【211日目】夢野久作「ドグラ・マグラ」を1日1ページずつ読んでいく
正木博士の高笑いは、室の中の色々なものにケタタマシク反響しつつ、私の耳に飛び込んで来た。そうして二人の博士の云う事の、どちらが本当か嘘か解らないままボンヤリとなっている私の頭の中を、メチャメチャに引っかき廻すとそのまま、どこかへシインと消え失せて行った。
しかし正木博士は私のそうした気持ちに頓着なく、又も片眼をシッカリとつぶって、さも美味そうに葉巻の煙を吸い込んだ。それから廻転椅子の肘掛けに両手を突張って、ソロソロと立ち上りかけた。
「……や……ドッコイショ……と……そこでいよいよ本勝負に取りかからなければ、ならないのだ。まず是非とも吾輩の手で君の過去の記憶を回復さして、君が誰であるかを君自身に確かめさせなくちゃ、若林の手前、卑怯に当るからね。……とりあえずこっちに来てみたまえ。今度は吾輩自身が、君の過去を思い出させる第一回の実験をやってみるんだから……」
私はもう半分夢遊病にかかっている気持ちでフワフワと椅子から離れた。どこからか若林博士の青白い瞳が覗いているような気味わるさの中を、正木博士に導かれるままに南側の窓に近づいた……が……正木博士の白い診察服の肩ごしに窓の外を一眼見ると、私はハッとして立ち止まった。
眼の下に狂人解放治療場の全景が展開されているのであった。……そうしてその一隅に紛れもない呉一郎が突立っているのであった。……老人の畠打ちを見守りながら、背中をこっちに向けている……髪毛を蓬々とさした……色の白い……頬ぺたの赤い……黒い着物をダラシなく纏うた青年の姿……。
その悽惨な姿をアリアリと現実に見た一瞬間、私は思わず眼を閉じた。その上から両手でピッタリと顔を蔽うた。……とても正視出来ないほどの驚きと……恐れと……云い知れぬ神経の緊張に打たれて……。
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……呉一郎はあそこに居るじゃないか。あれは彼の遺言書の中に書いてあった呉一郎の姿に違いないじゃないか。そうしてあれが呉一郎に間違いないとすれば……ここに立っている私は一体、何者であろう……。
……たった今窓の外を覗いた一瞬間に、私自身が、私自身から脱け出して行って、姿をかえてあそこに突立っているような……それを、あとに残った魂魄だけが眺めているような……そんなような陰惨な、悽愴とした感じ……。
……もしや今見たのは私の幻覚ではなかったろうか。白昼の夢というものではなかったろうか……。
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頭の中で電光のように、こう考えまわしつつ……何ともいえず息苦しい、不可思議な昂奮に囚われつつ、私は又も、徐かに眼を開いてみた。
しかし解放治療場内の光景は、どう見直しても夢とは思えなかった。……青い青い空……赤い煉瓦塀……白く眩しく光る砂……その上を逍遥《さまよ》う黒い人影……。
その時に、私の前に立って、何かしら考え込んでいた正木博士は、やおら私をふり返って、何気なく窓の外を指した。
「……どうだい……ここがどこだか知っているかね君は……」
なんだと…
呉一郎が主人公とは別に存在していたことが確定したのか…?
そうすると主人公は誰なんだ…?
