【214日目】夢野久作「ドグラ・マグラ」を1日1ページずつ読んでいく
と叫びつつヨロヨロとうしろに、よろめいた……ように思う……。
それを正木博士が抱き止めてくれた。そうして噎せかえるほど芳烈な、火のように舌を刺す液体をドクドクと口の中へ注ぎ込んでくれた……ように思うが、何が何であったかハッキリとは記憶しない。唯、その時に正木博士が、私の耳の傍で怒鳴っていた言葉だけが、切れ切れに記憶に残っているだけであった。
「……しっかりしろ。確りしろ。そうして今一度よく、あの青年の顔を見直すのだ。……サアサア……そんなに震えてはいけない。そんなに驚くんじゃない。ちっとも不思議な事はないんだ。……確りしろシッカリ……あの青年が君にソックリなのは当り前の事なんだ。学理上にも理屈上にも在り得る事なんだ。……気を落ちつけて気を、サアサア……」
私はこの時、よく気絶して終わなかったものと思う。おおかたこの時までに、いろんな不思議な出来事に慣らされていたせいかも知れないが、それでも、どこか遠い処へ散り薄れかけている自分の魂を、一所懸命の思いで、すこしずつすこしずつ呼び返して、もとの硝子窓の前にシッカリと立たせる迄には何遍眼を閉じたり開いたりして、ハンカチで顔をコスリまわしたか知れない。しかも、それでも私には今一度窓の外を見直す勇気がどうしても出なかった。頭を低れて床のリノリウムを凝視たまま、何回も何回もふるえた溜め息をして、舌一面に燃え上る強烈なウイスキーの芳香を吹き散らし吹き散らししていたのであった。
正木博士は、その間に手に持っていたウイスキーの平べったい瓶を診察着のポケットに落し込んだ。そうして自分自身もやっと落ち付いたように咳払いをした。
「イヤ。驚くのも無理はない。あの青年は君と同年の、しかも同月同日の同時刻に、同じ女の腹から生れたのだからね」
「……エッ……」
と叫んで私は正木博士の顔を睨んだ。同時に一切がわかりかけたような気がして、やっと窓の外の呉一郎をふり返るだけの勇気が出た。
「……ソ……それじゃ僕と、あの呉一郎とは双生児……」
「イイヤ違う……」
と正木博士は厳格な態度で首を振った。
「双生児よりもモット密接な関係を持っているのだ。……無論他人の空似でもない」
「……ソ……そんな事が……」
と云い終らぬうちに私の頭は又、何が何やら解らなくなってしまった。一種の皮肉な微笑を含みかけた正木博士の顔の、鼻眼鏡の下の、黒い瞳を凝視した。冷かしているのか、それとも真面目なのか……と疑いつつ……。
正木博士の顔には見る見る私を憫れむような微笑が浮かみあらわれた。幾度も幾度もうなずきつつ、葉巻の煙を吸い込んでは、又吐き出した。
「ウンウン。迷う筈だよ。……君は昔から物の本に載っている、有名な離魂病というのに罹っているのだからね……」
「……エ……離魂病……」
「……そうだよ。離魂病というのは、今一人別の自分があらわれて、自分と違った事をするので、昔から色んな書物に怪談として記録されているが、精神科学専門の吾輩に云わせると、学理上実際にあり得る事なんだ。しかし、そいつを現実に、眼の前に見ると、何ともいえない不思議な気持ちがするだろう」
私は慌てて、今一度眼をコスリ直した。恐る恐る窓の外を見たが……青年はもとのまま、もとの位置に突立っている。今度はすこしばかり横顔を見せて……。
「……あれが僕……呉一郎と……僕と……どっちが呉一郎……」
「ハハハハハハハ、どうしても思い出さないと見えるね。まだ夢から醒め得ないのだね」
「エッ夢……僕が夢……」
どういうことだ…
双子でもないのに同じ腹から生まれただと…?
離魂病はドッペルゲンガーとは少し違いそうだな…
この正木先生との会話自体も主人公が見ている夢なのか…?
謎だ…
しかしこれはこれで面白くなってきた
