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#109 法則は例外の寄せ集めでできている

対象: ついつい答えを探して迷う人
概要: 世界は例外に溢れていて
    法則は例外の包絡線に過ぎないという話

世の中、検索やAIに聞いてみれば大抵の答えは出てくる。自分が今ぶつかっている壁も、歴史を紐解けばどこかで誰かが乗り越えた、あるいは跳ね返された跡が必ず見つかるものだ。それはある種の絶望であり、同時に苦労しているのは自分だけではないという救いでもある。

しかし不思議なのは、これほど溢れている様々な事例が、そのまま自分のケースで役立つことは驚くほど少ないという事実だ。現場を歩けば痛感する。設計の考え方は同じでも、運営の基本方針も予算も要求水準も、そして関わる人間も、その熱量も、一つとして同じ現場はない。

だから他人の成功体験をそのまま自分の環境に当てはめるのは、サイズの合わない靴を履いて走るようなものになる。ひどい靴擦れを覚悟するか、せいぜい1 km地点から先は素足で走る覚悟を決めるしかない。

それなのに、なぜ人は歴史を、過去を、そして事例を探し続けるのか。歴史を紐解くことは、答えをコピーするためではなく、自分の現在地を相対化するためのベンチマーク杭が必要だからではないかと私は思う。他人の過去の事例という固定点を置くことで初めて、自分のケースがいかに特殊か浮き彫りになる。比較対象があって初めて、自分の輪郭がはっきりしてくる。

「同じ問いでも、解く人間とタイミングが違えば、導き出される答えは別物になる。」

この適当な因果が成立するからこそ、世の中は面白い。事例を眺めて「ふむ、参考にならないな」と確信したとき、私たちはようやく、その事例を基準点として、自分の思考を書き始める始点をエイヤっと決められる。

結局のところ法則とは、無数の例外をなだらかに繋いだ包絡線に過ぎない。なぜなら、完全に同じ条件が揃う現場はふたつと存在しない。つまり事例はすべて例外であり、法則とはその例外の寄せ集めに人間が後からつけた名前だ。

だとすれば、自分だけが成立する式の境界条件を整え、現実を変数に代入することは、特別な孤独でも贅沢でも例外的な手段でもない。それは、人間が答えを求めるための、唯一のアプローチなのだ。


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