【219日目】夢野久作「ドグラ・マグラ」を1日1ページずつ読んでいく
「誓って致します」
「ウム……それから今一つ……もしそうなった暁には、君は当然、あの六号室の少女と結婚して、あの少女の現在の精神異状の原因を取り除いてやる責任があることも同時に判明するだろうと思うが、そうした責任も君はその通りに果せるか」
「……そんな責任が本当に……僕にあるんでしょうか」
「それはその場になって、君自身が考えてみればいい……とにかく、そんな責任があるかないか……言葉を換えて云えば、呉一郎の頭の痛みが、どうして君のオデコの上に引っ越したかという理由を明らかにする方法は、頗る簡単明瞭なんだからね。物の五分間とかからないだろう」
「……そんな……そんな容易しい方法なんですか」
「ああ、雑作ない事なんだ。しかも理窟は小学生にでもわかる位で、吾輩の説明なぞ一言も加えないでいい。唯、君が或る処へ行って、或る人間とピッタリ握手するだけでいいのだ。そうするとそこに吾輩が予期している、或る素晴しい精神科学の作用が電光の如く閃めき起って……オヤッ……そうだったかッ……俺はこんな人間だったのかッ……と思うと同時に、今度こそホントウに気絶するかも知れぬ。もしかすると、まだ握手しないうちに、その作用が起るかも知れないがね」
「……それを今やってはいけないんですか……」
「いけない。断じていけない。今君が誰だという事がわかると、今云った通り飛んでもない錯覚に陥って、吾輩の実験をメチャメチャに打ち壊す虞れがあるんだ。だから君がスッカリ前後の事実を飲み込んで、それを一つの記録にして社会に公表すべく、吾輩の指図通りの手段を取るのをチャント吾輩の眼で見届けた上でなくちゃ、その実験をやる訳に行かないと云うのだ。……どうだ。出来るかい……その約束が……」
「……出来……ます……」
「よろしい……それじゃ話そう……イヤ。話が篦棒に固苦しくなった。こっちへ来たまえ……」
と云ううちに正木博士は、私の手をグングンと引っぱって、大卓子の処へ連れて来て座らせた。自分も旧の肘掛回転椅子に私と差し向いに座ると、白い服のポケットからマッチを出して新しい葉巻に火をつけた。吸い残りの短いのは達磨の灰落しの口へタタキ込んだ。
私は窓の外が見えなくなったので、ホット重荷を卸したような気持ちになった。どうしても解けそうにない疑問の数々が、益々深刻に交錯して来るのを、頭の中心にハッキリと感じながら…………。
「イヤ。馬鹿に話が固苦しくなった」
と今一度わざとらしく繰り返した正木博士は、今までよりもずっと砕けた態度になって机の上に両肱をついた。その上に顎を載せて、長い葉巻を横啣えにしながら、ニヤニヤと私の顔をのぞき込んだ。
「ところでどうだい。君自身が何者かというような問題はとりあえず別にしておくとして、君は今朝見たあの少女をどう思うね」
私は質問の意味が解りかねて眼をパチパチさせた。
「どう思う……とは……」
「美しいとは思わなかったかね」
不意打ちにこうした方角違いの質問を浴びせられた私は狼狽せずにはおられなかった。頭の中を羽虫のように飛びめぐっていた大小無数の「?」が一時に消えうせて、その代りに黒く潤んだ眼……小さな紅い唇……青い長い三日月眉……ポーッと薄毛に包まれた耳……なぞが交るがわる眼の前に浮かんで来たと思うと、私の首すじのあたりがポカポカと暖かくなるのを感じた。それにつれて、今しがた気絶しかけた時に飲まされたウイスキーの酔いが、グングンと身体中をめぐり初めたように思って、われ知らずハンカチで顔を拭いた。顔中から一面に湯気が湧き出すような気がして……。
6号室の少女と結婚するだと?
やはり主人公は呉一郎なのか?
ある人と握手をすればすべて理解できるというのは、解放治療場にいる(と思われる)呉一郎のことなのだろうか…
