったようになっている。ただ、気が付くと、マサヤの家族はアキトだけになっていた。保険金があったので、大学には変わらず通えたし、暮らしに困ることもなかったが、喪失感だけはどうしようも無かった。あんなプレゼントをしなければ…という後悔が、何度も何度も押し寄せる。
その淋しさと罪悪感から逃れるように、二人は興味を持っていた動画配信を再び行うようになり、段々とのめり込んで行った。今はもう止める父親はいない上、二人の動画は人気が出て、ある程度の収入も得られるようになった。同時に、様々な依頼も舞い込むようになっていた。
「なあ、マサヤ。また家絡みの依頼が来てるんだけど、どうする?しばらく断ろうか?」
コーヒーを飲み終わったところで、アキトが問う。
「…家絡みって、どんな」
「大学生の兄と、高校生の妹からの依頼。両親が亡くなってから、家の中で物音や声がするって。もし、亡くなった両親が何か言いたいことがあるなら、聞きたいそうだ」
今度は悪霊では無さそうだ。だが、もしまた失敗したら、兄妹をガッカリさせてしまうかも知れない。また、事態を悪化させてしまったら…。返事を躊躇っていると、
「マサヤ、やっぱり断ろう。悪かったな、体調も戻らないときにこんな話」
考え込むマサヤにアキトが言う。が、マサヤは更に少し考えてから首を振った。
「いや、やろう。今度こそ役に立ちたいんだ」
心配するアキトに、無理して微笑んでみせる。大丈夫、今度こそ上手くやれるはずだ。
(本編3へ続く)
