“誰よりも幸せになりたい”と思ったけれど
「誰よりも幸せになりたい」
そう思ったとき、
少しだけ引っかかりがありました。
“誰よりも”って、
幸せは比べるものなんだろうか。
お金や出世は、分かりやすい。
上には上がいて、下には下がいる。
数字や肩書きで、なんとなく並べられる。
でも、幸せはどうだろう。
同じ景色を見ても、
きれいだと思う人もいれば、何も感じない人もいる。
同じ一日でも、
満たされる人もいれば、空っぽに感じる人もいる。
そう考えると、
幸せはどこかで比べられるものではなくて、
もっと内側にあるものなのかもしれない。
それなのに、どうしてぼくは
「誰よりも」なんて言葉を使ったんだろう。
たぶんそれは、
ずっと“比べる世界”で生きてきたからだと思う。
周りより上か、下か。
評価されているか、されていないか。
うまくいっているか、いっていないか。
気づかないうちに、
いつもどこかで比べていた。
だから、幸せを願うときでさえ、
その癖が抜けなかったのかもしれない。
でも、少しだけ分かってきた。
ぼくが本当に求めていたのは、
“誰かより上にある幸せ”じゃなくて、
「ちゃんと満たされている」と感じられることだった。
それはきっと、
外から与えられるものではなくて、
自分の中で気づいていくもの。
忙しさの中で見落としていたり、
当たり前すぎて通り過ぎていたりするもの。
たとえば、
湯気の立つコーヒーをひとくち飲んだときのほっとする感覚や、
窓から差し込むやわらかな光に、ふと気持ちがゆるむ瞬間、
朝4時から挨拶を交わす小鳥の鳴き声に、
登校する子どもたちの「いってきます」や「おはよう」が、通りに明るく広がっていく光景
どこかほっとする、入浴剤やせっけんのやわらかな香り
ご飯をゆっくりと味わう時間
そんな小さな感覚の中に、
もうすでにあるのかもしれない。
だから今は、こう思うようになりました。
「誰よりも幸せになりたい」と思ったあの日の言葉は、
間違っていなかったけれど、
その意味は、少し違っていた。
誰かと比べて一番になることじゃなくて、
自分の中で、ちゃんと感じられること。
それが、ぼくにとっての“幸せ”なんだと思う。
もしこの世界が、
誰かと競い合う場所ではなくて、
それぞれが自分の幸せを見つけていく場所だったら。
そしてみなさんと、1年後に幸せNo. 1競争ができたら。
結局比べられないですし、自分が幸せなら、はなまるですけどねー🐈
そんなことを、考えてみました。
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