20年目のノート(手帳)習慣でわかったこと
ノート(私はノートと手帳を分けませんので、以降ノートで統一いたします。理由は後述します)を毎日書く習慣のはじまりは、学生の頃でした。キッカケは友達のノートで、読ませてもらうとそれが面白くて、ブログもあまり盛んではなかった頃に、今でいうTwitter(X)のような口語体やつぶやきのように書かれていて、自分もそんな風に自由に書くことに憧れていきました。
色々試行錯誤ありましたが、私は主にエッセイとか気づいたことを日頃書くというのをやっています。かれこれ20年近くになります。何か目指す目標とか、文が上手くなりたいとか、絵が上手くなりたいとか、そういう「なりたい」とか「あるべき姿」というのを決めずにただ自由に書くことの楽しさは他に代え難いものがあります。
…ですが、正直なところ文も喋るのも下手で苦手でセンスないな〜と自分でも思っています。だから、手帳(ノート)に逃げるしかなかった、ともいえます。そんな自分が20年、呆れるほどに再現性のない、独自のノート論?なるものをのぞいていただければと思います。
メモ術の本に期待しすぎない
何を書くか?で初めの頃は止まってしまうと思います。とにかくペンを走らせれば如何様にもなる、なんてのはなかなか難しいと思います。思いました笑。
巷には、メモのプロによる書籍が綺羅星の如く輝いています。わたしもそれらをよく読んでいました。しかし実行すると長く続かない。それは、自分流にならないと使えない、ということだと思います。たとえばノートをシステマチックに色をたくさん使って、ノートを複数冊使い分けたり、という術があったとして、わりと立ち仕事が多かったり、長期出張で国内外を転々としてるような仕事の人には向かないでしょう。つまり私のことですが、色々あって辿り着いたのは、時と場所を選ばず書けることだったりします。するとどういうノートが良いか?が自然に定まった気がします。
それから、立派で頭のいい使い方を目指さない事が結構大切かなと思っていたりします。論理的思考とか、思考整理術系です。多くの人は思考整理そのものを日常的に活用してアウトプットを出しているわけでは無いと思います。あくまで、困った時とかにつかうツールです。
かつての私はノートが丸ごとマインドマップで埋め尽くされてた時代がありました。しかし会社員であれば仕事のフレームは社内で標準があり、問題解決手法とかも独自に持っていたりします。そこへ流行りのツールを持ち込んでも、それ自体が使い物になることは少ないのではないでしょうか。さらにそれを共有するときの共通言語性も乏しいので、相手側からすればコイツ何やってんの?でしょう。良いものを導入することが業務効率化につながるとは限らないと思っています。つまりメモや手帳に、生産性の高すぎる人たち(本の著者とか)を真似してあまり高度なものを期待しすぎないことが大切だなと思っています。

予定表、カレンダーはいらない?!
ところで今回のお題の"わたしの手帳術"にあるこの手帳とは、カレンダーのスケジュール帳を含んだ年間通して使うミニノートの印象ですが、私は予定表とノートを分けていません。というのも、まず1ヶ月もしないでノートは書き終わってしまうので足りないというのがあります。
そして、1〜12月のカレンダーですが、予定は日によって沢山ある日と無い日がありますので、予定があまりない日などは空白になってしまいます。マス目のサイズは均等になっていますから、枠からはみ出す日や真っ白な日、まちまちです。それが勿体無いと思ってしまいます。
さらに、カレンダーで管理コントロールできる予定はせいぜい2週間で、それより先の予定は、カレンダーに書くよりむしろイベントとして箇条書きにリスト化した方が良いのが私流です。まだ日が遠い予定は変わる可能性があるからです。
紙というものはそもそもエリアが限られた極めて有限な情報空間です。その特性上は理想は白紙かシンプルでマス目が目立たないドットかグリッド線のノートになります。したがってカレンダーは週間、月間を手書きで都度書くことで大体の忙しさを図形で把握しています。20XX年手帳とか毎年買う手帳を持ったことも、実はありません。
手帳は様式や枠線などを各メーカー工夫して作ってくれてるのですが、自分にピッタリなものは無く、逆に多くは自分を手帳に合わせてるのではないでしょうか?すると最後は白紙で自分で都度書くからいいや、となって、適宜必要なスパンの期間だけの予定表をノートに書いていて、これでスケジュールの見落としもしたことがありません。自分で描いた(書いた)ことですしね。
ノートは自分との雑談場
ノートは誰にも見られないので、プライベートな事柄を書くのにとても向いています。長い文を書くのも、短いメモを取るのも、いずれも、なんといっても誰にもリプされることのない、自分だけで完結できる雑談です。
誰にもリプされないのは少し寂しい印象ですが、いいね!されることを気にしたりその数に不安になったりする必要も無いというのは、日頃私たちが手にするスマホやPCで慣れ親しんだ世界ではむしろなかなか得難い贅沢なのではないでしょうか。そう、なによりも誰にも何も言われないというのは手書きの大きな利点といえます。
何を書くのか?
