【246日目】夢野久作「ドグラ・マグラ」を1日1ページずつ読んでいく
「……どうだ。愉快な話だろう。この一例を見ても、今までの精神病学者の治療法が、全然、見当違いをやっていた事が解るだろう。同時に、吾輩のこの解放治療の実験が、如何に素晴らしい、学界空前の……」
「ちょっと待って下さい」
私は右手を揚げて、滝のように迸り出て来る正木博士の言葉を遮り止めた。得意に輝く骸骨ソックリの顔を仰ぎつつ、廻転椅子の上に座り直して問うた。
「……ちょっと……待って下さい。……しかし……先生の、そうした治療の実験は、純粋な学術研究の目的でなさるのですか、それとも……」
「……無論……むろん純粋の学術研究を目的としているんだよ。精神病の治療というものはこうするものだ……という事を、洽ねく全世界のヘゲタレ学者たちに……」
「マ……待って下さい。そうじゃありません。僕がお尋ねしているのは……」
「……何だ……」
正木博士は不満そうに眼の球を凹ました。肩を一つ揺り上げて椅子の背に反り返った。
「僕がお尋ねしようと思っている事は、こうなんです。呉一郎を発狂さした暗示が、この絵巻物だって事は、まだ誰も知らないでいるんですね」
「……ア。その話はまだ、しなかったっけね。無論、誰も知ってやしないよ。司法当局の奴等だって知らないも同然だよ。テンデ問題にしていないんだからね」
正木博士は又、ツルリと顔を撫でまわして、鼻眼鏡をかけ直した。
「最前からも話した通り、この絵巻物は、呉一郎の伯母の八代子が、土蔵の二階から取って来て隠していたのを、若林が睨んで捲上げて、そのまんま吾輩に引渡したものだから、若林と吾輩以外にこの絵を見た者は君だけだ。裁判所や警察の連中は、八代子が現場の机の上の、この絵巻物が置いてあった所に、自分の鼻紙を拡げておいたので、見事に一パイ喰わされている上に『迷宮破りの若林博士が、事件の真相の説明に窮して迷信を担ぎ出した』と云って笑っているそうだ。たしかその当時の新聞の編輯余録といったような欄の中に、素破抜いてあったと思うが……却って仙五郎爺から巻物の話を聞いた村の者が、色んな事を云っているそうだ。一郎が夢のお告を受けて石切場に行ったら、巻物が高岩の蔭に置いてあったんだとか、その時がちょうど日暮狭暗の逢魔が時だったとか云ってね……又、そんな迷信を担がない連中は、誰かモヨ子に惚れ込んでいた奴が、叶わぬ恋の意趣晴らしに、古い云い伝えから思い付いて、一郎にコンナ悪戯をしかけたのが、マンマと首尾よく図に当ったんだとか何とか……」
「アッ……」
と私は突然に叫んで立上りかけた。大卓子の端に両手を突張って、穴の明くほど正木博士の顔を見た。正木博士も私の叫び声に驚いたらしく、吐きかけた煙を頬張ったまま、眼を丸くした。
私の呼吸と胸の動悸が、見る見る息苦しく高まって来た。
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……わかった。わかった……正木博士が、何気もなく云ったらしい一言が、事件の真相らしいものをチラリと私の頭に閃めかしてくれた……。
……私という人間は、一件記録の上には出ていないけれども、やはり呉青秀の血を引いた、呉一郎と瓜二つの青年に違いないのだ。
……二人の博士は、千世子が一人しか子を生んでいないという屍体解剖の結果によって、そんな事実の存在を否認しているようだけれども、事によると、それは私をこの実験にかけるための一つのトリックに過ぎないかも知れない。真実の私の過去は、やはり呉一郎と双生児で、幼い時に何かの理由で別れ別れになっていたその片割かも知れないのだ。
……それが人知れず故郷に帰って来て、人知れずモヨ子を恋していた。或は呉一郎と瓜二つなのを利用して、真物の呉一郎に覚られないように絡み合って、奇抜巧妙な二人一役を演じながら所在を晦ましていたものかも知れない。そうしてその中に、呉家に絡わる不思議な因縁話を聞き知って、呉一郎の結婚式の前日に、こんな残虐を試みた。……それがこの私であったのだ。
……けれども、そうした私自身も、呉青秀の心理遺伝を受け継いでいたために呉一郎と同時にか、又は相前後して、同じような発狂をしたために、真物の呉一郎と入れ違ってしまったのだ。ドッチがドウなのか本人同志にも解らなくなってしまったのだ。
主人公と呉一郎は双子説か…
言われてみるとその可能性を全然考えていなかった
しかしこの説は明日ぐらいの内容ですぐに否定されそうな気がするな
それにしてもなぜ正木先生はモヨ子殺害事件の真実を知っているのに警察に言わないんだ?
なにか裏があるようにしか思えないが…
