『spice-mixture』
ディストーションにファズを重ね、コーラスを掛ける。
それをフェイザーで揺らし、ディレイで増幅させる。
必死に探していたあの音も、今じゃコンピューターが一瞬で作ってしまう。
ディレイが好きだったあいつは、今頃どこかでライブでもやってるんだろうか。
「ちょっと待ってろ。ディレイ買ったらヤバい曲できるから」
本当に買った次の週には、また別のヤバい音を鳴らしていた。
スタジオに篭ってひとつの曲のアレンジを一晩中ああでもないこうでもないと言い争ったその翌朝。そのままバイトに行くおれに
「スタジオオールでそのままバイトってか?よく行くよな」
「お前はコンビニバイト3日で吐いたもんな」
「無理無理。バイトしなきゃ死ぬなら死ぬよ」
互いに売れないバンドマン。こんなこと言ってるこいつだってバイトぐらいはしている。ただ、生きる為に必要な分だけ。
音楽以外のことするだけで嘔吐してしまうような脆いやつ。それが今や世界を股にかける音楽家。
今のあいつの活動状況なんてSNSやらホームページ見ればすぐにわかる。
でも…‥そのサイトもSNSも、おれには開くことが出来ない。
音楽をやめてからもう数年。
今のおれは、音楽とはまるで無縁の会社で働いている。
働けてしまっている……。
東京を離れ定職を持つ中で、様々な理由でやむを得ない転職をすることはあった。
その時は勤め先企業が倒産するかしないかの宙ぶらりん状態。会社に見切りをつけ転職を決めていたおれは、次の職を探しながら深夜バイトを始めた。
コンベアで流れてきた食品を仕分ける単純作業。広い工場で人員はそこそこいた。
深夜の工場バイトは、機械が止まると同時に全員が一斉に休憩へ入る。
仲の良い者同士で固まって談笑する連中を横目に、おれは少し離れた席でスマホをいじるか、そのまま寝たふりをしていた。
こういう場所には、こういう場所特有の空気がある。
誰と仲が良いとか、誰と誰が揉めてるだとか。面倒臭い。
ふと顔を上げると、少し離れた場所に、おれと同じように一人で座っているやつがいた。
イヤホンを耳に突っ込み、誰とも話さず、ただぼんやりと缶コーヒーを飲んでいる。
その感じが少し気になった。
皆んなが固まって談笑する中、そいつだけがおれと同じように少し離れた席で休憩を取っている。
いや、気になったのはそこじゃない。
あいつのイヤホンから、一体どんな音が鳴っているのか。
そっちの方だった。
そんなある日、コンベア作業がこいつと隣同士になった。
周りの連中は、隣同士で雑談しながら作業している。
休憩室で固まっている連中も、きっとこういうところから仲良くなっていったんだろう。
でも、おれとこいつは一切喋らない。
ある日の休憩室。
この日も休憩室は人がいっぱいだった。
空いてる席を探すと、あいつの座る席の隣がひとつ二つ空いていた。
ひと席間を開けながらその席に座り、机に顔をうずめ、寝たふりをしていると、そいつのイヤホンから微かに漏れるノイズ混じりのギターが耳に入った。
思わず顔を上げる。
じっとイヤホンの方を見ていたからだろうか。
そいつがこちらに気付き、片耳だけイヤホンを外した。
「……あ、うるさかったですか?」
「いや、その曲……マイブラ?」
「え?……ふふ。違いますよ。」
「あ、違ったか。」
「でもそっち系は好きです。90年代とか。グランジも結構聴いてました」
まさかこんな場所でマイブラなんて名前を聞くとは思わなかったのか、そいつは少し笑った。
おれの人生を変えたと言っても過言ではないマイブラの音を聴き間違えたのは、やや不甲斐なかったが。
まあ、ともあれ。
そんなくだらないきっかけから、おれ達は少しずつ話すようになった。
後々聞けば年齢も同じ。
あのイヤホンも、もちろん音楽を聴く為のものだった。
でもあいつ曰く、話しかけられない為の道具でもあったらしい。
音楽が好きなのはわかっていた。
そのイヤホン、それと軟骨のピアスを見た時から。
そして……
線の細い見た目も相まって、どこか脆いハーモニクスみたいな空気に、あいつと似たものを感じたのかもしれない……。
その後、無事に就職先の見つかったおれは深夜バイトを辞めた。
その就職先では現在も働き続ている。
