ねこが落ちる件 from 「猫がすること。」
言葉というものは、
見知らぬ場所で同時発生すると思う。
私は学生時代実家住みで、2時間近くかけて大学に通っていた。
帰宅困難になったときは一人暮らしの友人宅をよく渡り歩いていて、
そのためにいつも荷物のなかに入れていた1泊分の支度を「お泊まりセット」と呼んだ。
自分で言い出した。
ところがみんな言っていた。
「猫ズ」もそうだ。
猫が複数いるから、猫ズ。
これも自分で言い出したつもりだけど、
みんな言っている。
どこかで見て無意識に頭に刷り込まれているのかもしれない。
でもたしかに自分で作った言葉の気でいる。
「猫が落ちている」も同じく。
ぽてん、ぽてん、とぷんぷん(妹)が転がっているさまが、
さも「落ちている」という風情だったので言い出した。
ブんブん(兄)には使わない。
先代のクゥにも多分使ってない。
しかし、これもすでに公用語に等しい。

人は、ある程度同じ感覚を持っていて同じ発想をするのだと思う。
1匹のサルがイモを洗い出すと、
いつしか遠く離れた場所のサルまでもが洗い出すという、アレだ(かな?)。
そんなわけで「猫がすること。」第2話の
「猫がたびたび落ちていることは猫と暮らす人ならみんな知っている」
という冒頭につながる。

さっきも書いたし
「猫がすること。」にも書いたけど、
ブんブんがいくらへそ天をしていても、
なぜか「落ちている」という感じがしない。
ぽてん、というよりドデン。
ころん、というよりゴロン。
そのあたりの重量感、
そして筋肉質のゴツゴツ感が、
いくら手をキョンシー(古い)のようにして上目遣いでぶりっ子をしても、
ぷんぷんのぷりぷりころころした落ちっぷりに
到底及ばないのは仕方がない。
でもブんブんにはブんブんのかわいさと、
わたしとの関係性があるからそれでいいのだ。
それでいいのだよ、ブんブん。
いくらでもモフモフさせてくれるキミの大きな胸におかーさんはいつも助けられているのだよ。


ぷりぷり転がっているぷんぷんは、
鑑賞しかできない。
彼女は「人の顔」が嫌いゆえ、
モフモフを受け入れてはくれない。
全くできない訳ではない。
寝ているところを目があわないよう
後ろからそっと顔をうずめることはできる。
でも、そのあと必ず「不本意です」といった顔で体勢を整える。
ひどいときは解放した途端逃げ出してしまう。
だからわたしは、
ぷんぷんとはいまだ猫チューもできないままだ。
落ちているとき、顔は正面を向いているので、
こっそりモフモフは狙えない。
だからぷんぷんの「落ち」はあくまでも観賞用。
彼女はとても気位の高いレディなのだ。

ぷんぷんは、わたしのことおかーさんと認めてくれてるのかな。
愛情MAXの犬みたいなブんブんとは違い、
どこか最後の心の扉を開いてくれてないような寂しさをぷんぷんには感じている。
それなのに。ああそれなのに。
わたしが部屋を移動するたびに、
すこし遅れてついてきて、必ずそばで眠り出す。
撫でてちょうだいとねだる。
トイレをするときは
そばで見ててくれと呼びつける。
抱っこすれば全身全霊で体を預けてくる。
わたしのことを、じっと見つめる。
あれ?ぷんぷんもしかして
おかーさんのこと大好きじゃない?
最近そんな自信がようやくついてきた。
これからは母として、
きっちり爪も切らせてもらう。

「猫がすること。」
猫との小さな暮らしを描いた
コミックエッセイです。
第二話 ねこが外を見る はこちらから。
