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優しさが壊れる

リハビリの運動はできても、
どうしても瞑想が続けられないので
私は工夫することにした。

ココナラで、自分が好きな声優さんに、瞑想のナレーションをお願いして、
それを使って瞑想するようにした。

苦節6年にして、ここの所、毎日瞑想ができるようになった。
ありがたいことだ。

私は6年ほど前病気になった。

激痛があり疲労が酷く、注意力が定まらない。
すべての音が聞いてられない。
感覚過敏が酷かった。

そんな中で、医者が出したのは、大量の痛み止めと安定剤。

それを飲むと生活ができなくなってしまった。

注意力が定まらなくて、頭も働かないから、会話も辛い。
でも、なんとか日本語で、発言はできていたから
「大丈夫話せてます」と言われた。

注意力の定まらなさと考えをまとめる力の低下で、
雑談もできないし、違う意見の相手と調整できず、暴れるわけにもいかず、全部、飲みこむしかない。
そういうのは、会話ができてるとは言わないのではないだろうか。

認知症の検査も受けてみた。
極端に記憶力が落ちているわけではないので、大丈夫です。と言われる。
でも、激痛で長く座っている、寝ているのが、厳しいのも非常に生きていてつらかった。

きついコミュ障+激痛でじっとしているのが厳しいという状況。
誰かと話をして何かが通じるという感じが、ほぼゼロになってしまって、
(意味が通じるという意味じゃなくて、感情の部分で通じるという感じ)
何かが壊れた。

自分の中の優しさが壊れた。

自分の居場所を与えない「何か」に対して、怨念が起こった。
「この世界から出て行け」と言われているようだった。

ただ、私が逆の立場だったとしたら、そういう病気の人のことを理解できたか、といったら、無理だったとも思う。

ストレスが多過ぎるから、瞑想をして、リラックスということを学ぶ必要があると、自分でも思ったし、医師にも勧められた。

ただ、どうしても、辛くてできなかった。

最近、そういうふうに声を使って、瞑想をやってみた。

瞑想をすると、まれにトラウマが呼び起こされることがあるのも知っていた。

トラウマになっていることを思い出した。

たくさんの優しい人に出会って、大量の薬じゃなくてきちんとしたリハビリができる医師に出会って、今でも生きている。

でも「≪何か≫に対する絶望と怒り」が、「思い出しても、無害な思い出」になっていない。

自分の中に凄く愛が無いのを感じる。

難しい感情だけど、これと向き合う必要がある。

このままでは、優しい振りをしたままだ。

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