程なくして、あいつも深夜バイトを辞めた。
互いに深夜バイトを辞めた訳だが、その後も交流は続いた。
と言っても数ヶ月に一度、LINEで他愛もないやり取りをする程度。
数少ない友人と呼べる人間との時折するバカ話が、なんとなくの息抜きではあった。
ただその度その度にあいつは、また仕事を辞めたと言って度々職を変えていることが、やや気掛かりではあった。
そんなことが気になったのか、ある休日、あいつの家の近くまで来たついでに連絡を入れてみた。
「おう、今あそこの本屋行った帰りでな。お前んち近いだろ?一緒にどっか飯でも行かね?」
「飯か。あいにく作ったカレーがいっぱいあってさ。消費しなきゃならないのよ。」
こんな時、おれは嫌われているのか?とか、ほっといてほしいのか?と、余計な勘繰りを入れてしまうのがおれの悪い癖。
無論、そんなことをストレートに放るような野暮はしないのがおれ流。
「そっか、なら仕方ないな。またそのうち。」
「あ、いやいやちょっと待って。なら家に食いに来たら?消費に協力してくれない?」
「食い切れなきゃ捨てればよくね?」
「はあ?ダメダメ食品ロス削減!今が美味いぜ!鮮度が命!」
何バカ言ってんだこいつ?と思いつつも、まあせっかくだしなと、おれはあいつの家に向かった。
これがかわいいねーちゃんならまだしも、何故におれが野郎の作ったカレーを食わなきゃならんのか。
などと言う考えも、あいつの家のキッチン周りを見た瞬間に吹き飛んだ。
水回りも清潔に整えられ、スパイス?調味料の類いのものは、まるで洒落たインテリア、ちょっとしたレストランのように綺麗に整理されている。
一人暮らしが長い割に、自炊などろくにしないおれとは大違い。
おれの台所など、シンクを見るだけで帰りたくなる有様だ。
そんな状態でカレーなんぞ出したところで、食べる人間など現れる気がしない。
久々の再会と相変わらずのバカ話。
雑談も程々に
「とりあえず腹減ってるよね?じゃあ食おうか。」
「ああ、じゃあ遠慮なく食品ロス削減に協力させてもらいます。」
「はは、頼むわ。」
あいつはそう言ってカレーライスを皿に盛り、おれの目の前に準備してくれた。
うん、カレーだ。可もなく不可もなくカレーだ。
決して見下した物言いをしているわけではない。しかしカレーなんて大体誰が作ってもそこそこは美味くできるもの。
おれとて例外ではない。
ただ少なくとも、人様に飯を食わせる環境作りに関しては、おれなんかより遥かにこいつの方が上だったが……。
「じゃ、いただきます。」
「どうぞどうぞ。」
スプーンにご飯を掬い、カレーを絡めて口内へ運ぶ。
……えっ?美味い。
普通じゃない。……美味い。
美味すぎる……。
店レベル?いや、店より美味い。
なんだこれ?カレー?
いや確実にカレーだ。
その一口は、人生の中で何度も聞いてきた「結局母ちゃんのカレーが1番美味い」という実家のカレー不敗神話をいとも簡単に打ち砕くほどの轟音をおれの胃袋に轟かせた。
辛い。が口内ではない。喉元を過ぎたあたりが辛い。しかしその辛さは鼻から抜けていく。香りが抜けていくとでもいうべきか。
パッと見はノイズの洪水。しかしその奥には、ショッキングピンクに広がる美しいノイズの海。まるでおれの大好きなあのアルバムのようだった。
「クオリティ高過ぎだろ。どういうカレー出してんだ貴様。一瞬飛んだわ。」
「ふふ。美味いだろ?でも大袈裟だって。」
「まさかお前がこんな料理男子だったとはね。料理好きなの?」
「たかがカレーだっての。市販のにちょっとアレンジしただけだって。まあでも料理好きってかスパイスが好きなんだ。もうね、スパイスマニア。ほれ、あれ見な。」
と言って指差したのは、部屋に入って真っ先におれの目に飛び込んできた、あのインテリアみたいに綺麗に並んだスパイス瓶たちだった。
「スパイスってさ、混ぜると急にわけわかんなくなる瞬間あるんだよ。単体だと癖強いのに、混ぜると急に綺麗になったりさ。」
わかる気がした。
いや、スパイスのことはわからない。
だが、凶悪なファズに空間系を繋げ、それを揺らし、さらに別の歪みを重ねる。
そんなわけのわからないことを、おれも昔は毎晩みたいにやっていた。
