「戻るな」というルールはあった。それでも人は館内へ戻った――イオンモール熊本、従業員7人死亡の爆発事故で明らかになった「一時入館を認めた」という事実をどう考えるべきか――安全とは、ルールを作ることなのか、守れる状況を作ることなのか
人が危険から逃げたあと、その人の心には、まだ「日常」が残っています。
財布を置いてきた。携帯電話がない。車の鍵が見つからない。仕事の途中だった。帰るためには、館内へ戻らなければならない。
そんな、ごく小さな理由です。
でも災害の怖さは、巨大な揺れそのものだけではないのかもしれません。逃げたあとに「少しだけ戻る」という、ごく普通の感覚が、危険の入口になることがあります。
今回のイオンモール熊本の事故で、私が引っかかったのも、まさにそこでした。
まず、確認できた事実を整理します。
イオンモール熊本では、地震後に客と従業員の避難誘導が行われました。避難後は館内に戻らないという社内ルールがあり、イオン側は当初、再入館を認めるアナウンスはしていなかったと説明していました。
ところが、その後の調査で、イオンは、避難した従業員について「一時入館を認めた事実があった」と発表しました。つまり、全員に対して「戻ってください」と案内したわけではない。しかし、現場では個別に館内へ戻ることを認めたケースが存在した、ということです。
ここは、言葉の違いだけで流してはいけない部分だと思います。
「再入館を促した」のと「再入館を認めた」のでは意味が違う。
けれど、「戻るな」というルールが存在する一方で、実際には戻ることを認める判断も存在した。
この2つが同じ現場にあった。
みんな、気づいているでしょうか?
問題は、戻った人を単純に責めることではありません。
人は、災害の瞬間であっても、完全に日常を捨てられるわけではないからです。
車の鍵が必要になる。
携帯電話が必要になる。
仕事上の処理が頭をよぎる。
家族と連絡を取りたい。
そういう事情は、災害マニュアルの外側から突然やってきます。
だからこそ、「避難後は戻らない」という規則だけでは、人間の行動を充分に縛れない可能性があります。
そして今回、従業員7人が死亡したという事実があります。事故との個々の因果関係については、現段階で外部から断定できません。爆発の原因についても調査が続いており、ここに推測を重ねることは避けなければなりません。
ただ、確認された事実だけでも、ひとつの問題は浮かび上がります。
避難させることと、避難した人を危険な場所へ戻さないことは、同じではない。
前者が成功していても、後者に判断の余地が残っていれば、そこから別の危険が入り込む。
しかも、その判断をするのは、冷静な会議室にいる人ではありません。
地震直後の混乱の中にいる、普通の人です。
だから安全というものは、「正しい判断をしてください」と人に委ねるだけでは足りないのだと思います。
戻りたい事情が生まれたとき、それでも戻らなくて済む仕組みがあるのか。
現場の誰かが迷ったとき、その迷いを止める明確な線があるのか。
今回の事故から私たちが見るべきなのは、そこなのではないでしょうか。
事故が起きたあとなら、答えは簡単です。
「あのとき戻らなければよかった」。
でも、その瞬間にいる人には、その先に爆発が待っていることなど分かりません。
だからこそ、安全対策は、完璧な判断をする人間を想定するのではなく、迷う人間、忘れ物をする人間、帰りたい人間、仕事が気になってしまう人間を最初から想定しておく必要があります。
亡くなった7人の命を前にして、私たちが拾い上げるべきなのは、誰かを責めるための一言ではない。
避難したあと、なぜ人は戻るのか。
戻りたくなったとき、誰がその人を止められるのか。
そして、その「止める」という行為を、個人の勇気ではなく仕組みにできるのか。
大きな災害の記憶は、派手な映像として残ります。
けれど、人の命を分けるのは、ときにもっと小さい。
「ちょっと戻る」という、あまりにも日常的な気持ちなのかもしれません。
その小さな気持ちを、次の災害では危険に変えない。
事故のあとに残された問いは、そこに静かに立っているように思います。
参考情報:【速報】イオン「避難後、一時入館を認めた事実があった」 従業員7人死亡のイオンモール熊本爆発事故めぐり(RKK熊本放送)(RKK熊本放送)
掲載:Yahoo!ニュース
