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#44 政党という老朽インフラの耐用年数と、未整備の公共広場

対象: 政党に不信感があり選べない人
概要: 存在意義を失っているシステムを切り替え
    デジタルな直接民主主義を考える話

私は政治の専門家ではない。インフラの劣化と向き合う仕事をしている。

政治に対する「コレジャナイ感」は、年々増している。その背景には、政治が「説得・合意形成」よりも、「反応率最適化(誰かを怒らせることで伸ばす)」を優先するマーケティング的手法を強めてきた構造変化があるように見える。

選挙のたびに「投票したい候補がいない」と嘆くのが恒例行事になったが、これは果たして候補者の品質問題なのだろうか。

インフラ管理の現場にいる人間として、不具合がこれほど頻発するときにまず疑うのは、個々の部品ではない。部品より大きな構造が、設計時に想定した条件を超えて使用されていないかだ。

大きな構造、すなわち「政党」というインフラの構造疲労と、その足元にある致命的な「用地問題」を、技術者の視点から分解してみたい。

物流拠点としての政党の合理性

この先の論理展開は思想や善悪を指弾する話ではない。政治をインフラとして見たときの「構造的合理性」の話だ。そもそも、なぜ「政党」は必要だったのか。

これは思想の問題以前に、輸送コストと集約処理能力の物理的限界に起因している。インターネットが存在しなかった時代、数千万の国民の声(荷物)を、個別に国会(届け先)へ運ぶことは不可能だった。

道路は細く、通信は遅い。だからこそ、地域ごとに荷物を集め、「保守便」「革新便」といった大きなトラックに積み替え、一括輸送する必要があった。

これが政党の原型であり、「民意の集約配送センター」としての機能だ。要望をある程度パッケージ化し、輸送効率を上げる。当時のインフラ条件において、これは極めて合理的な物流システムだったのだろう。

代議士という代理性の形骸化

しかし21世紀に入り、前提条件は激変した。通信網の発達により、技術的には、国民一人ひとりが直接声を届ける「ドローン配送」は可能になった。ただし、それを安全に飛ばすためのルール整備は、まだ追いついていない。

ゆえに我々は、空気を運ぶような巨大トラック(政党)を維持し続けている。その歪みが最も顕在化しているのが、「代議士」という存在だ。

本来、代議士とは

・ 現場(選挙区)を熟知し
・中央の設計思想と現地の状況をすり合わせ
・必要なら現場判断で調整する

現場「代理」人であるはずだった。

しかし現実には、「党議拘束」という強力なインターロックが個人判断を封じ、代議士は中央制御室の指示で動くだけの遠隔操作バルブと化している。緊急時に現場で開閉できないバルブは、設備としてはリスクでしかない。もちろん、例外的に現場判断を貫く代議士もいる。
だが、構造としては個人の裁量が発揮しにくい設計になっていることは、概ねの合意が得られるだろう。

さらに、公認権と資金という生殺与奪の権を党が握る以上、彼らの第一の発注者、すなわち奉仕すべき対象は国民ではなく党になる。「代議士」という名称と実態の乖離は、もはやフェイルセーフが効かない構造欠陥と言ってよい。

私有地で行われる国会

では「ネットで直接民主制をやればいい」のか。ここで、避けて通れない用地問題を指摘したい。我々が日常的に政治議論を行っているXやFacebook、そしてこのnoteも例外ではなく、Web言論空間は公共の道路や広場ではない。巨大IT企業が所有する私有地、いわばショッピングモールだ。

モールの設計思想は明確である。民主的合意形成ではなく、滞在時間と広告収益の最大化。そのため、冷静な議論よりも、炎上や対立を誘発する動線設計(アルゴリズム)が採用される。

インフラ屋の感覚で言えば、「国の都市計画決定を、騒音の満ちたパチンコ屋の店内で行っている」ようなものだ。技術的に可能であることと、適切な場所で行われていることは大きく異なるのである。

デジタル空間のインフラ整備

賞味期限を過ぎた政党は、制度疲労を起こしている。一方で、私企業のモールに国家機能を依存するのも危険だ。必要なのは、その間をつなぐデジタル公共インフラの整備である。

最低限、以下の条件が必要になる。

透明性:ソースコードを誰でも検証できる
本人確認:なりすましや不正通行を防ぐ
公共性:特定企業の都合で閉鎖・改変されない

これは既存の代議制を即座に置き換えるものではない。まずは、劣化した政党システムを補完し、現場と中央をつなぐ新しいパイプラインとして整備されるべきものだ。

これから

我々はいつまで、老朽化して剥落が始まった「政党」という橋を、文句を言いながら渡り続けるのだろうか。

インフラ技術者として思う。

危険だと分かっている構造物を、惰性で使い続けるフェーズはもう終わったはずだ。老朽化したインフラを無理矢理使い続けるのはライフサイクルコストの面でも合理性がない。次に求めるべきは、特定の政治家や政党への支持ではない。自分たちの意思を、安全に、歪めずに運べる新しい公共インフラだ。

延命化が難しい施設をなんとか動かす努力は尊い、だが虚しい。壊れた橋を修理するより、新しいパイプラインを一本引くほうが、結局は近道なのかもしれない。その公共インフラを誰が設計し、誰が管理し、誰が監査するのか。その議論を始める場所だけは、もう用意できるはずだ。

私は、その方向性を語ろうとする人を支持したい。


本記事は政党の劣化、言論の私有地問題、マーケティング政治、デジタル民主主義等に関する既存の議論を踏まえて、インフラシステムとの類似性を切り口に私なりに再構築したものです。特定の政治思想や制度設計を、直接的に主張するものではありません。


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