音楽というより、音そのものに魅了されていたおれには、こいつがスパイスに取り憑かれていく感じが少しわかる気がした。
あまりのカレーの美味さに聞きたいことを聞き忘れるところではあったが、雑談の流れからさりげなく聞いてみた。
「で、お前また会社辞めたの?勤めたばかりじゃなかった?」
「いやあ、なんかもう周りがうっとうしくて。」
「人間関係?」
「別に仲良くしたきゃするよ。でも別に仲良くもないのに、ズカズカ人の中に入ってくるあの感じがダメ。」
「ああ、確かにな。けどまあ、そんな奴どこの会社にもいるだろ?」
「それはわかるけどさあ。」
「まあ嫌なら無理に続けることも無いとは思うけどさ。」
結局これといった話の結論が出るわけでもなく、気付けばすっかり夜になっていた。
美味いカレーをご馳走になった上、余りまで持たせてもらうという、なかなか厚かましい状態でおれは帰宅した。
その後もなんだかんだやり取りは続き、気付けば何度となく自慢のスパイス料理を振る舞われるようになっていた。
こいつの作る料理はどれも美味かった。なかでもキーマカレーとタコライスは、はっきり言って金が取れるレベルだった。
今にして思えば、きっとこいつは自らが作った力作を披露したかったのだろう。
身近で手軽に披露できる相手、それがおれだった。
あいつもそうだったな。
バイトすっ飛ばして徹夜で作った力作を真っ先におれに聴かせてくれたっけ。
それを次のスタジオでやるかどうか、みたいな話も込みだった。
で、次のスタジオではそれを今度はメンバー全員で弄り回す。
「そっちの方がいいな」
「いや、そこはなんか違う」
「もっとギュワーンじゃない?」
「いや、ギュワーンっていうよりジュワーン」
楽しかったのか。苦しかったのか。
ただ、胸の奥で鳴り響くノイズがノイズなのにノイズのまま煌びやかになるあの感触は、この先もう二度と感じることはないだろう。
そしてあいつはまた仕事を辞めたらしい。
人と接したくないからと、一人で出来る仕事を選んだまでは良かったが、今度はその仕事の指導員がダメだったとのこと。
何度も美味いスパイス料理を食わせてもらう厚かましいおれではあったが、職を転々とし、その度にまた辞めたと言うこいつに対し、少し不安のような、心配する気持ちも抱いていた。
ただ、いつものバカ話の流れで、そんなシリアスな話を切り出せないまま月日だけが過ぎていった。
日常は退屈だ。
誰も興味なんかない会議資料を、誰も読まない言い回しへ修正する。
そんなことに一時間二時間平気で消えていく。
部下の言い訳に騙されたふりをしながら、“人のせいにするな”などと注意をする。
どうせまた同じことは起こるし、そもそも仕事なんてやりたくない気持ちもわかる。
わかるが故の不毛な時間。
面倒な会議も、意味のない愛想笑いも、やり過ごせばまた明日が来る。その次の日も来る。
気付けばおれは、そういうものを無難にこなせる人間になっていた。
今朝も朝からクソ上司に、
「頑張ってるねえ。頼もしいよ。」
などと言われた。
頑張ってなどいない。
ただ、こなしているだけだ。
言い訳だらけの下がバカ過ぎて、頑張っているように見えるだけだろう。
つまりはこのクソ上司もバカ。
バカしかいねえのかここは。
――などと内心思いながら、
「いえいえ、課長にはまだまだ敵いませんよ。」などと愛想笑いを浮かべる。
どう足掻いたところで、会社の主役は結局社長だ。
社長だって、本音では売り上げた金を従業員なんかにそう簡単に渡したくはないはずだ。
だから我慢を与える。
金を払う代わりに、嫌なことも飲み込んでくれ。
そういう契約の上で、皆そこにいる。
要するに、会社の人間なんておれを含めて皆、本心を隠しながら働いている。
本心を隠しながら働く人間が“まとも”で、平気で仕事をサボっては言い訳ばかり並べる部下が“間違っている”ことになる。
なんとも狂った世界だ。
だからと言って会社から出たところで、我慢の契約から解放されるわけでもない。
プライベート中に街中でばったりクソ上司と遭遇したところで、
「よーう、ハゲ!」
などと言いながら頭をペシペシ叩くわけにもいかない。
現実には、
「課長、こんにちは。買い物ですか?
