#42 詳細は協議によるものとする。
我が家という組織は、二つの異なる工種が組む「異業種JV(共同企業体)」のようなものかもしれない。私は、「物理的なインフラ」を管理する技術者で、妻は、「人間というインフラ」を最前線で育む教員だ。
お互いに、止まると社会が困る現場を背負い、一日のリソースを使い果たして帰宅する。夕食後のリビングは、いわば「二人の監理技術者」が行う、工程調整会議のようなものだ。
自動で正論が出る仕組み
そんな会議の場で、妻がポツリと漏らす。
「今日、あり得ないことがあって……」
その瞬間、私のエンジニアとしての職業病が発動してしまう。総監技術士として20年。私の脳は「不具合の報告」を聞くと、自動的に原因を分析し、不足する諸条件を経験で仮定しつつ、トレードオフを調整した最適解を導き出すよう、魔改造されてしまっている。
そんな自動化されたアウトプットとして、良かれと思って提出した、完璧な「事故原因調査」と「改善計画」。しかし、妻の表情は晴れるどころか、リビングの空気は保存則を無視して一瞬にしてエネルギーを失い、分子の熱運動が停止したかのように凍りつく。
その刹那、私は自分が誤っていたことに気づいた。
詰めきれなかった「特記仕様書」
彼女は、解決不能な不条理を抱えながらも、それでも現場を回し続けなければならないという、逃げ場のない維持管理を担っている。不具合を一つずつ是正しなければ次工程へ進めない私の仕事とは、そもそもの設計思想からして異なるのだ。
具体的な手順書などは示されず、極めて抽象的な「性能規定」だけで成立している現場。その凄絶さを、私はエンジニアとしての傲慢さゆえに、どこかで軽視していたのだと思う。
技術者が最も恐れる言葉に、特記仕様書の末尾にある、「詳細は監督職員と協議によるものとする」という一文がある。これは、「現時点では何も決めていないから、あとで現場が良い感じに提案して処理しろ」という、リスクの塊だ。
妻の「話を聞いて」という言葉も、まさにこの「詳細は協議」に近かった。彼女が求めていたのは、抜本的な設計変更ではない。教育という、配合も硬化時間も予測不能な「感情の生コン」を毎日手練りしている彼女には、一日の終わりに、心に溜まった残渣を逃がすための「フラッシング(洗浄)」のプロセスが必要だったのだ。
そこに「正論」という名の、減水剤をいくらか添加しようが、ワーカビリティは大して向上しなかったのである。これは性差の話ではない。協議によらずとも、背景を踏まえれば当然の仕様を読み切れなかった、私自身の技術的判断ミスの話である。
緩衝材としての「フレキ」
プラント設備には、熱延びや地震などの揺れを逃がし、全体を守るための「フレキ」という部品がある。
「そうだね、理不尽だね」
この言葉には、構造的な強度は何もない。しかし、これこそが歪みや振動をしなやかに吸収し、家庭というインフラを明日もダウンさせないための、緩衝材として機能する。
明日も社会を止めないために
私の作業手順書に「共感」という手順は記されてこなかった。けれど、妻の仕事が成立、継続するための「余白」を守ることは、どんな難工事の完遂よりも価値がある。
「そんなことを言われましても」という言葉を飲み込み、私は今日も言葉や行動でフレキを各所に追加する。インフラ屋としてのプライドは脇に置いて、教員として戦う彼女の「バックアップ系」として稼働する。
それが、この家という名の最小単位の社会インフラを、
明日も止めないための、今の最適解なのだ。
ただし、妻は多くを語らない。
だから私は、何が正解だったのかを、いまだに確信できていないことも添えておく。
