#89 〜ものとする
業務上、契約書をチェックする機会が多い。昨日も、とある契約書をザッと斜め読みしながらふと思う。語尾についている「〜ものとする」って何なのだろうか。契約書や仕様書という、無機質な紙の上にだけやたらに生息する不思議な言葉だ。
一度気になりだすと、その執拗なまでの登場回数に、「これ、もっと短く表現できるんじゃないか?」「過剰な言い回しじゃない?」という合理性を尊ぶ技術者特有の衝動が疼き始める。
所以を調べると、この言葉のルーツは、明治時代の先人たちが英語の 「shall be」 を日本語に落とし込もうとした試行錯誤にあるようだ。
当時の翻訳者たちは悩んだのだろう。英語の shallの意味には、単なる未来や義務を超えた「そうあることが神の意思である」という背景が暗黙で含まれている。
それゆえに、単に「〜である」と訳せばただの報告になり、「〜しなければならない」と訳せば命令になってしまい意味がズレてくる。そこで生み出されたのが、「もの(物=道理・不変の事実)」と「する(意志的な処理)」を繋げた「ものとする」という中間的な言葉の発明だった。
「まだそうなっていないかもしれないが、今この瞬間から、この文書の上ではこれを『動かぬ事実』として扱うぞ」という、人間の強力な意志による宣言。それが「ものとする」の正体だ。
ただし、ここで少し立ち止まる必要がある。「〜ものとする」には別の顔もある。それは一定範囲を包含し、契約書が例外処理で溢れないようにするための機能だ。
現実の世界は、スパスパと切り分けられるわけもなく、例外だらけだ。それをそのまま社会というシステムに持ち込むと、都度の例外処理が発生してフローは止まる。そこで私たちは「〜ものとする」という言葉のフィルタを使って、一定範囲の現実を包含し「既定の事実」へと変換して扱う。
「本契約における通知は、相手方の住所に到達した時に完了したものとする」
現実には、ポストに届いていても相手が読んでいないかもしれない。しかし、そんな例外をいちいち追いかけていては、ビジネスというシステムは進まない。だから「ものとする」という関数を使って、現実の曖昧さを強制的に切り捨て、ポストに着いた後は気にせず「通知完了」という型に変換してしまう。これは、複雑な世界を動かすための、高度な知恵だ。
しかし、なるべくシンプルにするのが信条の私は、こうも思う。「AはBとする」で十分ではないか?と。
とはいえ、その短絡には穴がある。「AはBである」と言い切ってしまえば、現実がそこから1ミリでもズレた瞬間に、その記述は「嘘」になる。「〜ものとする」と書くとき、私たちは無意識に「現実がどうあれ、このシステム上ではこう定義するからね」というエクスキューズを挟んでいる。
直接言い切る勇気がないときの、あるいは責任の所在を少しだけ曖昧にしたいときの、書き手の臆病さを表現するクッション。この一見不要な「もの」という二文字には、そういう心理が宿っている。
つまり「〜ものとする」には、二つの相反する力学が同居している。一方は「知恵」としての性質、現実の混沌を強引に秩序へ変換する、必要に迫られた設計者の傲慢な宣言。もう一方は「言い訳」としての性質、直接言い切ることを避け、逃げ道をそっと残す、日本的な慎ましさ。
次にあなたが契約書でこの言葉に出会ったら、それは「必要な定義」なのか、それとも「書き手の慎重さ」なのか。意地悪な視点で眺めるといい。そこには、世界を多少強引に型にはめようとする大胆さと、直接言い切ることを避ける慎ましさが、きっと同居しているはずだ。
