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【196日目】夢野久作「ドグラ・マグラ」を1日1ページずつ読んでいく

 呉一郎はそのまま、矢張りマジマジとした眼付きで正木博士の顔を見ていたが、間もなく唇をムズムズと動かした。
「……お父さん……です……」
「アッハッハッハッハッハッハッハッ」
 と正木博士は一層愉快そうに……しまいには呉一郎の手を離してトテモたまらなさそうに笑いこけた。
「アーッハッハッハッハッ。どうも驚いたな。それじゃ君のお父さんは二人いる訳だね」
 呉一郎は考えるともなく躊躇したが、間もなく黙ってうなずいた。正木博士はいよいよ腹を抱えた。
「ワッハッハッハッ。トテモ素敵だ。珍無類だ。……それじゃ君は、その二人のお父さんの名前を記憶おぼえているかね」
 正木博士が冗談半分見たようにこう云い出すと、今までけむに捲かれて面喰い気味の一座の人々の顔が一時にサッと緊張味を示した。
 しかし、呉一郎はこう尋ねられるとフッと暗い顔になった。静かに眼をらして、窓の外一パイに輝いている五月晴さつきばれの空を飽かず飽かず眺めているようであったが、やがて何事かを思い出したらしく、その大きな眼に涙を一パイに浮き出させた。その様子を見ていた正木博士は又も呉一郎の手をりながら、葉巻の煙を一服ユッタリと吐き出した。
「イヤ。もういいもういい。無理に君のお父さんの名前を思い出さなくともいいよ。どちらを先に思い出しても、エライ不公平なことになるわけだからね。ハハハハハハ」
 今まで異様な緊張味にとらわれていた人々が一時に笑い出した。やっとの事で、もとの表情を回復していた若林博士も、変に泣きそうな、こわばった笑い方をした。
 その笑い顔の一つ一つを、如何にも注意深い眼付きで見まわしていた呉一郎は、やがて何やら失望したように、溜め息をしたまま伏し目になると、涙をハラハラと落した。その涙のたまは、手錠の上から、汚れた床の上に落ち散って行った。
 その手を取ったまま正木博士は、無雑作に人々の顔を見まわした。
「とにかくこの患者は私がお預りしたいと思いますが如何でしょうか。この患者の頭の中には、事件の真相に関する何等かの記憶がキット残っていると思います。只今御聞きの通り、誰の顔でも、父の顔に見えるという事は、あるいはこの事件の裏面の真相を暗示している、或る重要な心理のあらわれかも知れませんからね……出来れば私の力で、この少年の頭を回復させて、事件の真相に関する記憶を取出してみたいと思うのですが、如何でしょうか……」

 【字幕】 解放治療場に呉一郎が現われた最初の日(大正十五年七月七日撮影)
 【映画】 解放治療場のまん中に立った五六本の桐の木の真青な葉が、真夏の光りにヒラヒラと輝いている。
 その東側の入口から八名の狂人が行列を立てて順々に這入って来る。中には不思議そうに、そこいらを見まわしている者もあるが、やがてめいめいに取りどり様々の狂態を初める。
 その一番最後に呉一郎が這入って来る。
 如何にも憂鬱な淋しい顔で、暫くの間呆然と、四方の煉瓦塀や、足元の砂を見まわしていたが、そのうちにフト自分の足の下の砂の中から何やら発見したらしく、急に眼をキラキラと光らして拾い上げると、両手の間に挟んでクルクルと~揉《も》んでから、まぶしい太陽に透かしてみた。

正木先生もお父さんだと!?

若林博士の言うとおり誰でもお父さんに見えるのか、本当に二人ともお父さんなのか…?

まあこの感じはさすがに前者か…

最後何を拾ったんだろうか。

石とか骨とかか?

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