ハッキリ言って本当にどうでも良い、見せるに値し無いことしか書いていないと思います。しかし、書くことの重要性は、それが重要と思わない頃からとにかく書かないと、あとで知識の引き出しにはならないのかなと実感してます。意外と、というか書いたことの殆どはあとで何かのキッカケで「あぁ、あの時の!」となり、何かを考える時に引っ張り出すことで繋がったり広がったり、また深くなったりします。
それには何よりも数。そう、数。とにかく数を書かないと何が良い悪い?はわからないということかと思います。恥ずかしながら…どんなふうに書いているのか?一部をお見せいたします。








ジョージ。「こんなノートの取り方、ガチで〜」
紙に書くことはすでに恥ずかしい?
昭和の価値観が依然として根強い重厚長大産業を担う古い会社の社員である私にすら、すでに紙とペンで記録することが恥ずかしくなってきています。今時は猫も杓子もタブレットやスマホで記録していますので。
しかし、電子化と共に共有化も図られることになるので、仕事とはいえあまりプライベートな記述ができないのは大きなデメリットだと感じています。
たとえば、この様なメモをタブレットで取るとします。
•納期遅れ→●●と部品を入れ替えることで問題なし
という書き込みがあったとします。ある製品の納期遅れが部品のトラブルによるものならば、代わりに別の制作中の同系機種の部品と入れ替えることで問題なし、という事です。メモの共有が前提ならば、何故?まで記載したり、個人的に思った別の問題や解決策などを書こうにも、躊躇してしまいます。多くの人が見る可能性がある、ということが思考とか書くことのブレーキになりうるのです。
→設計の発注に問題は?とか、→他の部品と入れ替えによる伝票、会計処理に問題はないか?とか、記録として残すほどでも無いけど考えるに越したことはない情報は意外と多くあります。果たして、社給スマホやタブレットで、管理者ならアクセスし得る場所で、人はそのような事を自由に書き残そうとするかどうか?ですが、経験上、多くの人はしないと思います。
自分だけのメモというのが無くなってきているので、良質の本音の見えない化が起こり、箇条書きですら肝心な情報の欠落が生まれてしまい、社会的な損失は大きいと感じています。まぁ電子派に対する手書き派の合理的な反論と見せかけて時代の流れへの悪あがきに聴こえるかもしれませんが。
ノートは小さく…
ノートは好きに自由にという話に戻すと、場所と時を選ばなくて良い点では電子デバイスと同じ進化を辿りました。最初はB5だったノートは今ではA7やA6やパスポートサイズノートがメインです。小型化です。
タイトルのメインの写真は、全てA6~7程度ですが、これで一年分あるかないかです。すぐ溜まるのでそれより前のものから捨てていきます。だんだんノートは小さくなったとはいえ書く量は変わらないので、コレの20倍くらいは書いてきたのかなという感じです。
さいごに
ノートに書くということは、雑談です。体裁、決まり、そうあるべき…etc、一切無用です。
書くことの効用は、ここまでお読みいただけた方なら感じ取っていただけたかもしれませんが、一冊を完成させるのが楽しくなってくることです。そして色々書いて、描いていくと、結構記憶に定着します。
かなりヘンテコなノート遍歴でしたが、ここまでありがとうございました。no+e本編では毎日書いている1枚を様々なテーマで投稿しております。暇のなかの暇な時間にクリックいただけると嬉しいです。