あ、奥さん、はじめまして。課長にはいつもお世話になってます。
お子さん?かわいいですねえ、何歳ですか?」
こんなところだろう。
無理矢理笑顔を作り、世話にもなっていない上司の嫁はおろか、かわいくもなんともないガキにまで愛想を振り撒く。無論、ガキの年齢になど全く興味ない。
こんなことさえ平気でやり過ごせてしまう。
忙しい日々の中で、あいつとも少しずつ疎遠になっていった。
そして気付けばおれは、この春、欲しくもなんとも無かった係長職にまで就いていた。
流行り物のいいとこ取りだけした味気無くくだらない売れ線のポップソングみたいな日々に疲れていたおれは、ほんの少しの息抜きにでもと本屋へ立ち寄った。
その本屋の駐車場で、偶然あいつに再会したんだ。
「おお、久しぶり。」
「はは、まさかこんなとこでね。」
「どうだ?仕事はちゃんと続けてるか?最後に聞いたのどこだっけ?昔の女子プロみたいな事務員いる会社だっけ?」
「ああ、この前辞めたよ。」
「………一応言わせてくれ。またかよ!……で、次の当てはあるのか?」
「いや、もう会社勤めはしないよ。」
「なんだよ、バイトで充分ってか?」
「実はさ……、おれ、店をはじめることにしたんだ。」
「は?」
「まあ、察しはつくと思うけど……スパイス料理屋をね。」
「いや……ちょ、え?始めるったって、はい始めます。はいオープン、なんて話じゃねーだろ。」
「それがね、事業計画書作って事業融資申し込んで…で、それももう通ったんだ。」
「……」
「おれの姉ちゃん、カフェやっててさ。事業計画書の書き方とか全部姉ちゃんに教わって。で、ダメモトで申し込んだら通ったんだ。おかげでこれまでの人生イチの借金背負っちゃったよ。恥ずかしかったぜ?資本金ゼロで始めたいんですけどって言うの。」
「そらわかるよ。お前のキーマカレーもスパイス料理も、料理オンチのおれですら普通に店出せるレベルって思ったぐらいだし。けどさあ……。」
「ふふ。お前はおれが仕事辞めるたびに話聞くフリしながらおれの料理食い散らかしに来てたもんな。」
「言い方悪過ぎだろ。」
「まあ、言いたいことはわかるよ。人間付き合いダメダメなおれが客商売だと?だろ?」
「客商売なんかさ、それこそお前が嫌だ嫌だ言ってた奴らよりももっとハードなの来る可能性あるんだぜ?」
「わかるよ。そんなの百も承知。でもさ、確かにその通りかもだけど、おれは自分の料理、自分の味を求めてきてくれた人たちには心からの感謝、そして優しくできる気がするんだ。だってさ、キーマもタコライスも何でも美味い美味いって食いまくってくれるお前見て、おれ本当に凄く嬉しかったんだ」
「……まさかそんなセリフ、野郎に言われる日が来るなんて思いもしなかったぜ。お前が女だったら一回ぐらい抱いてやったのに。なぜ巨乳のグラドルとして生まれてこなかった。」
「バカか。世の中どれだけ男の料理人がいると思ってんだ。そんでその料理人達が、自分が作ったもん人に食わせて、美味いと言われて喜ばないような奴らだったらおれはそんな奴らプロとは認めないぜ。あと仮におれが女だったとしても、お前には抱かれねーよ。」
「いつからそんな熱い男になったんだね君は。」
「ハハっ。準備進んできてさ、なんかかなり楽しくなってきてるんだよ。あとお前のバカヅラも拝めたし。」
「全く可愛げがねーなおい。まあ無理はすんなよ。」
「そっちも相変わらずでなんか安心したわ。じゃあおれはこれからメニュー表やら何やら作らなきゃだから帰るわ。じゃあまたな。連絡するわ。」
「おう。またな。」
乗り切った……乗り切ってしまった……。
こんな時、なんて言えば良かったんだ?
