【161日目】夢野久作「ドグラ・マグラ」を1日1ページずつ読んでいく
――虹野さんの作品は私の処には一つも残っておりません。その頃はまだ、そんな贅沢なものの値打ちが判りませんでしたので手間損だったのです。たった一度、二月ばかりかかってこしらえた五寸四方ばかりの小袱紗を、私の塾の展覧会に出した事がありましたが二十円という値段付けだったので売れ残ってしまいました。今あったら大変なものでしょう。私も習っておけば良かったと思います。虹野さんはそんな風に技術が良かった上に、小野鵞堂さんの字をお手本よりもズッと綺麗に書きましたので、私の弟子の刺繍に使う字をよく書いてもらいました。絵も却々上手で、私の処にある下絵の中でも良いのは大抵写して行かれました。けれどもかれこれ半年余りかよって来たと思うとパッタリ見えなくなりました。エ……その時姙娠の模様は見えなかったかって……いいえ、小柄な方でしたから直ぐに判る筈ですが……その色男が虹野さんを棄てて逃げたのですって? ヘエー左様ですか。ヘエー……。
――その頃住んでいた家ですか。サア、それは存じておればですが……その頃いた生徒はみんなもう四十近くのお婆さんになっているんですからネエ。ヘヘヘヘヘ。マア、その男が虹野さんを殺したらしいんですって。……おお怖わ! あんな別嬪さんを、まあ惜いこと……そういえば思い当る事があります。誰にも仰言っては困りますがね。虹野さんは大変な男喰いで、大学生の中でも失恋させられた人が二三人あったそうですよ。尤もこれは噂だけですがね。その頃の虹野さんの家もどこか判らず、東から来たり西から来たり、帰りがけもその通りで、誰も本当の家を知っているものはありませんでしたよ。私の塾には品行の悪い人は一切入れませんでしたが、そんな風でどこが悪いといって取り止めた事は一つもなかった上に、本人がシッカリした風で仕事が上手だったもんですからね。いいえ写真なぞもありません。けれどもその頃の怨みにしちゃ、チット古過ぎますわねえ。ホホ……。
――ヘエッ、それがあの有名な迷宮事件の呉さんですって?……マアどうしましょう。どうして虹野さんが、呉さんという事が判ったんですか。ヘエ、東京の袋物屋のお神さんに身の上を話していた。只、男の名前だけが判らない……ヘエ、そうですか。どうぞこの事は内証にして下さい。云々。
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▲附記 呉一郎の第一回の発作に関する事件記録の要点は前掲三項の断片に残らず包含されおるを以て詳細は省略す。但、第三参考「松村女史の断片」は、余の所謂「呉一郎の第一回発作」の参考としては全然不必要の範囲に属するも、この記録を作製したるW氏の主張を尊重する意味に於て、且又、該事件に関する司法当局の探査方針、及び当時の各新聞の記事が暗黙の裡にW氏の意見に影響されつつありし証左としてここに掲ぐるものなり。
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◆右に関するW氏の意見摘要
余(W氏)は初め、この事件に関する報道を新聞紙上に発見するや、極めて稀に存在する夢遊病の好適例に非ずやと思惟して出張したるところ、この直方地方は元来筑豊炭田の中心地に位置し、日本屈指の殺傷事件の本場たり。従って警察方面の捜索方針も単純且粗放にして、現場の証拠等は事件発生の翌日に於て、完膚なき迄に攪乱蹂躙されおり、充分なる調査を遂ぐるを得ず、然れ共尚、現場の形況及び前記各項の談話、警察当事者の記憶、近隣の噂等を綜合したる結果、この事件の特徴として左の諸項を認め得たり。
左の諸項とな。これから書くということか。
note上だと下の諸項だが。
呉一郎の時間は迷宮事件とかなり話題になっているのか。
直方地方は日本屈指の殺傷事件の本場は草
福岡の北部らしい
直方市(のおがたし)は、福岡県の北部に位置する市。筑豊を構成する自治体の一つで、直鞍地区の中心都市である。
小野鵞堂とは誰かと思ったら、明治の婦人はほとんどこの流派で書道をやっていたくらい有名な書道家らしい
明治、大正のかな書道界を代表する大家で、現代のかな書道の基礎を築いた一人である。平安期の草仮名を基底として独自の流麗なスタイルを案出し、その書風は鵞堂流と称され多くの門弟を得た。また「斯華会」を創設し、この組織をもって普及に努めたため、婦人たちで習字をするものはほとんど鵞堂流を習うという盛況を現出した