ここはあのバカひしめく会社じゃない。
我慢契約もない。
クソ上司もバカ部下もいない。
なのにおれは、心許せるあいつの前ですら、
愛すべき『馬鹿男ノリ』なんて飛び道具を使って、胸の奥で鳴っていたノイズを隠してしまった……。
仕事決まっちゃ辞め、また決まっちゃ辞め、そんなハンパな奴が自分の店なんかできるのかよ。
……なんてこと思わなかったよ。
だって、同じように嫌なもんは嫌だって言い続けて、自分の音を表現する側に突き進めた奴を知ってるから……。
確実に自らを表現する側に突き進めた奴ら。
そんな奴らが友達だなんて誇らしい気持ちもあるさ。
でも……
要らねえんだ、そんな気持ち。
だって……おれじゃねえから。
ずっとずっと欲しかった。
なのにおれがいくら手を伸ばしても届かなかった。
でも…あいつらは、おれがいくら手を伸ばしても届かなかったそこに届いた…。
側で見てたんだ。
あいつらの苦労も苦悩も。
音楽しか見えなかったんだろ?
スパイスしか見えなかったんだろ?
それ以外なんて、
どうでもよかったんだろ?
でもだったらおれが間違ってたのか?
おれは音楽以外のことをやったって嘔吐なんかしない。
嫌いな同僚と顔を合わせたって平気だ。
受け流せる。
我慢もできる。
反吐が出るクソ上司に、
「昇進おめでとう。今後も上を目指して頑張ってくれよ。」
なんて言われたって、
今後“も”ってなんだよ。
今まで“も”上なんか目指してねえよ。
本当は別の女社員を上にあげたかったこと知ってんだ。
おめでとうなんてこれっぽっちも思ってねえだろ、この依怙贔屓ハゲが。
――そう思いながら、
「ありがとうございます!」
って笑える。
言い訳だらけのガキ丸出しバカ部下に、
「おめでとうございます!これからもついて行きます!」
なんて言われたって、
お前より後に入ったおれに抜かれて納得いってねえのは顔見りゃわかるんだ。
おめでとうなんてこれっぽっちも思ってねえだろ、この他責言い訳おこちゃまバカが。
――そう思いながら、
「頼むぜ!」
って笑える。
ちゃんとやれる。
ちゃんと笑える。
ちゃんと飲み込める。
だから働いていられる。
だから生きていられる。
おれはやりたくないことから逃げなかった。堪えた。
あいつらはやりたくないことから逃げた。
逃げたあいつらはおれが欲しくて欲しくてたまらなかったものを手にいれた。
堪えたおれは欲しくも何ともなかったゴミ屑同然の役職を手に入れた。
おれが間違ってたのか?
ちゃんとやってきた。
ちゃんとやった。
ちゃんと
ちゃんと
ちゃんと
ちゃんと?
違う。
逃げたのはおれだ。
幼い頃に受けた虐待と束縛と、時折与えられた優しさ。
相反するはずのそれらが胸の中で混線し、ノイズになってずっと鳴り止まなかった。
そのノイズをずっとずっと解き放ちたかった。
その時、本当に自由になれるって信じてた。
それなのに
それなのにおれは、
その時胸の中で鳴っていた音よりも明日も生き続ける方へ逃げたんだ。
反対にあいつらは、
例え明日死んだとしても、
今、自分の中心で鳴っているものを、
純粋に、純粋に信じ続けた。
それがおれには眩しすぎて、あいつの活躍見ることからも逃げたんだ…
誰か…
おれの音を聴いてくれよ。
頼むから。
ディストーションにファズを重ね、コーラスを掛ける。
それをフェイザーで揺らし、ディレイで増幅させたこの音を、簡単にシューゲイザーなんて言葉で片付けるなよ。
どうせあんたら、
シューゲイザーが本当は何を指す言葉だったのかも知らないんだろ。
優しいあいつらはおれを見下したりなんかしない。おれを置いていったなんて思わない。
わかってる。
ならばこの感情はなんなんだよ。
嫉妬。
劣等感。
羨望。
敗北感。
そんな言葉で、この感情を片付けるな。
嫉妬?
劣等感?
羨望?
敗北感?
そのネガティブなspiceをmixしたら、微かに
尊敬
って音が聞こえた気がした。
それにしても腹が減った。
目の前の店からはカレーのいい香り。
いや違うな。これはスパイスの香りだ。
もう覚えた。なんとかってのとなんとかってスパイスだろ。
食わなくたって美味いのは知ってる。
大盛り?バカ言ってんな。超特盛以外受け付けねーよ。
でも……
また今日も店には入れねえや…
そのうち聞きに行くわ。
いらっしゃいませって……。
